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(C)雨のローマ市内
ローマで三日目の朝を迎え、大半のメンバーは帰国するスケジュールにしたがって朝食前に空港へ発って行く。添乗員の渡辺
さんと金井さんも着いていった。彼女らは再び午後2時にホテルに私たちを迎えに来る。 スイスへ向かう8人はその時間までは
ローマで自由過ごせることになっていた。
はなと私は親しくなった旅仲間を見送ってからゆっくりと食事を済ませた。
朝からかなり激しく降った雨は、丁度その間に止んで晴れ上がり外出する私たちにはラッキーだった。予ねて決めていたフォロ
ロマーノの探索へ出かけるためにタクシーを呼んだ。タクシーもほとんどが英語が利かないとの事でフロントに呼んでもらったが、
どうも別のお客さんが呼んだものへ乗り込んだらしく、運転手が無線で何やらやり取りしていた。あまり愛想の良い運転手ではな
かった。そして受話器を置くとそのまま走り出し、“フォロロマーノ”“フォロロマーノ”と何回も言うまで納得しないようだった。お互い
の耳が波長を取り違えている感じがした。よくあることだ。
“まー何処え行ったっていいさ”となかば諦めたとき、“ヘイ!フォロノロマーノ!”と怒鳴られたような気がする。
“Yes!”とこっちも憮然としていた。
それでも見慣れたコンスタンチヌ記念堂をまわってコロッセオの方面へ進んでいく。入り口がどこにあるのかよくわからなかった
ので任せていたが、やがてパラティーノの丘に近いほうの入り口に止まった。20,000リラだった。
日本円で1800円ぐらいだが、なんだか馬鹿にされたような、すごく高く払わされたような気がして気が落ち着かなかった。
フォロ・ロマーノとパラティーノの丘
タクシーを降りると、雨上がりの空が青くて静かな気持ちの良い朝だった。
小さなチケット売り場があって他にも2,3のグループが入場券を買っていた。
入口から右へ辿ってティトウスの凱旋門に向かった。シーザーのフォロ、ヴィーナスの神殿跡に残された大きな三本の柱を、この
凱旋門越しに眺められた。遺跡にはたくさんの柱が建ち並び、また礎石があちこちに掘り出されている。それらがみな紀元前から
の歴史を語りつげる事を思うと、巨大な石材による建築に驚くばかりでなく、その華やかさは現代を遥かに凌駕するものを感じさせ
るのであった。
ティトウスの凱旋門からの眺めをしっかりと収めて、はなと私は左の階段をパラティーノの丘へ登って行った。丘の西の先にフォロ
・ロマーノが一望できそうな手摺が見えたからである。そこからはカンピドリオの丘が一望できた。
パラティーノの丘はそこの場所が展望台のようになっているだけで、ほかには特に手を施してある様子はなく、又目立った遺跡建築
物の形跡はなかった。
平らに広がる丘の中央が4〜5mも掘り進まれており、礎石らしきものに作業の人が大事そうに取り掛かっていた。大きな神殿の
跡を発掘しているところであるとのことだった。
順路は示されていたが、この丘の上に上がってくる人は私たちの外にはいないようだった。私は足元の土に塗れた大理石の小さ
な欠片を一つ手にとって、はなと見合った。“これを記念にしよう!”。
この白い5cmほどの三角の大理石は今も書斎の机の上にある。勿論今でも少し後ろめたい。
丘の東の端に民家のような風情の屋敷があった。降りる場所を探していて迷いこんでしまい、玄関先で引き返したが、12月という
のにバナナの木が茂り、カンナの花の咲く不思議な庭が印象的だった。ふと地中海の島にあるかと思わせるこのような雰囲気の家
がこの丘には2〜3軒見えた。
大きな曲がり道に沿って東側の斜面を下りると丁度入った場所に戻れた。
