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「忠烈覗」 旧い町並・奥の3階建は元病院だった
K氏夫妻と朝食を共にした。
2階にある朝食用のレストランは普段はイタリアンに使われているのであるが、朝食
時にはビュッフェに提供されている。洋食のほかに、台湾テイストの中華メニューと
日本食が用意されていた。
昨今は日本人が世界中に観光に出かけるので、大概のホテルのビュッフェには日本食
メニューが提供される。私ばかりでなく日本人もパンを戴く朝食を常用する人が多くなっ
たので、むしろ旅行のときの和食は、気分転換の材料に味わっている人もあるようだ。
味噌汁などどこでもおなじみのメニューになっている。
私たちは4人ともパンと並べてお互いに似たようなものを取り込んで席に就いたので
顔を見合わせてしまった。わたしは、目玉焼きの卵と海幸の小魚などを味付けしたもの、
台湾の野菜(レタスや大根など殆ど日本産と変わらないもの)などを追加してゆっくり朝
食を楽しんだ。台湾はバナナが有名なので常用している私はあてにしていたが、ビュッ
フェには3日間現れることが無く残念だった。
旅の楽しみは会食事の会話にもある。普段は二人で顔を合わせての朝食も、他の旅
仲間とテーブルを囲んで交わす会話は、ホテルやその地域へのそれぞれの感じ方など、
とりとめもなく始まるが次第に打ち解けて、思いがけない弾んだものになることもある。
また、普段と変わった人の持つ知識や知恵をいただけることもあって得をする。K氏とは
日頃も語ることが多いが、夫人の穏やかな雰囲気にも感服しつつ過した。
「忠烈覗」「行天宮」
漢(ハン)さんは9時30分の約束時間にフロントに来た。昨日と同じおとなしそう
な運転手が、7人乗りの小型車を指差し市内観光に出る。
漢さんは今日は気温が低いと言うが、私たちには随分暖かく感ずる。ホテルの前の大
道り「承徳路」から一つ東の中山北路を北へ向かうこと15分、基隆河を中山橋で渡って
「忠烈覗」の門前で止まった。
白い門、赤い中国式宮殿風の建物、広々とした敷地に33万人に及ぶ国民党政府の将
兵の霊を祭った軍管理下の祈念堂である。毎正時ごとに行われる衛兵の交代が観光
客を集めているとのことで、私たちも大勢に紛れて終始見学した。ここの衛兵には容姿
、頭脳、兵伎3色兼備の優秀な兵隊が選ばれるらしい。
きびきびと行われる儀式は気持ち良かった。
10時半にはそこを発って再び橋を渡って駅側の街区に入り「行天宮」を拝観した。
三国志時代の関羽等を祀った「福建道教」の宮と聞く。関羽は蜀漢初代皇帝劉備の盟友
として律儀な武将で人得があった。昨今名を売った中国映画「レッドクリフ」の中心人物
でもある。
仏教や儒教などを習合して変化した「福建道教」は、第二次世界大戦や国共内戦を経
た台湾に至って、「台湾道教」とも呼ばれる独特の多様性を持つ民族宗教に発展したよ
うである。この島の人々は蒋介石と孫文を建国の偉人として崇めていると聞いていたが
、中国人の意中には仏教、儒教、道教と流れを辿った倫理的素養が培われている、と私
は常に思っている。その心髄は仏陀であるかもしれない、とも。
「迪化街」と名づけられた清末に繁栄した街というところを案内したもらった。
漢方薬、乾物など食品、布など地方色のある商品を扱うとのことであったが、中国的という
ほか目立った印象は無かった。むしろ崩れかけたアーケードの街並みや、旧い医師の館
など興味深かった。
その街を歩きながら、漢氏に誘われて台湾茶の店に入り何種類もの茶を試飲した。台湾
茶は日本統治時代、品種改良や生産体制構築など産業振興の柱として産業を支えての
であった。
この種の店舗訪問はツアーでは殆ど買い物を当てにされているものだ。お茶はお土産に
も悪いことは無い。二人の女性陣は随分買い込んだようだ。
「小籠包」
お昼には「鼎泰豊」(ディンタイホン)という店の「小籠包(シァオロンパオ)」が
約束されていた。
台北に来たらまずこの店、というファンも多いそうだ。観光客に親切なことや、有名
店を思わせない気さくなサービスで、誰もが気軽に行ける店という売り出しで、日本を
はじめ世界各地にも支店があるらしい。
市内にも数店あるが本店が良いから早目に、と迪化街から車を走らせる。住宅エリア
だという背の高い建物がすくない地域「永康街」へと入って行く。店の前に車を止めて
、漢さんがチェックすると「席が取れそうだ」という。
小籠包を世に知らしめた老舗の総本店ということだが、店は構えも普通の大衆中華料
