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風次郎の世界旅
 アメリカの思い出
(10)

music by KASEDA MUSIC LABO

     
     車窓から眺めるフィラデルフィアの街

10.「この旅の帰路(車窓のフィラデルフィア)」

               前夜はDONファミリーとのお別れパーティーを、私たちの主催で近くの日本人が経営する「寿司バー“Fuji”」でささやか
              に終えた。翌朝DONさんが駅まで送ってくれるとのこと、5時半に家を出ることになった。
               5時はまだ真っ暗で子供のいる家庭で早朝ごたごたするのは気が引けたが、かよ子夫人も起きて見送ってくれた。
               家を背景に写真を撮ってなかったので玄関の前ではなとMr.マクナランとみんなで写真に納まってスタートした。
               ところどころに地面から湧き上がるように煙る朝の霧が流れていく。車がカーブを曲がると、静かなオークヒルをヘッド
              ライトの明かりのみがスーと動いて照らし出す。
               ――リスも居た。鹿も居た。アライグマも。何となく懐かしい。
               たった二日間のことなのに、滞在と言えるほどの長さに感ぜられ、別れの寂しさも重なって、運転しているDONさんには
              声もかけ難いほど切ない心境になる。
               それは日本語にしようか、英語にしようか、英語だと感情がうまくあらわせないし、日本語では失礼かと思ったり、もう又、
              しばらく会えないのかとの思いも加わって、お互いに無口だったように思う。

               道路に水を飲みに来た鹿が照らし出された時彼が、
               「あっ、鹿!」
               と言った。その言葉で私たち二人とも、
               「あっ、本当だ!」
               と叫び、又いつもの軽やかな雰囲気に戻った。
               切っ掛けができたのを良いことに、私は英語やら日本語を混然とさせて、何度かお礼を言った。
               Mr.DONはボルチモア・ワシントン・インターナショナルエアポートのAMTRAKの駅へに私たちを送った足で、ワシントンの
              北にあるオフィスへ出勤するという。背広にネクタイをきちんと身に纏っていた。
               二日間の仕事がさぞ溜まっていることだろう。デイリーワークを持つ身には厳しいことだ。
               「マクナランさん、本当にありがとう」

               6時にBWIの駅に到着した。
               待合室まで送ってきた彼は、私の妻の肩を抱き、アメリカの習慣だと言って別れを惜しんでくれた。
               「Thank you,Meet you again!」
               としか言えなかった、が感謝の気持ちは最大のものとなった。
               手を挙げて、彼は去って行った。
               外はまだ暗い。

               乗客は5〜6人、若い青年が来て窓口で電話予約した切符を受け取る手続きをする声が響いたのみで皆黙って座っている。
               皆同じ6時24分の列車に乗るのだろう。
               6時15分になったので私たちはホームに出た。ホームの案内板にFOR BALTIMORE NEW YORK と書いてあるので大丈
              夫と思ったが、念のため後続の人に確認した。
               「All right!」の返事があり、安心した。改札がないと言うのも不安なものだ。駅のホーム係もいない。
               列車は定刻に来て、デッキから降りてきた車掌が、「6:24 For New YORK!」と叫んだので、私達は100%安心して乗ること
              ができた。車掌に、「Good Morning」と思い切り笑顔で謝意さえ表したつもりだったが、通じたかどうか?忙しそうに前のほうに
              歩いていった。黒人の巨漢で頼りがいのある車掌のような気がした。 

               列車がフィラデルフィアに近づく頃あたりはすっかり明るくなっていた。
               私達はニューヨークから来たときと反対側(内陸側)に席をとり車窓を眺めていた。
               ちょうど東側から差す朝日に照らされた景色が美しいに違いないと思うこともあったが、フィラデルフィアには少し思い入れが
              あった。

               それは合衆国建国の歴史をたどるとき、この街は除外して語れないからである。いかに今、「自由の国アメリカ」と言われよう
              とも、「自由・平等・博愛」を掲げてイギリスの圧制から立ち上がった時代があったことをこの街が記しとどめているからである。
               ワシントン、フランクリン、ジェファーソンといった建国の父たちはこの町を舞台に今日の礎を築いたのであった。
               アムトラックがこの街を通過するのは今、街並から外れたスクーキル川の畔であるから、今回ここに下車してその歴史の面
              影を十分確かめることが出来ないことを残念に思っていた。
               さらに、それでもと目を凝らすように、往復このステーションの近辺を車窓からまさぐって見たが、殺伐とした古い建物の残骸
              のようなものが眺められるだけで、彼方の高い建物の先端に朝日が当たっているのを少し見つけられるだけの風景は、とても
              大いなる歴史の面影とはいえない感想に終わってしまっていた。
               私にとって少なからずの落胆であったが、その後司馬遼太郎の「アメリカ素描」(新潮文庫)を読む機会があり、その中で司
              馬遼太郎氏でさえも同様の観を物語っておられるので、納得しつつ苦笑した次第である。
               ☆参考に抜粋
               ------(都市の使いすてというのが、あるのか) とおもうほどのショックをうけたのは、ワシントンからニューヨークに もどる
               途中、列車の窓からフィラデルフィアの鉄鋼製構築物の巨大な廃 墟群をみたときだった。
               ぬしをうしなった造船所や人気のない造機工場、あるいは車両工場といった、十九世紀末から二十世紀半ばまでの花形産
               業が、精一杯、第二 次世界大戦まで生きながらえはしたものの、いま河畔にながながと残骸を さらしている。
               国土のせまい日本ならば、せめて鉄柱や鉄梁ぐらいは片付けて、地面 をきれいにしておくとか、他に土地利用を考えたりす
               るだろうが、ここ は雨ざらしにされたままである。
               そういう、いわば豪儀なことができるほど国土がひろいということも あるのだろう。しかし資本というものの性格のきつさが、
               日本とくらべ ものにならないということもある。この社会では資本はその論理のみで 考え、動き、他の感情をもたない。労
               働者も労働を商品としてのみ考え、 その論理で動く。論理が、捨てたのである。凄味がある。----と、

               フィラデルフィアを見るには自動車で入っていくのが良いらしい。
               氏は続けて、----「かれ(資本)らは、どこへ行ってしまったんだ」と、私は思った。そのきわだった立ち去り方を見るには、
               フィラデルフィアの街のお尻を、鉄道線路の側からみることである。----とも言っている。

               どうやら私が見てしまったのは、“フィラデルフィアの街のお尻”であったらしい。

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