門の外の喧騒が聞こえてきたが、パラチーノの丘は静けさとやや寂しさの漂うなかで、2人きりで歩いた場所であった。
襲われて---
門を出るとそこはコンスタンチヌス帝の凱旋門の前であった。すでに11時に近い時刻になっており、コロッセオにも大勢の人が詰
め掛けている。
“コロッセオにもう一度寄ってみよう”ということになって、歩き始めると3人の子供が何か書いた看板を首に下げて近づいてきた。
何か叫んだが何のことやらわからない。これが悪党への遭遇であった。
可愛い顔をした男児2人、女児1人、いきなり私の左腕にしがみ付いたのでビックリした。おそらく外していた腕時計を眺めていた
ので、それをポケットに仕舞い込むのを見ていて襲ったのだろう。離れようとしないので、「オー!!」と怒鳴って体を回して振り払った。
ダンボールの看板を掲げている一人がいたので、口実に何かを訴えていたのだろうが、何の事やらわからず、不愉快と妙な恐怖
が走った。
飛び退きつつはなの方は大丈夫かと目をやると、襲われた様子はなく幸いだった。
「コンチクショウ!」と思ったが、相手は子供だし、何しろ言葉が通じないのだから始末に終えない。汚い日本語をこんなところで発
しなくて良かったと今も思っているくらいだ。私は丈夫な靴を履いていたので蹴飛ばそうかと思ったが、咄嗟に止めた。事件にでもな
って時間が掛かると面倒だし、相手は子供、後ろ盾がいるに違いない。のがれて逃げるが勝ちである。凱旋門で振り返ると、もう次
の仕事にでも取り掛かるのか、3人並んで構えていた。
それにしてもあまり面白い経験ではなかった。冷静に考えてみたら、私がそのとき持っていた時計は、家を出るとき何処でなくしても
良いように取り替えてきたファッションウォッチだった。はなと“あげてしまっても良かっ
たなー”と笑った。
言葉がわからないのはとても不便だ。ついにみやげ物は日本人のいる三越でとのことにし、地下鉄で向うことにした。コロッセオの
駅の事務所で慎重に切符の売り場を訪ねると、向かいのタバコショップが切符を売っているのだとのこと。車内でも下車駅を間違わ
ないよう駅名表示に注意を集中していた。
ローマの地下鉄はコロッセオからテルミニ駅までの短い間の一回乗っただけだが、パリのと比べるとホームや車両も一回り小規模
と思った。古い建設だからだろうか。
テルミニの駅前はその朝走って来ていてわかっている。
ローマの街も2朝走ったから、随分わかってきていた。ホテルを出るとトラステヴェレ通りをテレヴェ川に向かい、ガリバルディ橋を
渡ってアレヌーラ通りを進むとエマヌエル2世通りに突き当たる。そこを右折するとすぐにベネチア広場、左折してコルソ通りを北上
するとポポロ広場やスペイン広場に行ける。折り返してクイリナーレの丘の大統領官邸を廻りクイリナーレ通りからマグナナポリ広場
の小路を抜けてフォーロ・ロマーノ、コロッセオ、チルコ・マッシモと走りまくった。
ホテルへの戻りはテヴェレ川の東岸を走ってエンポリオ広場からサブリシオ橋を渡れば近い。
2朝とも雨に見舞われたが、暖かくて良かった。雨は走り出すのに億劫だが、走っていると喉が渇かなくて気持がいい。2日目には
足を伸ばしてテルミニ駅へ行き、早朝の風景を眺めていた。遠来の列車から降りてくる乗客のもつ雰囲気は国や地方の詩情を伝え
てくれそうだ。テルミニ駅にはイタリア特産品のショーケース並んでいて物珍しかった。
駅の前にローマの国立博物館があり、共和国広場を廻っているときに三越を見つけたのだ。
はなが買い物をしている間近くの銀行で両替をした。三越は安心だったが、両替は遠慮して欲しいとの表示があったので、外のす
ぐ隣りの銀行へ入ってみた。そこも英語は通じ難かった。苦戦していると、ロビーに居た客の紳士が英語で中に入ってくれて何とか
事が足りた。
雨のローマ