理店であった。ガラス張りの厨房で小籠包作りの様子が見られた。
2階に4人の席が用意され、手順良く皿に盛られた料理が運ばれてきた。
ガイドブックによると「小籠包」は上海の料理で小包とは小皿、ちょっと小腹を満た
す為のメニューらしい。
小菜が、そしてスープが出され、いよいよセイロに入って蒸された「小籠包」が運ば
れてきた。
「小籠包」は薄いころもに包まれた一口大の肉汁をこぼさないように口に運んで食べる。
アチアチの肉汁がぎゅっと詰まった小籠包は、肉汁のスープが皮(ころも)のほど良く
滲みて美味しかった。とにかく「この店の小籠包」ということで、関心を高めて味わっ
た。ころもをつけた海老の料理「蝦仁焼賣(エビシューマイ)」や、きのこと野菜をいた
めたもの、厚揚げとはるさめをあしらった「油豆腐細粉」なども旨かった。
最後にアン入りの豆沙小包が出されたのはデザート代わりなのだろう。台湾料理は聞
いていた通り、あまりしつこさがなく日本人の口に合うようだ。
「台北101」
薄日が差しているだけなのだがとても暖かい、晴れてもこんな調子なのが台湾の今頃
の陽気らしい、花粉症の私はそれがないだけでも随分快適だが、日本だったら4月ぐら
いの暖かさに思える。
腹を満たして台北一望の「台北101」へ向かう。
市の中心部を過ぎ、総統府の正面に通づる大通りのロータリーから、信義路を西へ向
かう。1段、2段と5段まで街路区を進んだ交差点のところで車を降りると、四角形の
塔「台北101」がそそり立っているのが見上げられた。
ガイドの漢氏は、それがお決まりになっているからと、ビルのエントランスに通じる
階段の脇に私たちを並ばせ、「ここでしか建物全体をおさめられる場所はない」と写真
を撮ってくれた。
建物は5階まではショッピングモールやフードコート、レストランに使われているが、
半分以上はビジネス関係のテナントが入っており、証券取引所もあるためか内外金融
機関が多いと聞いた。
5階から展望台行きのエレベーターに乗って89階の展望室と91階から屋外展望を
楽しむ。
薄曇の空の下に台北市内全域が手に取るように見渡せる。東部から南部は丘陵地帯が
緑濃く、この島の水の豊かさを物語っている。また思いのほか山並みが近い。西遠くに
は淡水河がひとすじ光ってつづいていた。
眼下の信義地区エリアは、台北市政府(市役所)からこちらのビルに至るショッピン
グエリアが続き、このところの世界的な景気の低迷で混雑が大部減ったようだが、この
ビルを中心に台北の新開発都心として賑わうそうだ。
山川に恵まれ、かつ海に囲まれた島であれば必然、漁業にも優れる条件が揃っている
だろう。ここに立つと、人口2200万、民が平穏に暮らすには事欠かないであろうに
、社会がもたらす多様な要請が、対外的な難局に対峙している現代思う。
「台北101」はドバイにこれを凌駕するビルが建つまで世界一の高さを誇っていた。
地上101階、地下5階、高さ509.2m、夜も毎日色が変わるイルミネーション
を施して台北の街に輝き偉容を誇る。ちなみに建築は熊谷組、エレベーターは東芝、
2004年の竣工である。ここにも日台友好の証を見るのであった。
工事中の2002年、3月31日に地震があってクレーンが250mから落下、5人
が死亡するという痛ましい事故があった。そればかりか台湾は特有の大型台風がある
ので災害対策には万全の設計で備えられたという。
ユニークなTMD(マスダンパー)が、その風による振動や、地震の衝撃を緩和する
為に設置されている。そのものが、91階から88階にかけて公開されているので、じっ
くり眺められた。世界で唯一の外部露出式で最大、ビルの振動を吸収し、そのエネルギ
ーを下のスプリングシステムに発散して、台風や地震などによる揺れを解消するそうだ。
重量660トン、輪切りの鉄板を41層重ねて5.5mの球形を吊り下げ、風力等に
よる振動を40%抑制するそうだ。金色にライトアップされた球状7メートルの巨大な
ものであった。
展望室では特産の展示(即売)がされており宝飾店、サンゴの創作飾りが沢山並べら
れていた。赤やピンクが中心のサンゴの種類の意外に多いことや、大きく見事に育った
自然のままのものを飾ってあり珍しく眺めた。
私たちは「台北101」を出ると、大通りを跨ぐブリッジを渡りショッピングモール
を歩いて廻った。いわゆるシネマコンプレックス、そしてニューヨークニューヨークと
銘打った若者向きのショッパーズが賑わっていた。そしてその先には、ここにも三越デ
パートの建物を見るのであった。
(風次郎)
TMD(マスダンパー)