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風次郎の世界旅
2011サンフランシスコ雑感
(7)

music by KASEDA MUSIC LABO

        
              murutipurpose room と孫娘ミサ  

   7.オリンダの街とインターメディエイトスクール(Inter mediate school)―2―

                   以前、アメリカの教育の基点について考えたことがあった。
                   それは自由の尊重、活発な自己主張の世界を理解するために、アメリカに大いなる関心
                  を抱いた頃だった。「複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち」(現在
                  は文庫本になって 新潮で出ている)と言う本が売れた時代だった。
                   ちょうどコンピュータ社会に突入した頃で、以来世の中はありとあらゆる情報を詰め込
                  んでガラガラポンみたいなことが容易に手法として用いられるようなことの多い、何とな
                  く安直な世の中になっていった様な気がする。やがてそれはグローバルスタンダードとい
                  った誰もが平準化を可能にする風に変わり、時代は巡った。
                   平準化は面白くなかったのであろう。弱肉強食で闊歩する世界の経済の旗手達にはそれ
                  では不満で、新自由主義いわゆるニューリベラリストが、一方のネオコンの発想と距離を
                  置いたり、或いは組んだりしながら、ITを駆使したアメリカ流が罷り通る時代に移行し
                  たのであった。自由主義である。個性も尊重せよ、と。「伸びる者は伸びよ!」「それに
                  よって充たされぬ者も引き上げられ、社会が豊かに、繁栄を司るのだ!」と。
                   しかし社会における行為の行き過ぎは是正を迫られるに至り、されば、経済は今、是正
                  が必要な時代に入っている。その犠牲になったのは今回も市民で、自分の住宅を持ち、そ
                  れを担保に家計財務を積み上げていくVision、これまでのサイクルは頓挫している
                  のである。
                   今、リセッション、痛みを伴う「修正」の段階であろうと思う。
                   何を是正しなければならないのか。考えなければならないことは、
                     1.「心の価値」言わば人間性を重要視すること。
                     2.それは、自分が守るものと、共有すべきものを明確に認識すること
                     3.そして、行動する、参加すること。ただ見つめないこと。ではないだろうか。

                  だが、この言わば挫折を踏まえてさえ、この国の「自己主張を伴う自由の尊重」精神は
                 生きている。論は都合よく、人間性では、個性を奪わず、個性を大切に、注視しなければ
                 いけないと叫ばれ続けているのである。
                  アメリカの自由に対する寛容性は世界の憧れであるといっても良いだろう。
                  自由を守る為の執拗な取り組みも他のどこの国の追随も赦さぬと言って良いと思う。
                  経済の自由主義の行き過ぎは共同体を守る上では受け入れがたいが、人間性における自
                 由は好もしく思われてならない。それが故に、日本人にもたらされるノーベル賞の数々さ
                 えも、この国の勉学施設、研究施設といった環境によって育まれたものが多いことは事実
                 である。だから世界はそこにあるひとつの憧れを評価していると言える。

