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JFKの墓石と灯火
10月ではあったが、夏を思わせるような午後の暑い陽射しの中をアーリントン墓地のビジターセンターから小高い
丘のほうへ登っていく。坂を登りつつ、
「そう言えば、私の家の墓も本家の墓も坂を登ったところにあったな――」
などと、他愛のない思いが過ぎった。
人だかりが少し多くなっている場所があり、それが目指すケネディーの墓であることがわかった。
だが、たどり着くと、どうしたわけか緊張して足がつっぱり、顔がこわばってしまった。
マクナラン氏とはなと私の3人でその墓地の前に立つと、はなが、
「ああ、やっぱりジャクリーンさんのも並んでいるわ」 と言った。
確かにJ.Fケネディーと夫人ジャクリーンの名前が刻まれた墓石が置かれていた。
だが、――どうしてだろう。私は体中がこわばり、汗が体中に噴出し、体が熱くなってしまった。大した風もない日
だったし、歩いて坂を登ってきたせいもあったのだろうが、墓前に動く人々が揺らす空気の流れさえ、熱風のよう
に感ずるほどだった。熱くて、J.Fケネディーの墓石に向かって手を合わせると涙が出てたまらなかった。
わずか42歳、当時東西冷戦の真っ只中にあって、大国U.S.Aの大統領に就任し、その全精力を傾けつつも、
事半ばにして凶弾に倒れた若き英雄であった。その彼の姿勢と行動に、全米の人々は勿論、全世界の人々が期待し、
どんなに頼もしく思っていたことだったか。
自由を守るために立ち上がろう、とのアメリカの伝統を背景に動いた彼のときの、一瞬の出来事だった。
彼が国民に呼びかけた第一声、
『諸君は国家が諸君に何をしてくれるかを考える前に、諸君が国家に何をなしうるかを考えるべきである』と、彼の
名言がガーンと頭の中に響くのであった。
マクナラン氏が東京の米国大使館に赴任していた頃、新宿の氏のマンションを訪ねた私はケネディーに対する私
の思いを伝えたことがある。すると彼は傍らのレコードライブラリーの中から1枚のレコードを出して、私に貸してくれた。
それはケネディーが倒れた直後にニューヨークタイムズが製作したケネディーの演説集であった。私はそれを家に
借りて帰り、入念にテープに移して堪能したものだった。その後あちこちから、演説集の翻訳本や、ケネディーの若い
頃からの愛読書などを集めたが、就任演説のこの言葉ほど“衆智を束ねて自由の国へ”と導く彼の姿勢を素直に訴
えるものはない。
今ここで、今日は静かな平和。周囲の人々の静かに語る言葉や、若い人の時々発する甲高い声が耳に入ってきた
が、それらは全部“平和”を謳歌する声として私の耳を通り過ぎて行くのである。
――こんなに平和な世界がここにある。太平洋を越えて、はるばる日本からやって来ても、こんなに美しいワシントン
を望む丘で多くの国の人々と共に、溢れる秋の光の中で祈ることが出来る。
“これが平和と言うことなのだ!”とJFKが語っているような気がするのであった。
しかし一方で、ここから望む議事堂前の広場では、近く100万人の黒人が集うと言う。それは何なのか?歓喜のため
に集まるのか?何かの戦いの為なのか?そうではない、“差別からの自由への道”だと言う。
その向こうの、ついさっき見てきた宇宙博物館では50年前に広島に原爆を落とす任務を実行した人々が、“それは戦
争を終わらせる為に必要であった”と世界の人々にビデオで叫んでいる。
私の私に対する疑問が沸き起こってきたが、これらはかつて、JFKが数々の矛盾の中で、一歩づつ前進を願って、
現実的な解釈に勇断を加えていった多くの問題の中の一部だと思う。
問題は常に解決される為にあるとも言われるが、不幸の種であることも間違いない。
彼は若く勇敢で、現実の問題解決に対処して挫折がなかっただけに、美しかった。だから“もし彼が生き続けたら――”
と言う期待は大きく尾を引いている。
期待は期待として残されたものが受け継げれば良いのだが、平和は尊い夢であり、楽しいことなのに、いつの世でも
期待することが難しい。
私は潤んだ眼で茫然としたままだった。マクナラン氏が、「これが有名な彼の演説です。」
と示す碑に刻まれたその文面をしっかりと捉えることができず、
「I know.」とだけで済ませてしまった。
現物をしっかり読んで帰るべきだったと今は思っている。
どうした訳もなく、どういう矛盾なのか、私は早くアーリントンを去りたくなって、先のことは何も考えられなくなり、
「地下鉄に乗って帰ろう――」
と言ってしまった。
まだ陽も高かったし、3人とも疲れてはいたがタクシーを使えば他の記念館にも寄れただろうし今考えれば、ワシント
ン市街の街路の印象くらいは観て廻れた時間だったと思うと残念だ。
しかし、それほどの感激とショックを受けたアーリントンの思い出は、生涯忘れ得ぬものとなろう。青空の下、熱い思
いの一時であった。
私にも若さとともにあった時代があり、世界の英雄に熱い眼差しを向けた青春を思い起こした一時であった。
ワシントンD・Cでの感激は、世界の覇者アメリカの誇示とも思える程「美しくも巨大なモニュメント群」への感嘆であり、
「アノラ・ガイ」への抵抗であり、「ケネディーの墓地」での激昂である。
勇気ある者を失った社会は不幸だ。勇気は善意とともに尊いのである。