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風次郎の世界旅
 中国旅の思い出
(6)

music by TAM Music Factory

          
        深セン市街
     

      中国旅の思い出

                    6.深センへ

                                  その頃、中国は特区政策が勢いをつけ始める頃で、深センへは日本からも大勢日本の経済人が出
                                かけて行っていた。香港のすぐ北隣に位置し行き来も便利であったこともあるが、日本から中国進
                                出に事業展開の先鞭を付けようと模索する経営者も多かったように思う。私も香港は見ているのが、
                                それに加えてこの旅の深セン訪問のオプションを見つけ、それを狙いの一つにして楽しみにしてい
                                たのであった。

                                 ★車エンコ?
                                 昼食をホテルですませ6人の参加メンバーがフロントに集まった。曇ってはいたが、外は夏のよ
                                うに暑くなって鬱陶しかった。8人乗りのミニバスは冷房をガンガン利かして出発した。
                                 中国の南部は気候区分による南亜熱帯海洋性季風気候で、年間平均気温は摂氏22.4度、最も暑い
                                7月の平均気温は摂氏28.9度、最も寒い時でも1の平均気温は13.9度である。そして年間降水量は
                                1,801.4mmと比較的多く、年間日照時間は1,538.8時間である。
                                 深センへは広州市からほぼ南南東へ約200km走る。
                                 広州市内東風道路から主要幹線道路(有料)に乗って暫く行くと、雨が降り出した。これが南国
                                のスコールかと思わせるような雨で、強烈に車を襲い、運転が危険な状態まで行った。若い運転手
                                は先を急いでのろのろでも走行を維持していたが、そのうちに路面も水が溜まった状態になり、つ
                                いに車は止まり、そればかりかエンジンが止まってしまったのである。
                                 慌てた女性のガイドは運転手を責めたり急かしたりしている。若い運転手は携帯電話を出して何
                                処かへ連絡を取ったり、オロオロするばかり。ガイドは喚くばかりなので、仕方なし私は運転手に
                                 運転席脇のフロアーカバーを外してみるように指図して見た。案の定、水しぶきを上げて豪雨の中
                                を走ったためかエンジンの下のパンにたまった水がエンジンルームに飛散して濡れている。ボック
                                ス型車のエンジンは運転席の下にあるため良くあることだ。
                                 自信があったわけではないが「恐らくこれが原因だろうから、水を落として30分このまま待て
                                ば治るだろう」と言ってやった。
                                 ――雨はそのうちに上がって今度は青空になってきた。20分くらい待って運転手がエンジンを
                                かけるとブルン!とエンジンは始動した。以後事なきを得て深センへの旅を続けた次第である。
                                 少し役立って良かった。

                                                            ○

                                 ★深セン市街地
                                 深セン市(Shenzhen)は中華人民共和国広東省に位置する副省級市。香港の新界と接し、経済特
                                区に指定されている同国屈指の世界都市であり、金融センターとしても高い重要性を持つ。
                                 2010年の近郊を含む都市的地域の人口は 1,447万人であり、中国本土では北京市、上海市、広州
                                市に次ぐ第4位である。
                                 住民構成の特徴としては移民都市であることがあげられる。元来は宝安県として一集落に過ぎな
                                かったものが、改革開放経済の過程で外部より労働人口が流入して都市が形成され、広東省であり
                                ながら広東語が使われる比率が極めて低い地域である。

                                 ガイドに頼んで、できるだけ市街区の主要部を走ってもらった
                                 深セン市のうち、羅湖区、福田区、南山区、塩田区の4区のみが長らく経済特区と指定されてい
                                たが、2010年7月1日には市内全域に拡大されたのである。経済特区は中国人でも入境許可が必要な
                                地域となっている。近年はほぼ自由な通行が行われてはいるが、国家行事が行われる場合などは検
                                査站(新城検査站、南頭検査站、など)で、入境許可証や旅券の提示を求められることがあるらし
                                い。
                                 やはり他国から進出してきたと言える企業の入ったビルが多かった。広州と比べても圧倒的にビ
                                ルの数が多いことは街並みの続く様子で分かった。日本の電機メーカーのブランドマークを掲げた
                                工場も、日本企業の広告塔も多かった。 

