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車窓から見たカルガリーのオリンピック公園
眼が覚めたら3時40分であった。窓に激しく雨が当たって弾けている。部屋の外側に取り付けられている
サーチライトに湯気が立ち、湯気が風に飛ばされている。風もきつそうだ。
“やっぱり晴れの天気は昨日でおしまいか”と思いながら、それでもモントリオールの街も歩いて見たい欲
求に駆られて傘を持ってフロントに降りる。
外に出てみた。
どうやら携帯傘では太刀打ちできそうもない。土砂降り、風も予想以上だ。それに寒い。50m歩いたくらいで
引き返してしまった。
4時30分モーニングコール。5時15分荷物の取りまとめ。メンバーは眠そうな顔をしながら、朝食をとっていた。
天気が良くないので、皆沈鬱。
私たちもバターつきパンとマフィンで朝食を済ませた。温かいコーヒーが生気を再生してくれるようだった。そ
れに運転手のブルースさんの、元気な挨拶と雨合羽を着てセッセとキャリアバックを積み込む姿が気強く、励
まされる思いだった。
モントリーオール・ドルヴァル空港には6時30分に着いた。私達はカルガリーへ向かうのだが、フライトはミネ
アポリス経由ということになっている。
入出国手続きをしていると、私たちの荷物をすっかり運び終えたバスの運転手ブルースさんが、バスのドアー
を閉めてグループに近づいてきた。彼は律儀に挨拶をしに来たのだった。
「ありがとうございました!」と両手を脇にそろえて深くお辞儀をする。皆振り返って手を振る。
気持ちの良いエールの交換だった。私も大層お世話になった。「ありがとう!」と大きな声を出して手を振った。
――そうだ、お世話になったのはこっちだった。――優しく親切を尽くした彼は、ここで数日の自分の仕事を無
事に終えて、トロントへ帰るのだろう。“そうだった、昨日からもっと親しく、いろいろ聞いておけば良かったなー”ス
マートな紳士だった。駆け寄って肩を抱きたいような気がして、こみ上げるものがあった。良い人にめぐり合える
のはとても素晴らしいことだと思った。ミスターブルースのバスは快適だった。良い思い出になった。
ミネアポリスへのフライトは遅れた。雨の吹きつける86ゲートのガラス窓を見つめていた。私たちの乗るSafety
FeatureA320と胴体に書かれた機が、機体の横腹を開いてコンベアーから荷物を飲み込んでいるのが見えた。
私のブルーのスーツケースと、はなの紺のキャリングケースが、作業員によってコンベアーに放り上げられ、中
へ入っていった。「あっ、うちのだ!」と叫ぶと、隣の人達も、「私の!」「うちの!」ととんでもないものを発見したよ
うに見入った。
案内にはノースウェスト1791便とあったので、ノースウェスト機だとばかり思っていたのだが、昨今の共同運航
なのだなと解ったように見ていた。ところがどうしたことか、ほとんど積み終わった頃、コンベアーは中のものを再
び外に吐き出し始めたのだ。“あれ!どうしたのかなー”この機じゃないのかなと思ったりしていると、なんとまた、
出し切った同じ荷物を積み込み始めたではないか。私達は、とんだ暇つぶしを見物していたわけであった。
雨は空港の舗装を水浸しにしてますます強く降っているように見えた。
1時間も遅れただろうか、すらっとした男性のアテンダンスが、横6列の真ん中の通路をベルトのチェックに歩い
てから機は飛び立った。クルーの数がやけに多いなと思ったが、そんなことはあるまい。機が小さいからそう感じ
ただけのことだろう。私たちの席は5EとF、座席としては最高の席だったと思う。
サンドイッチの朝食が配られ、一息ついた頃外を見ると、幸い南下するにつれて雲がと切れたのだろう、朝の
雨が嘘のようにすっきりと晴れてしまっていた。晴れると席が窓側だっただけに、地上が美しく良く見えた。ヒュウ
ーロン湖、ミシガン湖、スペリオル湖、五大湖の繋ぎ目を越えていく様子が良くわかった。
ミネアポリスでのトランジットは、旅の時間としてはとても無駄に思ったが、五大湖をこれで全部眺めたと思うと
報われた気がした。空から見た湖の青に、織り成す周辺の紅葉がカラフルな絨毯のようだった。
一旦アメリカを通過するとはいうものの、入出国手続きはすべてモントリオールで出来るのだそうだ。ミネアポリ
スの乗り継ぎは時間のタイトがかえって我々には効率よく働いて、トントンと進んだ。
ノースウェストのミネアポリス〜カルガリーNW402便はジャンボ機、モントリオールからの2時間に加えてさらに
2時間30分、長い旅のように思っていたが、中間にトランジットが入ったためかそんなに退屈は感じなかった。そ
れに、眼下の大陸に続く、湖沼の数々と自然の繰り広げる秋の色彩のシヨーが時の経つのを忘れさせてくれた。
西へ向うにしたがい雲が多くなった。そしてカルガリー国際空港への到着は曇り空の中、13時30分ほぼ予定
通りであった。
私たちの行程は、カルガリーからバンフへ直行、夕方のバンフの街で寛ぎ、明日カナディアンロッキーの氷河を
体験することである。
カルガリーは文字通りカナディアンロッキーの玄関口であるが、1998年の冬季オリンピックの会場になって国際
的に有名になった。
風次郎がこの町に関心を高めたのは、前島孝氏(当時専修大学スケート部監督=現東海大学教授)による。
氏は当時日本のスケート選手では抜群のスターであった黒岩彰選手の育ての親で、彼を育ててカルガリーに臨
んだが、その後この地が気に入って数年滞在したままだった。私は氏と富士見小学校の同級生で共にスケートの
手ほどきを受けた頃の仲間だが、オリンピックの後、私の仕事に彼を講師として招きたいと連絡を取り合ったこと
がある。その頃から氏が帰って来たくないほど素晴らしい別天地はどんな所だろうと思っていた。
今回の旅は、バンフからカナディアンロッキーを訪ねるコースになっており、カルガリーの滞在はないもの街の様
子を垣間見ることができる。心中には前島氏の親しんだ街に触れる、そんな楽しみもあった。
カルガリー国際空港は市街地から北に離れており、ボー川の畔にある市街地へバスは国道2号線を南下した。
そして市街地からこんどは大陸を南北に縦断する1号線を西へ向かうのである。
1号線に入る頃から遠くカルガリーのビル群が眺められた。最早暖房も始まっているのだろう、ビルの上にはそ
の煙が見えていた。東部の紅葉最盛期を過ごしたばかりだったので、曇り空と少し色褪せた木々の葉色は寂し
げな印象をもたらした。やがて飄々とした山の手が現れ、オリンピック公園が見えた。
私は少し感傷的になって、前島氏との子供の頃を思い出しながら、一方で熱狂のスタジアムに在る氏の姿を想
像しながら、バスの揺れに身を任せていた。
大平原の中を進むような感じにバスは走っていた。そして一時間が過ぎ、行く手にロッキーの山並が見えてきた。
彼方に遠く低く雲の下に連なる山脈であった。
ロッキー山脈が見え始めた