香港空港キャセイのラウンジ ヨハネスブルグ空港入国ロビー
今回の旅は、妻はなの予てからの希望であった。
一昨年、西オーストラリア(パース)で観たジャカランタに飽き足らず、以来日本にも普及し始め
た宮崎の植物園にも出掛け、入手した小さな苗も家で育てている。
結局、世界で一番華やかに咲くジャカランダは南アフリカのプレトリアだと、入れ込んだ挙句の旅
ではあった。
私は「花」よりも都市巡りを好む派だが、今回はワイルドなアフリカサバンナの自然動物園に期待
していたのだが、期待は裏切られなかった。
アフリカは何分にも日本からは遠く、空路の便も直行がない約20時間に及ぶ空の旅は体調にも配
慮がいる。いくつかのツアーの中からクラブツーリズムの8日間のビジネスクラスで行くツアーを選
んだ。
早々と満席になった20人の枠だったのに、急きょのキャンセルがあったようでグループは13人、
年配の人柄が優れたばかりで、萩原さんという添乗員の素晴らしいアテンドもあって、終始心配なく、
結果、とても愉しい旅だった。
○
その週は、急激な気温の低下に見舞われ、旅立ちの日本は晩秋と言うより冬のようだったが、事前
に知らされた現地の様子は最早夏ということで、私達は夏服に着替えて家を出ることにした。
丁度愛犬Supikaが右前足を悪くしており、医者にも診せ、留守を頼んだ子供たちにも丁寧なメモ書
きを残したが、約1週間の間、悪化しなければ良いがと心配が残った。帰宅して元気に近寄ってきた
時はまるで救われたようにホッとしたのも事実である。
10月29日土曜日、成田空港に午後2時の集合で旅はスタートする。
中央線から山手線を順調に乗り継いで13時5分の京成成田エクスプレスに乗り込むと、やっと海
外旅行に出かける心の準備が整ってくるように思う。ノンストップで飛び交う車窓の風景が、都会の
街並みから緑の田園風景に変わり、スピードアップされたダイヤ通りに13時40分には成田空港に
着いた。
早速第2空港の旅行社カウンターに行くと、クラブツーリズムにはもう萩原さんが立っていた。最
終の手続きをして、搭乗券を受け取り荷物を預けて身軽になって、出国手続きに向かう。向かう国は
南アフリカ、ザンビア、ジンバブエ、ボツアナであるが、南アフリカの以外の3国では米$が通用す
るものの、南アフリカではランドが必要になるとのこと、ランドは市中の銀行ではなかなか両替が困
難なので、先ずはGPAの両替所に寄って手当てした。当日rateはR=\10.29であった。
土曜日の午后なので混雑を予想したが、出国手続きは割合スムーズに終わり、今回搭乗するキャセ
イのラウンジを利用する時間がたっぷりあった。遅い昼食とティータイムを兼ねてゆったりと過ごせ
て良かった。私は外国に出掛ける時大概食べているお寿司がビュッフェに並んでいて(のり巻きと稲
荷ずし)嬉しかった。旅行社のカウンターで見かけた仲間の顔も見え、グループの人数が13人にな
ったことも知った。やがて集合時間にはゲートへ移り、キャセイパシフィック航空(B777)に乗
り込んだのである。
今回はCX521、成田発16:55でキャセイの本拠地香港を経由、ヨハネスブルグへ向かう。
先ずは香港まで約5時間のフライトである。
ボーイング777型機のビジネスクラスは満席であった。久し振りの空路の旅だったので、私は機
外モニター画面を眺めていた。機は成田空港を飛び立つと一旦洋上へ出たが、すぐに本土上を飛び地
上の灯りを映しながら日本列島を西へむかった。西へ行くほど良く晴れているようだった。
やがて機外モニターは消え、お決まりのフライトポジションのみの画面になったので、モニターの
エンターテイメントからクラシックを楽しもうかとしている頃、夕食の配膳が廻ってきた。
レッドワインを戴きながら、ステーキつきの洋食をゆっくり食べ終わると少し疲れが眠りを誘って
きた。眼が覚めた時はもう香港空港への着陸態勢に入る時だった。夕刻からの香港へはあっという間
に過ぎてしまった。
13人の仲間で香港のトランジットを経験している人はおらず、私達は萩原さんの指図のまま、飛
