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CCAPITALのベランダにて
Mr.Donが休暇をとってワシントンDCを案内してくれるとのこと、かよ子夫人の作ってくれたおにぎりと味噌汁の朝食
を美味しくいただいて、Donさんの車で出発した。
今日もよい天気だ。
昨日来た牧場と森の中の道を駆け抜けて約1時間で地下鉄グリーンベルト駅に到着した。
駅前には数百台の車が整然と並ぶ広い駐車場があった。自動車交通に関する公共の手当ては本当に素晴らしい
と感ずるばかりである。しかも、もっと驚いたことは、地下鉄に乗ると、次のカレッジパーク駅には自家用飛行機の駐
機場が併設されていたことだ。何と、数十機の飛行機が滑走路に続くスペースに並んでいるのである。ワシントンに
通うハイクラスの通勤者が利用しているらしい。これにはびっくりして慌ててカメラに収めた。
地上を走る地下鉄は5つ目の駅フォート・トッテンで乗換え、地下に潜って3つ目のユニオンステーションで降りた。
どの駅も新しく見え、清潔であったが、ユニオンも床が油で磨かれピカピカしていた。合衆国の鉄路玄関としての
顔であり貫禄もある。
私たちは先ず明日ニューヨークへ帰るAMTRAKの切符を買った。Donがカウンターで話をしてくれたので、今回は
全く心配なくボルチモア・ワシントン・インターナショナル・エアポート駅で乗る切符を入手できた。ニューヨークのペンス
テーションに9時ごろ着くためには、この駅で乗ればワシントンからより1時間ほど時間が稼げる。6時24分のメトロコ
ーチを予約できた。
ニューヨークではこのことで随分悩んだのでほっとした。
駅を出ると白い議事堂を左にモールの緑が続いていた。駅の前に並ぶ国旗と州旗が半期になっていた。2日前ネバ
ダ州でAMTRAKにテロがあり、人が亡くなっていることを思い出した。
キャピタル
議事堂は総大理石、階段の手摺に至るまでだ。感嘆した。Mr.Donが手配してくれてInternational Guest Passが取れ、
上院の本会議場に入った。私には合衆国の本会議場としての広さが思いのほか狭いように感ぜられた。
議長席の周辺で4〜5人の議員らしき人達が打ち合わせをしており、なかなか本会議が始まりそうにないので、別の
部屋に廻った。昔裁判が行われた部屋とか、その他幾つかの部屋に入ったが、あまり刺激的なものはなかった。
いろいろな国の人が見学に訪れているとのことだが、、彼らの話す言葉がそれぞれ異なっている程度のことを薄々感
ずるぐらいで、東洋系はともかく、全く同じに見えた。
はなはガードマンが金属探知機を使うときハンドブックの中まで掻き回すのを気にしていた。カメラは議場の入り口で預
けさせられ、長い廊下を往来するのに時間を浪費した。
議事堂は外からの純白の堂々とした姿が実にすっきりと眼に映った。何枚もの写真を撮った。
宇宙博物館
1848年、イギリスの科学者ジェームス・スミソンの遺言により合衆国に寄贈され、国家機関スミソニアン協会に属して
いる博物館群は絶大だ。
今回私は広島に原爆を投下した「ANORA GAY」の展示を見ることに
関心が高かったので、見たい美術館群を割愛して宇宙博物館へ向かった。
入り口には月探索宇宙船「アポロ」の実物が展示されていた。
肝心の「広島に原爆を落としたB29=ANORA GAY」。そのコーナーは四角の壁でかこわれたスペースが大勢の人
で賑わっていた。磨かれたジュラルミンの機体が異様にピカピカ光っているのが気に止まった。爆撃機という、そして原
爆を積むというイメージから、汚れとか、黒っぽい想像していたので意に反した。翼はその一部しか見られなかったが、
2〜3mあるあの原爆の模型を抱いた実物機には異様さを禁じ得なかった。
機体は20mほど、その中央部は大半が原子爆弾を取り囲む空間として当てがわれ、クルーは機体前頭部と後尾部
の往来を円形パイプ内を這って行き来していたようだ。
室内を2往復してこれを眼に収め、最後の部屋で今生存するクルーの証言のビデオを見た。
彼らの発言には“日本は戦争を止めようとせず、「ANOLA GAY」によって戦争を終わらせたのだ”とする国家的説
明が含まれており、日本人として、また原爆を認めない平和主義者には気になるだろう印象を得た。
ここに居る人々のほとんどが米国民外の人々であり、彼等がこれをどのように受け止めるかということを考えると、私
達日本人そして広島の人々がこの展示のやり方に違和感を主張するのは当然であろう。これではアメリカのエゴに過ぎ
ない。広島市の展示に対する配慮要請は受け止められなかったようだ。
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アメリカの宇宙研究の歴史、アポロの展示、月面への到達に関する展示からは、広く知らされた事柄とはいえ現物に
接すると新たな感激として蘇ってくるのだった。
3人で2階のレストランに入り食事にした。Donはサンドイッチ、はなもサンドイッチにしたが、私はピザをとり一片をは
なと交換して食べた。ピザはかなりのボリュームがあったが腹が減っていた全部食べきったのでDonがびっくりしていた。
コーラがスキッと喉を下った。
午後一時を廻っていた。
私達は時を惜しみ、モールを横切って商務省の巨大なビルを右に見ながらホワイトハウスに向かった。青天下、歩くと
汗さえ出て、このモールの広さ、大きさは余計身にしみた。
近日、黒人による100万人集会がここで行われるとのこと、大きなテントが準備されている。昼時であり、ランニングす
る人や散歩でくつろぐ人々の姿を見るのは、東京の皇居前の雰囲気に似ていた。
時間がなかったので、ホワイトハウスはTHE ELLIPSEから正面を眺めるに留めた。
その後は内務省を右にして、池のほとりを進みベトナム戦争で死亡した人々の名を刻んだ鎮魂の碑壁を見舞った。
Don(彼は19歳のときから2年間兵役を強制された―今は強制はない)が、自分の出身地(ウィスコンシン州)の仲
間がこの碑に2名居るといって備え付けの名簿から探し出し私たちに示した。私たちに主張の権利はなにもないが、
Donにしてみれば腹からの感情が出てくるのだろう。縁あって、その後の彼は日本の大使館勤務となったが、日本へ
の批判を含めて、アジアへの見方も含めて彼には何か言いたいことがあるのに違いない。
戦争は不思議な人類の争いだ。
リンカーンメモリアルとワシントンモニュメント
こちらも白い大理石の建物であるリンカーンメモリアルへ登った。
左側が工事中であったが、石段を上った建物の奥に大きなリンカーンの坐像を見た。そして有名な“人民の人民に
よる――”を掲げて政治を行ってきた有名な演説が背後に刻されていた。
坐像の先にたって東を見るとまさにRefrecting Poolに浮かぶワシントンモニュメントが青に白の映像のように眺めら
れた。キャピトルも端正に綺麗だ。
大きなモールのレイアウト、数々のモニュメントは全く白く輝きアメリカを誇示している。
この美しさこそ誇りと言わんばかりの光景だと思った。
カレッジ・パーク駅前の通勤自家用駐機場