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風次郎の世界旅
 アメリカの思い出
(3)

music by KASEDA MUSIC LABO

     
     自由の女神像

3.ニューヨーク・デイタイム

            6時前に置き、朝のニューヨークを実感しようとタイムズスクエアに向かった。
            ホテルをで出る頃やっと空が白んできたが、7番街を下っていくとタイムズスクエアはまだ人もまばら、昨夜の賑わいの名残の
           空気が漂っている。
            間口の狭い奥行きのある店舗を構えたファーストフードの店が、白んだ朝の気の抜けた電燈に照らし出されている。
            店員はすでに朝の活動を始めていた。朝早くから出勤してきた人たちだろう。窓に水をかけたり、道を掃いている人もいる。
            6時40分まで歩いてみようと思って、ブロードウェイをどんどん下っていった。
            邸宅と思しき旧い建物があった。真っ黒くすすけた教会もあった。年代物の変わった建物があれば止まり、ハングルも漢字も
           見上げたりして歩いた。
            マジソンスクエアを左手に見、ユニオンスクエアまで行った。公園内にはいくつかのモニュメントがあったので、ひとつひとつ眺
           めて歩いた。
            帰りはアメリカンアベニューを歩くことにした。ペンステーション周辺の出勤時間を体感しようと思った。人々はいそいそと歩い
           て仕事場へ向かうのだろう。そろそろラッシュの時間帯である。
            東側のビルの谷間から抜けてくる朝陽に向かって駅から出てくる勤め人たちが、颯爽この上なく見える。早足のニューヨーク
           エリートに見える。
            しばらくじっと眺めていたが、体感を胸にしまいこんで、雑踏が激しくなってきたアメリカンアベニューをホテルへ引き返すこと
           にした。

                                                  ○

            白原さんは9時にホテルへ迎えに来てくれた。午後1時までつきあってくれる由である。「セントラルパーク」と「国連」を指定し、
           ラストは「バッテリーパ―ク」で放してもらって良い。ということにして、彼の車に乗り込んだ。
            私たちはそれから「自由の女神」の島へ渡ることにしていた。

            朝のセントラルパークへコロンバスサークルから入って行く。プラザホテルを右に見て、私がマンハッタンに泊まると必ず早朝の
           ランニングをする公園内の道路を走ってもらった。真っ直ぐな並木の道を抜けて広い坂になった道を横切り、メトロポリタン美術館
           の裏側を抜けた。紅葉の木々が朝陽に照らされて美しくきらめき、気分の良いスタートだった。
            はなはニューヨークが初めてだから世界一の雑踏であるマンハッタンのど真ん中に広大な緑の公園があること、その様子に驚
           いていた。

            白原氏は「ハーレムを通って、ワシントンブリッジの方まで行って見ましょう」と言って、セントラルパークウェスト通りからコロンビ
           ア大学の前へ回り、わざわざハーレムの125丁目を回ってくれた。
            セントラルパークの由来、そしてマンハッタンが1枚の岩盤であること、「地下鉄は地表が波打つようにうねっているので、窪んだ
           ところで地上に顔を出しているんだ。」などと運転しながら説明してくれた。
            ハーレムへ入ったのは私にとってもこのときが初めてで、アポロシアターや、薄汚れた壁の教会など、とても興味のある風景が
           印象に残った。聞きかじりから少し怖い感じがして車を止めてもらう気にはならなかったが、デュークエリントンに発するジャズの
           さかんな地であることから、この街への興味はその後も続いている。
            白原氏の車はワシントンブリッジを見下ろし、ハドソン川の対岸ニュージャージーを見渡しながら高台のフォートライオン公園に
           入り、「フロスター」と言う博物館の前で「マンハッタン島も北はここまでかな」と言って止まった。 そこにはアメリカ創世期の資料が
           あるとのことであった。興味はあったがその日は閉館で中へは入れなかった。
            「ここまでは、なかなか来れませんので」と彼が言うので、降りて写真を撮った。
            ジョージ・ワシントン橋の下を流れるハドソン川が凄い速さで流れている。穏やかに続く色づいた木々の葉がうねりその下に構え
           る大岩が、歴史を忘れさせない存在のように、静けさをかもしだしていた。
             J・ワシントン橋は優雅に偉大に眺められた。

