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風次郎の世界旅
2011サンフランシスコ雑感
(8)

music by KASEDA MUSIC LABO

        
       森の中の教会  

        8.思うがままに過ごした日々

                 
                 長男の家のメンバーであるシルキーテリア犬テディーを連れて、はなと散歩に出
                た。
                 坂道を登って丘の頂上をやり過ごし、先のモラガ通りへ下って行った。
                 カリフォルニアの陽射しは突き刺さるほどの強さを感ずる。最早夕方の5時を過ぎ
                てなのにである。でも今は暑くはない――。

                 昼間行ったオリンダ駅前の小さな商店街には銀行の店舗と日用品と食材のスーパー、
                花屋、クリーニング店、本屋など、考えてみるとそれでも一通り揃っていた。さらに、
                脇の小路を入った一角には映画館も、またイタリアンなど数軒のこじんまりしたレス
                トランもあって、寛ぎの時を求めてくる人が結構いるのだなと感じさせられ、新興地
                とは言っても相当の人口を抱えていることを知ったのだが――。

                 このあたりは、実にゆったりしている。
                 坂を下ったところに教会があった。
                 礼拝堂の扉をそっと押すと、薄暗い室内に射し込む光が、線を描くように広がって
                いった。
                 ――そうだカリフォルニアの陽の光は、朝に夕にとても長く伸びて照らすのであった。

                 300人はゆうに座れる礼拝堂は、他の地の何処で見たものとも異なる様相は無か
                ったが、森の中にあると言うだけの閑けさが違っていた。
                 ヨーロッパの街やアメリカの他の街でも繁華街の喧騒を逃れ、教会の静けさを求め
                て一時を過ごすことは良くあるのだが、山に囲まれた中の教会に身を沈めるのは初め
                てのような気がした。
                 仏教であれば、寺は○○山の冠名を戴き、その多くは文字通り山にあるように、森の
                教会には、そんな共通の「気」を感ずるのだった。気は東洋思想の原点である。やはり
                私は日本の民なのだ――。
                 人は誰もいなかった。それはむしろ幸いした。

                 静けさは良い。
                 人はあまり急ぐことに慣れてしまい、止まって振り返ることによる貴重な感受性を
                見つける時を忘れているのではないだろうか。
                 ここでは「気」が静かに流れている。

                 カルフォルニアの夕陽は落ちた。

                 礼拝堂を出ると、教会の敷地の先に連なるモラガ通りを、近代化の道具として君臨
                している自動車たちが、早いスピードで列を成して山間の道路を飛んでいく。
                 最早私たちはスピードを抜きには生きていけなくなってしまったのか?と、当たり
                前の風景につい過るものがあった。
                 世界を覆っている文明の最先端を、今が見つめる時であるならば、そうだ、「原子
                力を」「宇宙を」ここで歩を休めて振り返るときであってくれれば良いのだが、など
                と思った。
                 車の列を見て、つい、頭の中は混乱を始めそうになる。

                                   ○

                 私とはなとテディーがオラガ通りの舗道に戻り、脇を流れるせせらぎの辺に、名も
                知らぬ紫の小さな花を見つけて時を過ごしている。
                 そんな時を持てば、踏みとどまった一時の安らぎこそ、静かに歩む時の贈り物でも
                あろうかと――文明への憤りを忘れるのであった。

                 今日、時の流れを追って、NYへもワシントンへも出かけたいと思っている。
                 それはそれ、時の流れの速さを追いかけず、時代に置いてけぼりを食わされて済むよ
                うでは、私の本能が捨てきれない欲望に飢えるからである。 

                 あの日、ひとすじの雲が青空を遠く遠く走って行くのを見た。
                  「早い飛行機だ。」おそらくあの機も文明の時の流れの中での働きを、生き物のように
                 貪っているのではあるまいか、などと錯綜しつつ。
                  思うが侭に過ごし、感ずる中に矛盾の多い、サンフランシスコのひと時であった。
                                                         (2011年6月)
                                                             風次郎   


SFIからベイの向こうに丘陵地帯を望む

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