テルミニに着く頃から空が暗くなって、小雨が降ってきた。そんな中、はなはもう一度スペイン階段まで歩いて行きたいと言う。共和
国広場の大きなロータリーを眺めながら地図を広げると、2人がバルペリーニ通りの角に居ることがわかった。バルベリーニの舗道
が雨に濡れて道路脇の店から漏れる
明かりを映しつつ続いていた。通りは緩やかに下りその先は左にカーヴしてまるで道がなくなっているようにも見えた。
私たちは傘を出して、歩き始めた。
道端には車が駐車してあったり、バイクや自転車が置いてあったり雑多な風景であったが、店舗は古い建物に飾りの施された美し
い軒を連ねていて、眺めて歩くにはとても楽しい街路であった。小雨の降る、飾られた古い街の印象はとても捨てたものではいなーと
思った。
ウィンドウショッピングを続けながら、石畳のバルベリーニ通りを下りると、バルベリーニ広場に出てトリトーネの泉に行き当たった。
そこから真っ直ぐにシスティーナ通りを行くとサンタ・トリニタ・ティ・モンティ教会の前に出る。
私達は濡れて水溜りの出来たスペイン階段を降りた。降りてもう一度階段を見つめ、これでこの階段ともお別れだねと顔を見合わ
せて笑った。
冬のローマの雨の街
バルベリーニの坂道を
寄り添いもせず見つめ合い
ふたり黙って歩いてた
こぼれた花に手を触れて
舞い散るような流し目の
君の瞳が濡れていた
バルベリーニの坂の街
赤いレンガの古壁の
ランプの影が寂しげに
旅の思いを宿したは
バルベリーニの雨の街
又会う日にと誓いつつ
記念の文字を記す窓
振り返りつつ君思う
冬のローマの雨の街
スペイン広場に続く有名店街で1、2点の買い物をし、昼食に昨夜グループの皆と明るく騒いだ店の隣りのレストランに入った。きちんと
したイタリアンのレストランだったので、ドアマンに「食事を教えてくれますか?」と英語で問いかけると「Please!No Probrem」と答えてくれ
た。少し思い切った気持で入っていった。
前菜は海鮮を自分で選び、メインは大きな車海老、サラダ、スープにアイスクリームをデザートにというひととおりのメニューが決まった。
歩いた後だったのでビールも格別美味かった。テーブルに付いてくれたボーイが「エビ、エビ」などと日本語で説明したり、時々「おいしい
?」と声をかけて茶目っ気を出し、写真を撮るなど楽しい昼食の相手をしてくれた。私たちのほかに女性二人ずれの日本人も居て席は満
杯だった。昨日の夜などと比べると、昼食としてはきわめて豪華なものであったが、いろいろ寂しい思いもしたローマでの最後を飾るイベ
ントのような光った思い出になった。
外は雨が上がり、再び明るい青空が覗いていた。
レストランを出て前のマグナネリ広場でタクシーを拾いホテルに戻ると、既に高井氏夫妻も戻っていた。氏も警官の偽者と思われる輩に
たかられて、危うくパスポートをやられるところだったと、夫婦歩きの体験談を交流し、妙な談笑になった。
ジュネーブへ向かう一行は全員30分前にはフロントに集まってきた。やはり言葉の通じぬ国の独自歩きは、それぞれに手を焼いたとい
う経験の語り合いだった。
こじんまりしたが、グループの集団でバスに乗ると、余計親しみが伝わってきた。
ファミチーノの空港への到着はもう3時半になっていた。空港のロビーで出発を待つ間、免税店巡りをした。私はローマでは皮製のブッ
クカバーが欲しいと思っていたのだがなかなか見つけられづにいた。それを39番ゲートの近くのみやげ物店で見つけたので嬉しかった。
これは本来聖書などに掛けて使うもののようであったが、店にはうづ高く積み上げられていた。大中小あり中と小を買った。
アルタリアは遅れた。1時間も遅れたような気がした。そして、ローマでトラブルのは当たり前だとの認識を持って帰ることにした。
雨のバルベリーニ通り