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「蒋介石坐像」の前で交代式を挙行する衛兵たち
4.市内観光(2)
中正紀念堂
中華民国初代総統、蒋介石を顕彰した記念施設で「中正」は蒋総統の本名だそうであ
る。門を入ると石畳の広場の先に白い石段と八角形の二重屋根に覆われた白い門が見え
た。屋根を北京の天壇、本体をエジプトのピラミッドに模して造り威厳のある建物にし
たと言われる。
石畳を歩き、石段を登るアプローチも敬意を情出させるに必要な時の流れを感ずる。
紀念本堂は敷地の東側に置かれ、座した巨大な蒋介石の銅像は西にある中国大陸を望
むように設計されたという。像背後の壁には師の基本政策理念「倫理、民主、科学」の
文字が、台座には「遺言」が刻記されていた。
ここも毎日儀仗兵が進駐して警護に当たっており、10時から17時の8回交代儀式
が挙行されている。私たちが到着した時間は丁度16時の儀仗兵交代セレモニーが行わ
れていた。
帰り際、公園となっている構内の階段と石畳を使って学生達が陸上競技のトレーニン
グを行っているのに遭遇した。階段は足腰のバネを鍛えるには最も効果的な演習場にな
る。ついつい、わたしも若い時代を思い起こし、次々走ってくる若者たちの逞しい脚筋
に惚れ惚れとして見入ってしまったが、もし彼等が合宿中でこのあと座学でも行うので
あれば、蒋介石の教えを引き合いに、リーダーは倫理の説教でもするのであろうか。
西門町
散策と小休止をかねて、若者が集まる商業地区へ足を運ぶ。
台北の渋谷だとか原宿だと呼ばれているらしい。そうまで紹介されると、日本はやは
り東洋の文化的リーダーであることは間違いなかろうかと思ってしまう。少なくも台湾
は相当日本を意識している。しかも「西門町」の名称も日本統治時代に日本人向けに建
築された繁華街であることが由来のようだ。
「八角堂」という東京駅の側壁に似た感じの建物があった。繁華街には良悪多様な社
会を映す側面が生まれる。戦後は一時「黒社会組織」という悪い集団が暗躍した「西門
新宿」と呼ばれる地域もあったという。
私たち四人は皆60歳を超えた年輩だから、歴史認識に触れ、雑踏の雰囲気を味わう
だけの散策を済ませ、「三兄弟」という薄汚い雑駁なカフェ?で飲み物をいただき退散
した。
龍山寺
近くの、台北では最も古く約270年の歴史がある寺院だという「龍山寺」へ足を伸
ばした。福建普江安海龍山寺の分霊として創建された台北市内で最古の寺院(国家古蹟)
である。大戦による焼失を免れた本堂の貫禄は見事であった。
仏寺との認識で臨んだが、漢氏の話だと台湾の中心となる信仰は道教と仏教だそうで
、各寺院はその隔てを明確にしてはいないそうだ。
その証左に、ここの本堂も観音菩薩を中心に文殊、普賢が鎮座しているのは仏教その
ものだが、後殿には媽祖(まそ=航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰
を集める道教の女神)関帝(関羽)などが祀られている。これらは歴史的人物で道教の
範疇である。
思えば日本でも神仏合体の状況を見ない訳ではない。多神教のもとではありふれた事
実であろうかと思う。
漢氏の話にしても、いろいろな見解を紐解いても、見えてくるのは台湾人の宗教に対
する執着はあまり明確ではなく、むしろ現実主義というか寺廟における祈りは現世利益
追求型であるということか。国家(台湾)でさえ、中正(蒋介石)を神の如く讃えつつ
、孔子廟(儒教)の祭事を行っていることでも言い足り得ると思う。
参拝者が膨大にもちこみ供える肉類や果物は、お参りに来た集団(一族が多い)が神
仏のごりやくを戴くとして後の宴を行うのに用いるとのこと。境内は線香の煙が祈りの
場の情景の象徴として漂っているのみであった。
参拝者は境内に溢れんばかりであった。両殿に分け隔てなくお参りをしているのであ
る。むしろ熱気さえ感ずる信心深い光景を見ながら私たちも手を合わせた。
足つぼマッサージ
「台湾に来たら絶対だ」と漢氏がすすめるので、1日の疲れも取るのにいいだろうと
長春路にある「温莎堡商務養生館」(これでウインザーと読ませる)という店に連れて
ってもらった。「こういうのは信用ある技術師のいる所でないと」と言われたが、その
店がどうかはわからない。
四人並んでマッサージを受けた。足の裏から親指で強くこするように膝小僧下まで約
40分揉んでもらった。
最初は悲鳴を上げたいほど痛かったが、次第に気持ち良くなり、私は言われたとおり
足が軽くなったような気がした。しかし、他の3人は「ただ痛い思いをしただけ」、と
の評だったから人によるものだろう。珍しくはあった。
欣葉(シンイエ)の夕食と士林夜市
夕食は「欣葉(シンイエ)」という店に行った。台湾料理の老舗中の老舗で、ここも
誰もが知っている有名店だそうだ。マッサージ屋から少し北へ上がった繁華街の中にあ
る、ここがその本店だという立派な構えの店に入っていく。市内には十数店を持ってい
るという。
台湾の家庭料理などをはじめ、オススメ料理は数知れずある由だが、メニューはわか
らないから代表的な台湾料理ということで任せた。が、昼に「鼎泰豊」で戴いたものと
同じような料理が出てきたような気がして良く覚えていない。「小籠包」でなかったも
のを何品か口に入れ紹興酒を飲んだことは確かだ。
食後夜市を見学しようと言うことになって、「食べ物」か「雑貨」か、と聞かれたの
でもう「腹は良い」と言うことで士林へ向かった。朝「忠烈覗」へ向かうとき渡った中
山橋を越えて剣潭(ケンタン)駅の近くまで行った。
台北にはあちこちに夜市が開かれているようだ。ことに士林は観光夜市ということで
賑わうが、市民もこういった夜市で生活用品を調達することが多いとのことである。
賑わうところには必ずスリがいて活躍するのが当たり前、漢さんに注意を受けながら
群衆の中に入って揉まれた。いわば年末のアメ横と言った感じ。衣類、菓子、おもちゃ
、時計、装飾品など殆どが中国製珍しい物も無く、ただ安物市の感有だった。
8時過ぎ観光を終えてホテルに戻り就寝。よく歩い一日だった。
(風次郎)
龍山寺(本堂) レストラン「欣葉」