台北小旅行(1002)

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台北駅バスターミナルの内外
    

    7.帰国

  「ついに5日間快晴の日はなかったか。」と思った。
 台湾の今頃はこんな曇り空の日が多いのだそうだ。しかし、2月の気温が寒さのピー
クの季節である日本から来ると、暖かいのはとても魅力的である。
 ゆったりと過せた4日間であった。
 短くても、いよいよ帰るとなると、旅の終わりに近づいて感ずる名残惜しさは、どの
旅も変わりはない。明け方は小雨の中であったが、昨夜夕食に出かけた台北駅の北側に
あたる中山駅辺りまでを歩いてきた。広いバスターミナルがあり、駅の近い位置に近代
化されたカウンターや電光掲示板が系統的に台湾全域の案内を続けているのを解りやす
く見ることが出来た。

 名残の雨は朝食を済ませる頃はあがっていた。、
 私たちは台北発13時25分NH-1082便に乗るため、午前10時過ぎに台日旅行
社の迎えの車でホテルを発った。市内に混雑は無かった。
 高速道路を30分、市内から約40Km走ると、「台湾桃園國際台北空港」に近づく。
 この空港は、1972年2月に完成したのであるが1998年2000年と事故が続
いて余りイメージが良くないと言われている。しかし、先日到着したときは夜だったの
で、よく解らなかったのだが、2つのターミナルビルを持つ近代的な堂々たる風貌であ
った。
 出発時間までは十分の余裕があったので、全日空の出発ロビーで時を過した。

 静かにその地を離れる時を待つと、私は予てより思っていた台湾と、今またそれに対
する思いの変化を巡らすのであった。
 台湾には日本の統治時代があったことは、私の心の中にそれをどう位置づけるのか、
気になるテーマではあった。たった数日の滞在ではあったが、私たち日本人に対する感
情に懸念を訴えるものは何も無かった。考えすぎかもしれないが、日本人に対する遠慮
があるようなニュアンスを感じないでもなかったのである。
 これは案内したのが「台日旅行社」という日本寄りの会社だったからかも知れない。
そして、アメリカ的な感覚は持ちこまれた感があるが、一方で、ヨーロッパ文化の匂い
はほとんど無いところだった。英国統治下にあった香港とは大いに異なると思った。 
 古い歴史には王族の文化が栄え、往々にして華やかさの名残が漂うものであるがそう
いったものは見あたらない。歴史が浅いからであろう。
 先住土着の民は、考古学の時代にマレーあたりから渡ってきた高砂族と呼ばれる人々
であるが、現人口の大半は漢民族、清朝時代に難民の如く本土を逃れて渡来してきた者
が多いようだ。現在の民族が、それぞれ多様な事情でこの地に逃れて来たのであれば、
自ずからその歴史は浅く素朴であろう。
 先住民が、社会文化を芽生えさせたところへは、他から多くは武力をもって王族など
が進出し覇権を握る。その王族が為政宜しければ配下の国は栄え、王族の繁栄とともに
華やかな文化遺産を見る事になるのであろう。
 清朝は強大にして瀟洒な皇族の支配する国ではあったが、台湾へ及ぼす力量は篤く及
ばなかったのである。辛うじてその功を受け継いでいる「故宮」は、時代のいたずらの
ように持ち込まれた大きな遺産といわねばならない。これは黄河文明以来、中国の歴史
を語るに貴重な遺産である。
 漢民族の流れを重んずれば、現世の民が、その一つの纏まった文化の中にありたいと
願うことは当然であろう。由来はともかく、「故宮博物院」の改装による威容も絶大で
あった。
 しかし、台湾の文化遺産として、他に華やかな面が感じられないことも事実だ。最近
の101ビルなどはともかく、整った歴史的建築物は日本統治時代のものが多いのであ
る。
 それらは、児玉源太郎と、後藤新平による一時の理想郷創りに終わった歴史の名残と
の見方も出来る。

 ○

 思うにヨーロッパでは、文化の主流を創ったのは王族達であった。
 彼の地の庶民の文化は、これに従ったものであり、時にはこれに逆らったりして、幅
を広げていったのである。それは、やがて王族に代わって為政に加わった宗教が、その
主流を肩代わりし、社会を形作る上で大きな力を持ち、現代に至ったように思う。
 歴史が浅い上に、台湾に首座を占め、文化を築く上に大きな足跡を示してきた宗教も
無かった、と言ってもいいだろう。
 大陸から持ち込まれた道教は仏教と会いまみえ、中国伝来の儒教とも融合しているよ
うに見える。

 もとより宗教は、いずれの源流を見ても民、大衆の不安を除去し、心の統一に向かう
修験者の究めた「天威」であったのである。
 そしてまた、その架空の世界を地上の現実に結びつけ、生活の中に持ち込んだのは為
政者だった。つまり、歴史の中では手段化されてしまったと言える。
 だが、中国史をとってみれば、その源流に見る皇帝たちは、堯、瞬のように民が社会
的生活を営むにつれて上に立つものが自然体で求められ、余儀なく立場を全うした人物
達であった。彼らは認められ、やがて命を下す人物と崇められることによって為政を委
ねられたのである。
 結果として、国主として確立され神の具象と化したこの国の宗教の成立を無視するこ
とは出来ない。それは、崇高な文化であり、それが中国に於ける王族の起源であれば、
その意味で儒教や道教の思想は、大衆が盛り上げた結果のものと思えば尊いと思う。

 文化遺産は財であり、財は本来不平等から生ずる合理の世界で産み出される。
 その観点から、後世にやがて生ずる覇権王族はその権化と言わざるを得ない。
 その意味を持ってすれば、そこに至って、西欧の王権文化と合一化するということか


   ○

 所詮、大衆文化は地味なものである。日常生活に密着した事象は何処に住まおうとも
大きく変わらないから地味であり、地味なものは後世への遺産として注目され難い。
 まして漢民族と言えども、大陸側にあっては、その意味で中国の王族文化は近世来の
共産主義には馴染まないことが、背後にあるかも知れない。

 台湾の民族の将来はどうなるのだろう。
 只、この台湾郷土の大衆的素朴さはむしろ好もしく、民衆は健気に見える。
 複雑に置かれた国家的位置づけをどこに見出していくのか、大きな課題を背負った民
族の島である、と思った。
 本土との価値ある統合を(簡単に言えることではないが)心から願いたいと思った。

 複雑な心境の中で3時間のフライトを終えた。     

                                                              (風次郎)

 
中山堂の孫文像

           
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