行機からターミナルへ渡ったブリッジの先で待ち合わせ、行列になって従った。
私もはな(妻)も香港へは以前、中心地から至近の九龍にある啓徳空港が国際空港として使われて
いた頃来たことがあったが、その頃、啓徳は敷地が狭く設備が陳腐化していたなど大改革が叫ばれて
いた。現在の香港国際空港は必要と期待の中で1998年7月6日に開港したのである。年間乗降者数は約
6000万人を超えるとのこと、ドバイ、ロンドンのヒースローに次ぐ世界第3位、貨物取扱量において
は世界第1位と世界屈指の規模を誇り、世界最高の空港の一つと評価されている。さすがブリッジか
ら見渡す、煌々とライトに照らされている夜の国際空港はいかにも巨大であった。
香港は日本との時差マイナス1時間、午後9時前であった。ヨハネスブルグまで荷物は預けたまま
OKだったので再出発の入場検査を終えて、キャセイのラウンジに入ることにした。香港をベースに
するキャセイパシフィック航空は、「ザ・ブリッジ」、「ザ・ピア」など4つのラウンジを運営して
おり、世界有数のカウンターの長さを持つバーや、スパなどの様々なサービスを用意していると豪華
で有名である。私達は搭乗口に近い「ザ・ブリッジ」に入って夫々にラウンジを楽しみながらゲート
の開くのを待った。
24時間眠らぬと言われる空港で、暫し寛ぎ、いよいよ真夜中のテイクオフでヨハネスブルグ行キ
ャセイCX749便(B777)に搭乗する。出発が23時45分、13時間のフライトである。
ただ、ヨハネスブルグは香港とはマイナス6時間の時差があるので到着は早朝である。
2度の食事(夕食と朝食)と睡眠で程良く過ごせる状態であった。私は夕食後の暫くの時間に座席
のエンターテイメントモニターにあったクラシックからバッハのチェロシリーズ(David Watkin)を
聴いて過ごした。轟音の響く機内ではあったがバッハの旋律は心を穏やかにしてくれる静けさを感じ
させてくれ、眠りに誘われた。
機はかなり揺れたが、4時ごろ目が覚めた。窓のカーテンが明けられる頃には雲の合間からアフリ
カ大陸を南下しているのが解った。朝食はパン1個にリンゴジュースをもらい、苺、ブルーベリー、
メロンの添え物と熱いコーヒーを戴いて済ませた。
キャセイ機はほぼ定刻通りオリバー・タンボ国際空港に着陸した。
ここでは手荷物の受け取りと、今度は国内線、英ブリティッシエアラインへの乗り換えをするので
あった。
先ず荷物の受け取りは順調にできたが、入国審査に時間がかかった。添乗員の萩原さんから重々聞
かされていたので覚悟は出来ていたのだが、黒人の現地人はのべつ同僚や友人などとお喋りばかりで、
なかなか書類に取り組まないように見えた。予め言われていたので我慢の「ガ」の字でやり過ごした
が、通過してから仲間でブツブツ言いながら笑いあった次第である。
ヨハネスブルグの空港も大きな空港だった。南アフリカ航空を筆頭に国内の航空会社の多くがハブ
空港としており、年間旅客人員数はアフリカの空港で最多の2000万人に及ぶ。
前身は「ヤン・スマッツ国際空港」であったが、1994年、アパルトヘイト撤廃後の総選挙を経
て発足した新政府は、政治家氏名を空港名に付けないことを表明したため、「ヨハネスブルグ国際空
港」に変更したのであった。しかし2005年半ば頃、アパルトヘイト闘争の英雄であるオリバー・
タンボの氏名を付ける運動が活発化し、2006年10月27日に「ヨハネスブルグ国際空港」から
「オリバー・タンボ国際空港」と再び冠人命空港への変更が実施されたのである。
2011年の、スカイトラックス社が実施する空港部門の評価ではアフリカ空港部門で1位になっ
ている。
私達はオリバー・タンボ空港で、トランジットの継続で出国して、ザンビア・リビングストンへ、
そして先ずは「ビクトリアフォールズ観光」に向かうことになっていた。
風次郎
アフリカ南部の旅(3)へつづく
オリバー・タンポ空港からリビングストン行に搭乗
* 『アフリカ南部の旅』のトップページへ
* 『風次郎の世界旅』 トップページへ戻る
* アフリカ南部の旅(3)ジンバブエ入国へ
* 風次郎の『東京JOYLIFE』TOPへ