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ハイウェイ沿いに続くサンノゼ郊外の丘 サンノゼ国際空港
天候に恵まれたカリフォルニアの1週間の滞在を気分よく過ごす事が出来た。午前中休暇を取って
空港まで送ると言う長男に任せて、帰りもサンノゼの空港へ向かった。
小学校のあるグロリエッタ通りをやり過ごして朝陽を背負いつつ小高い丘を越えるとベイエリア伝
いの880号線、今回は何度も通ったハイウェイを南下するのである。
ベイの東側をバークレーからオークランドと通過してヘイワードあたりまで来ると、左手には緩い
丘が続いている。牛や羊が見えたりするから牧場が多いのだろう。しかし、放牧された家畜たちも食
べるエサを探すのに苦労しているのではないのだろうか、と気の毒な位草は枯れてしまっているよう
だし、禿げてしまっているところもある。カリフォルニアの干ばつは深刻である。
ベイの南端西側に位置するスタンフォード辺りからサンタクララ、サンノゼにかけてがいわゆるシ
リコンバレーで、IT革命以来その世界をリードする処として有名になった。
今や市場経済に留まらず物流に於いても世界に席巻すると言われるAMAZON、時代をリードしてきた
ITの寵児マイクロソフト、インテルやそれに立ち向かって世界を駆け巡るアップル、グーグルなど
がしのぎを削っている。肩を並べようと、日本の企業も多数進出しているその様子を目の当りにした
前回の訪問を思い出しながら、ハイウェイを降りて空港へ近づいて行った。
サンノゼ(San Jose)はスペイン語で「聖ヨセフ」を意味する。
半導体・コンピュータ関連の産業が集積するシリコンバレーの中心都市で、「Capital
of Silicon
Valley (シリコンバレーの首都)」を名乗る。他の大都市に比べて所得水準が高く、アメリカ国内
の人口25万人以上の都市を対象とした全米安全度調査の第1位である。
歴史的には1777年にスペイン軍の軍事補給基地として集落を創設。その後カリフォルニア州の最初
の州都となり、1864年のサンフランシスコ鉄道開通後は肥沃な農業地帯から産出される果樹、野菜の
集散地として発展した。
20世紀に入り、サンフランシスコ都市圏の拡大により人口が急増し、1970年代後半からはシリコン
バレーの中心地となり、20世紀末からのアメリカ経済復興の狼煙を上げたのであった。人口はその後
も増え続け、2009年には100万人突破した。
テクノロジーの街に相応しい丸いドームの目立つテック博物館があり、インタラクティブな見て触
れて体験できる展示が人気を呼んでいる。またモダンアートのサンノゼ美術館(ニューヨークのホイ
ットニー美術館との共同企画も行われた)やジャクソンストリートのジャパンタウンもお馴染みにな
って観光客でも賑わうようになった。
サンノゼ空港は正式名称ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港(英: Norman Y.
Mineta San
Jose International Airport)と呼ばれる。空港名が冠する「ノーマン・Y・ミネタ」は日系人とし
て初めてアメリカで閣僚となったノーマン・ヨシオ・ミネタ(いずれも元、サンノゼ市長・下院議員
・商務長官・運輸長官)に由来しているのである。しかし、サンノゼ市は空港のマーケティングのた
め、名称をサンノゼ・シリコンバレー・ミネタ国際空港に変更することを検討しているとのことであ
る。
サンノゼ市がベイエリアの中で最も人口の大きな都市でありながら、サンノゼ国際空港は近隣のサ
ンフランシスコ国際空港及びオークランド国際空港より規模が小さい。市の中心部から北西に約6q
と非常に近いため、利用者にとって利便性が高い半面、周辺が開発されていて拡張性に乏しいうえ、
市の中心部は航空法による高さ制限の対象であり、高層ビルの建築ができないのである。
当空港からはアメリカン航空が東京/成田線を運航していたが、2006年10月に廃止され、2013
年1月から全日空が週5便で就航、今は毎日一往復を飛ばしている。機材は、ボーイング787−8
型機である。
一時バッテリーの不具合が話題になったボーイング787だが、乗ってみるとさすがに新鋭機は快
適で素晴らしい。今回はビジネスクラスで往復したが、スペースは広く、モニターやインターネット
環境も行き届き、何と言っても座席の使い勝手がとても良かった。もちろんアテンダンスは日本の飛
行機が最高と、これは自他共に許している。ビジネスマンにとっての要求は近く携帯電話が使用可能
となれば完全に満たされるであろうと思った。
セキュリティーが厳しいので私は靴を脱がされたにとどまらず、ボディーチェックまで受けて搭乗
手続きを終えた。かなた入場口の見える位置で心配そうに見届けている長男に手を振って合図を送っ
てラウンジへ向かったのは10時30分に近かった。
サンノゼ空港のラウンジは数社共用で、待合ロビーとダイニングの2室である。お昼近かったので
ダイニングに入り、私はサンドイッチを、はなはここには日本から運ばれたカップラーメン有ると聞
いて注文し、窓の外を眺めながら寛ぎの時を過ごす。
エアポートの先にサンノゼの街が続き、緩やかな薄茶色の丘が横長に何処までも続いて見えていた。
ダイナミックなアメリカの空気は嫌いではないが、このところ英語を使いつつ街を歩くのがやや億
劫に感じて煩わしい。1週間も日本を離れると郷愁を感ずるようになったと思う。
日本でのんびり日々を過ごすのが良いと思うようになったのは、やはり年齢であろうか。
だからこそ、思い立って海外へ出た時はその機会を大切にして、見聞を大事に持ち帰らなければい
けないと言うことだろう。
窓外には着陸する飛行機が間を置かず続けて降りてくる。豆粒のように見えたと思うとグングン大
きな機体に変わり、見事な滑空でチラッと軽い音をたてて着陸する。――よくあんな大きな物体が何
時間も空を飛び続けられるものだ――。と思いながら眺めていた。
はなは手持ちのドルを使うと言って、ロビーでのショッピングに出かけて行った。
○
ANA 171便は予定通り11時30分サンノゼを発ち、9時間の旅を終えて日付けの変わった夕方
の成田空港に着陸した。
東京の空は薄曇りであったが家に着くまで外に薄明かりがあった。
取り立てて予定も持たず、長男の勧めに任せて出掛けたこの旅であったのだが、ゆるりと過ごせた
ことでは、近年に無く寛げた良い旅であったように思う。
帰宅しての一休みは、やはりコーヒーより日本のお茶であった。
風次郎
サンノゼ空港の全日空機