                                 周代までの深センは百越部族の支族とされる南越部族の居住地であったのだ。中国の史書に登場
                                するのは前 214年の秦代であり、嶺南地区に南海、桂林、象郡の三郡が設置された際に深センは南
                                海郡に区分され中原文化との交流が開始された。
                                 現在の深セン市に相当する行政区分が史書に登場するのは 331年の宝安県設置である。東晋はこ
                                の地に6県を設置し、それを管轄する郡として東官郡を設置し現在の深セン市、東莞市及び香港が
                                ある一帯を管轄しており、群治が宝安県(現在の南頭地区)に設置された。唐の至徳二年(757年)
                                、宝安県は一旦廃止され東莞県に編入された。
                                                                                                 
                                 宋代になると旧宝安県一帯は南方海上交易の拠点となり、また製塩業や米・茶葉栽培で繁栄し、
                                元代には真珠の産地として史書に登場している。更に明代になると東莞守御千戸所ならびに大鵬守
                                御千戸所が設置されると共に、1573年、旧宝安県の部分に新安県が設置され華南地区の海上交通や
                                政治の中心となっていた。

                                 清末になると南京条約や北京条約により新安県の一部であった香港島及び九龍半島をイギリスが
                                租借するようになり新安県が分割されると同時に、境界付近の深セン墟という墟市(定期市の建つ
                                町)が香港との国境の街として栄えるようになった。深セン墟は現在の深セン中心街の東門商業区
                                にあたる。
                                 中華民国が成立すると1913年に新安県は宝安県に改称されている。
                                1953年、広深線の開通により、深セン地区の人口が増大し、商工業が発展していくこととなる。
                                 また同年県政府を従来の南頭より東に10キロメートルほどの深セン墟へ移動し、現在の都市構成
                                の土台が出来たのである。
                                 その後、イギリスの植民地かつ自由港であり、中国への窓口として経済的に発展していた香港と
                                隣接する地理的重要性から1979年 3月、宝安県を省轄市の深セン市に昇格させ、1980年には改革開
                                 放路線を採用したケ小平の指示により深セン経済特区が指定されて、より急速に発展した。なお、
                                 1981年副省級市に昇格し、1988年省級経済管理を認められている。

                                                           ○

                                 ★錦繍中華縮景区
                                 午後に広州を発つという短い訪問である為、私達はガイドが組んであったスケジュールに従って、
                                「深セン錦繍中華縮景区」というミニチュアランドの見学に入った。市街地の西、深セン湾岸に中
                                国民族文化村と並んでいるイベントテーマパークである。
                                 中国の歴史、文化、芸術、民族に関する建物や遺跡を縮小して再現している30万u以上という
                                広大な園内には、万里の長城、一昨日見てきた龍門石窟、楽山大仏、石林、寒山寺、山海関、ポタ
                                ラ宮など82カ所のスポットがあり、建築物は実物の15分の一の大きさで忠実に造られていて、
                                愉しめた。ここで中国の主な観光地を見学した気分にもなれた。
                                 園内を一回りして、参加メンバーは園内の錦繍中華食府で夕食を食べた。何軒かの中華料理店、
                                鉄板焼きの店、韓国料理の店などが食堂街をつくっていた中で広東料理の店に入った。豪勢ではな
                                く3〜4品を見つくろったが、味付けがきつくなく旨かった。
                                 その後、ここでも民族踊りのショウが観られると言うことで入場することになった。
                                 仰々しく、観客は白い馬が引く王族の馬車に乗って会場に乗り付ける嗜好もあり、約1時間の公
                                演を観た。煌びやかな王族の衣装を纏ったダンサーの大勢登場するステージだった。

                                 深センからの帰路に着いたのは8時を過ぎていた。
                                「ついに深センにも来たか――、」という感激もあったが、何か物足りなさも感じつつ車中の人
                                となった。
                                 深センの「セン」の字(漢字)は漢音では「しん」と読むため、深センは「しんしん」と読むの
                                が漢音での読み方だそうである。しかし、センの旁(つくり)である「川」の字からの類推で「せ
                                ん」と読まれるようになり、日本語ではこの都市を「しんせん」と読んでいるとのこと。この街も
                                幾多の川が流れているが、そこには深く歴史上の妨げにさえなった物語でもあったのだろうか―?

                                 ハイウェーはずっと街灯りを見下ろす高いところを走り続けた。
                                街は九龍半島の西側付根部分に位置し、塩田港など巨大なコンテナ港湾を有し、北は広東省東莞
                                市と恵州市、南は特別行政区・香港と接する。見える湾の向こうは香港なのである。

                                 その日もそれから広州へ戻ると10時を過ぎると言うたっぷりな1日だった。
  
 

  
 錦繍中華縮景区で中国名所巡り?故宮で              王族の舞踏ショー        

* 7.広州観光
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