             「もう一度ハーレムを通ってくれませんか」とたのみ、来た道を取って返すことにした。
             コロンビア大学の隣にある聖ヨハネ教会の100年を超える年月をかけての改築風景や、博物館になった元富豪の邸宅を眺め
            てから、白原氏はハーレムの映画の舞台となった街角、ジャズ界の登竜門となる幾つもの店等をを案内してくれた。
             125丁目近辺の通りをぐるぐると動き回ったが、おのぼりさんが朝から止まってじろじろと言うわけにも行かず、車中から眼を凝
            らすばかりだった。
             そこにある雰囲気には貧しさが先行し、贅沢や余裕から来るものではなさそうだ。しかし貧困には素朴に感情を表現する特権を
            うかがわせるものがある。もの悲しさと、真実に鋭く迫るバイタリティーが共存するからだろうか。そういった世界から生まれるエン
            ターティナーに贈られている拍手は絶大なもののようである。
 
             普通では行かない方へ廻ってみようと言って、トリボローブリッジを渡って走った。メッツの球場あたりも走り、古くからのスペイン
            人達の墓地にも寄って見た。
             東洋人の街ということでブルックリンの商店街へ行くと、「ここらあたりは物価も安く、日本人にも旨い物が食えるんです」と彼が案
            内するだけに、人々の姿も見慣れた親近感のある風の忙しそうな町並みがひとしきり続いていた。
             クイーン橋を渡って「国連」へ行った。国連は記念日が近いとのことで酷い混雑であった。“無理すること無いかー”と中の見学は
            諦めて暫くイーストリバーのほとりで休んだ。数年前ニューヨークに始めて来て訪れたとき、とても印象深かったので、是非はなも連
            れて来たかったところだった。
             世界の国々の旗が広場を取り囲んでいる中に、世界のあちこちから訪れた人々の顔があった。どの顔も平和に満たされていた。
             万国旗のはためく下の舗道脇に陣取っていたワゴンショップのおじさんからジュースを買って3人で飲んだ。
             有名日本人が住んだというマンション街や五番街を抜け、ワシントン広場の門を眺め、グリニッチ、ソーホー、チャイナタウン、ウォ
            ールストリートなど初めて来たはなに見せるべき場所をあちこち廻ってバッテリー公園へ行った。

             白原氏は役に立つ実用店舗から、人気有名店舗まで懇切に案内してくれたが大して頭に入っていない。しかし、関西なまりが時々
            入り、少し乱暴な言い回しで、親しめる実感のこもった話し方をする奇特な人だと思った。世界貿易センターにあった私の勤務する
            会社の出先に寄るのを止めにして、その為のお土産を彼にやってしまい、お互いにお礼を言い合って別れた。
             昼の陽はどんどん強く照り、ノッポのビルの上に広がる空は真っ青、この上天気は、公園で過ごすにはもってこいだった。芝生の
            上を走るリスたちを眺めてサンドウィッチで昼食にし、「自由の女神」へ向かう船に乗った。

             船は頻繁に出ているようだが天気も良いためか、国際色豊かに混雑していた。駆け込むようにして乗り、上階のデッキの椅子に掛け、
            海風を気持ちよく受けながら30分の旅をした。船がリバティー島の「自由の女神」に正面から近づくにつれ右手にたいまつ、左手に独
            立宣言書の姿が青空に大きく浮かび上がってきた。
             船を下りると案の定、女神の頭まで行くエレベーターへの行列は、待ちきれる長さを超えて、桟橋の近くまで延びていた。
             私たちはそれは諦めて、想像以上に大きいこの像の周りを一回りすることにした。
             女神像は、バソリティーが母と妻をモデルに製作し、1886年アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから贈られたので
            ある。
             新地に夢を託して訪れる人々にアメリカの自由を呼びかける像であった。そしてまた1892年から1954年までの間、希望を胸に多
            くの国からやってきた移民族は1,200万人を数え、隣のエリス島に立ち寄り入国時に手続きと身体検査を受けつつ、この像を眺めて
            この国への第一歩をしるしたという。
             自由を最も尊ぶ国といわれるアメリカではあるが、その自由を訴える印がこの像にも現されていると言われる、その足を見た。その
            美しい自由の女神の足には鎖が繋がれ、その鎖をちぎるために力を入れた右足、この鎖をちぎって一歩踏み出した左足とのことで
            あった。
             像の置かれた台に当たる壁さへも広大なものだった。私たちは海辺のベンチで、女神像とマンハッタンを交互に見比べながら時を
            過ごした。
             アメリカの自由を語る風がマンハッタンから寄せてくるような気がした。


         ハドソン川を見下ろすフォート・ライオンにて        

* 4.AMTRAKでボルチモアへ
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