                                            ○

                  家から丘を越えた反対側の南向き斜面に、オリンダインターメディエイトスクールの平
                 屋建ての校舎が連なっていた。
                  駐車場から近いところにマルチパーパスルームと言われる体育館のような建物があり、
                 そこから各校舎は吹き抜けの渡り廊下で結ばれている。建物が並ぶ中間あたりの野外に、
                 キャンプ広場のようなテーブル、椅子を配置した芝生スペースがあって、そこは生徒たち
                 の休憩時間や昼食時を過ごす交流の場になるらしい。校庭がその向こうにあったが、比較
                 的狭くバスケットのゴールがちょこんと立っているだけ。野球や陸上競技の施設が中学に
                 置かれるということはまず無いとのことで、それは別の団体の仕事(専門教育)になるら
                 しい。
                  オープンスクールは、全校生徒による音楽会から始まった。この日のために生徒一人一
                 人が好きな楽器を決めて練習に励んだとのことで、プログラムはクラシックからジャズま
                 で、大変バラエティーに富んでいた。
                  最初に参観者への挨拶に立ったのは黒人の校長であった。何とこの学校で教師、生徒含
                 めて黒人は氏一人だけの由、恰幅の良い、気丈夫そうな人柄を見たが、この地域が暗黙に
                 白人居住区を示している現われかとの思いを持った。それにしても新しい環境づくりに敢
                 然と身を投じているかの印象を持ち、私は頼もしさをも見出した感を味わった。因みに日
                 本人もミサ一人とのことだった。彼女は言葉こそNYの生活が役立って不自由はしないも
                 のの、なかなか友人が出来ないことを嘆いている。この地でのまた新しい体験が彼女の将
                 来に良いインパクトを与える事を祈るばかりである。
                  校長は「伸び伸びと逞しく学校生活をエンジョイさせたい」と語って、笑顔を見せた。
                  コンサートを指導した音楽教師も大柄な男性で、生徒が希望する楽器を使えるようグル
                 ープ作りを配慮したと語った。プログラムによるとクラシック系の3チームとジャズバン
                 ドが2チーム、ミサはクラシカルなストリングオーケストラにバイオリンを携えて参加し
                 ていた。
                  クラシック系ではブラームスやベートーベン、ヘンデルの伝統的な曲の部分を数曲、そ
                 して若い人達の主張であろう、最後にジョン・レノンの「オブラディ,オブラダ」が演奏
                 された。
                  ジャズバンドは、もはや中学生となれば個人レッスンを受けて、相当なレベルの力をつ
                 けているメンバーが大勢いるようだった。ドラマーなど6人もいて、これは交代での登場
                 とせざるを得なかったのだろう。トランペットやサキソフォーンなどの奏者も堂に入って
                 いたし、何より素質が見え初めて上手なものはそれと良く解る見事な演奏を聴かせていた。
                  楽しい2時間だった。

                  教室が参観者に解放されて、教師との歓談にも応じていた。この機会にと待ち構えてい
                 たかの父兄が、何処の教室でも教師を厚く取り巻いていた。私は言葉にも自信が無かった
                 し、アメリカ流の活発な意見交換に圧倒されそうな空気を肌に感じるのが精一杯だった。
                  教師にあてがわれた担当教科の教室に、生徒が時間割に従って移動していく日本の高校
                 スタイルの授業が行われているようである。ミサのクラス担任は科学の先生だったから、
                 ホームルームの教卓の周囲はPCとプロジェクター、資料キャビネットや教材標本などが
                 いっぱい。生徒の席はどの教室も6〜8人のグループテーブルで、指導はグループディス
                 カッションを最重視、自発的な意見発表により個人の力を引き出す、と言う方法を学校と
                 して掲げているとのことである。
                  従って教室に於ける生徒のグループ分けは教師の最も配慮を要するところのようである。
                  遅れてしまう生徒への対処が気になるが、それが日本的?と言うことなのか?聞いてみ
                るチャンスは無かった。
                  生徒の提出したレポートがこの行事のために随所の壁に張られていたが、やはり自分の
                 感じ方や考え付いたことを表現させることへの執着を見るような気がした。  
                  日本でも有力なある国立大学の教授は、ゼミで生徒指導に”○○を論評せよ”としてレ
                 ポートの提出を求め、「要約や引用は禁ずる」とコメントしていると言う。
                  大切なことは、自分が何を感じ得たか、そして自分の意思として何を伝えたいかであっ
                 て他の発信していることを中継することではない。例えばある命題を与えられ、それをミ
                 ッションとして自分が進めるに当たっても、自分の命題に置き換えてプラニングすること
                 が肝要なのである。スタンスを構えるとき、与えられた命題を正しく理解していることが
                 大切なのだ、と彼は言う。
                  なるほどと思いながら、私もかって組織の中で指令を用いるに当たり、実際に行動を起
                 こすべく指示された者たちから解ってもらえているかを、常に掌握することが如何に大
                切であるかを実感しつつ過ごした日々があったなーと思いつつ教室を巡った。

                 アメリカのエゴには日頃腹立たしさも隠せない時があるが、こういった現代教育には大
                いに賛同できると、この日は頼もしい思いでアメリカ教育を眺めているのだった。

                                                                 風次郎
 

  
 谷間に見た美しい花

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