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シリコンバレー
せめて気を吐いているIT企業群が軒を連ねるシリコンバレーを詣でようと車を向ける。
シリコンバレーはいわゆるサンタクララバレー、サンマティオから サンノゼ・ダウンタウンま
での市、中でもマウンテンビュー、サニーベイル、サンタクララの3市が中心である。ベイの南端
にはUSAでも上位にランク付けられるスタンフォード大学があり、世界に分野の冠たる企業アド
ビ、アップル、シスコシステムズ、グーグル、ヒューレットパッカード、インテル、ヤフーなどが
事業所をかまえている。日本からもこの地には富士通や日立などが拠点を進出していた。
シリコンバレー誕生の地は言わずもがなヒューレット・パッカード社発祥の地である。
1885年サンフランシスコ近くに設立されたスタンフォード大学は、当時私立の「田舎大学」
に過ぎなかったそうだ。この大学の若きフレディリック・ターマン教授は優秀な卒業生が西海岸を
離れ東部の有名企業に就職してしまい、才能が流出するばかりであると憂いていたといわれる。
ターマン教授が、優秀な学生を説得して、大学の周辺地域で事業を興させようと思いついた時、
そこには1912年生まれのディビット・パッカードと一つ違いの13年生まれのウイリアム・ヒ
ューレットがいたのだった。ターマン教授に洗脳された二人は、卒業したら二人で事業を興すこと
を決意する。
数年後に、ふたり揃って懸案の事業計画をスタートさせた場所が大学の近く、パロ・アルトのア
ディソン街367番地の住居兼事務所であった。2階建ての一軒家で、新婚のパッカード夫妻が母
屋に住み、独身だったヒューレットは裏手の納屋で暮らすことになった。ターマン教授はふたりの
事業のために538ドルを貸し与えた。
このありふれた二階家からはじまったヒューレト・パッカード社は、現在、世界有数のハイテク
企業に成長している。社名を決めるときにはコインを投げ合って、どちらの名前を先にするを決め
、ヒューレットが勝ったので彼の名前を先にして、ヒューレット・パッカード社(HP)に決まっ
た話は有名である。
ひととおりIT企業の立ち並ぶ通りを眺めたのみで、880号線のハイウェイを北に向かい、郊外
のモールに寄った。「SANNWA」という日本食材のスーパーマーケットがあり、また、その隣には紀
伊国屋ブックセンターがあって日本人が多く集まっていた。オークランドからシリコンバレーに掛
けては、日本から進出してきている人々が多いようだ。ただ、日本食材の「SANWA」にはリーズナ
ブルの日本製品が並んでいたが、換算価格で3割から5割は日本より値段が高い。紀伊国屋の本な
どは安くて5割値段が上がっている。輸入品は高いアメリカであった。それに加えて自動車社会化
で広範に散らばった居住域に、それぞれ適宜な生活用資材の店舗が点在するような環境はない。買
い物は各家庭休日の既定日課であるという。
はなが夕食を日本食の手作りで、と「SANWA」で手当てしてオリンダへ戻るのだった。
その帰路、サンノゼからベイの東側に当たる880号線をさらに北上オークランドの街を抜けて、
アメリカの名門校カリフォルニア大学バークレイ校の美しいキャンパスを見た。
これまでにもNYやボストンで名だたる大学の構内を歩いてみたことがある。
とかく看板の乱立とゴミの目立つ構内や、落書きの絶えない日本の大学を見ることが多い昨今だ
が、アメリカの名門という名に押されて眺めるせいか、構内で行き交う学生の姿には自由な個性、
好学一途を感ずるのだがどうだろうか。
日本で注目を浴びるノーベル賞の受賞者でもアメリカの学校で学び、或いはその施設での研究の
成果を認められての結果が多い。教育の環境として施すべきものがそこにあるのだろう。
美しさは心の安らぎである。自由な発想の原点は整と美にある。自由を重視するこの国の精神は、
人間教育という観点からは大いに認められてしかるものであることを感ずるのであった。
風次郎