BGM TAM Music Factory
全米ジュニア選手権に出場することが決まったスカイライナーズ
冷たい風の吹く夕暮れだったが、パークプラザホテルの一階にある幾つものレストランには週末の楽しもうと人
々の混雑が始まっていた。
私とはなは、ニューヨークからやってくる長男家族を待ってロビーに席を暖めていた。
家族は長男が勤めを午前中で切り上げ、車を走らせてくることになっていた。
私の携帯電話に連絡が入り合流する予定なのだが、なかなか電話が鳴らない。携帯電話は特に待ち合わせ
での連絡や、自分の居場所を他に知らせるには好都合で、旅行中は誠にありがたいツールである。6時には到
着するだろうとの打ち合わせであったのに遅い。
少しいらいらしてきたのでこちらから連絡を入れようとダイアルする。しかし音信が無い。よく見ると通信圏外に
なっていたのである。――以外だ!
ロビーでは、今時のこと、日本とも同じであちこちで電話を用いている様子である。部屋ではインターネットも快
調だったし、ここは政府関係の客も多く利用するホテルと聞いていたので想定外だった。初めてのことで日本に
帰ってからNTTに確認したが、案の定海外での利用はビル内では通信の確認が必要らしい。日本の提携電波
はそういった点ではまだ国際的でないことを初めて知った。携帯電話の会社はあまり説明したがらないようであ
る。
仕方なく、外に出てこちらから電話すると、もうボストンには着いて、ホテルの近くだとのこと。やれやれ、ホッと
した。
孫娘ミサのシンクロナイズドスケーティングの地区大会はケープコッド湾に近いリゾート、プリマス市で行われる。
私たちは長男の車に乗ってプリマスに向かった。
空が曇っているから、道路も街も冷たく暗い。その分街灯やネオンは強く光っている感じで車窓をかすめて流
れている。ミサと母親はチームメイトとバスで現地入りしてもうホテルに到着したとの知らせがあった。明日の大
会の打ち合わせ、また衣装や化粧の打ち合わせもあるようで、なかなか大変だ。
大きな大会なのでアリーナの近くにはホテルが手配できず、私たちは同じ市内ではあるが20キロも離れた沿
道のホリデイインが宛がわれていた。アイススケートはマサチューセッツが最も米国で盛んなのでこちらでのイ
ベントは多いらしい。ニュウヨーク〜ボストンは車では約3時間(アムトラックでも同じくらいかかる)を要するのだ
が長男は「アメリカではこのくらいは長距離とは言わない」と、車社会の感覚で嘯く。日帰りもするとのことだが、
そうは言うものの疲れはするだろう。
孫と母親は早めに夕食を済ませたとのことなので、ホテルの隣にあった「FIRE SIDE GRILLE」と言うステ
ーキ屋へ入った。
冷たく静かな戸外と打って変わって店内は若者で賑わっていた。
プリマスはシーズンオフと言え、週末はやむをえないらしい。10分ほどで席が与えられ、私も息子に付き合っ
てミデアムのステーキを採った。はなは小ぶりのシーフードサラダにした。アメリカ人はどうしてこんなに食べる
のかと思うほど大きなものが出てくるから、私の分ははなと半分づつである。
ホテルでは万一に備えて携帯電話の電波をチェックしたが大丈夫で、安心した。
○
いよいよシンクロナイズドスケーティング地区大会の当日が来た。
孫娘ミサたちは早朝からトレーニングや化粧で大変だ。チームスポーツは世話人が特に大変だろう。私なら
いろいろな連絡だけで、気をもんで疲れ切ってしまう。
生憎の雨で、ホテルからさらに10キロほど離れたアリーナの周辺は車の整理と、入場の人捌きで混雑して
いた。ジュニアの大会は家族連れが多いから混雑が更に重なる。
私たちは限られた数しかないスタンドにやっと席を見つけて座わることが出来た。
その日行われたのは全米選手権のキッズ部門とジュニア部門の東部の予選会であった。この大会に1位に
ならなければ地区大会に出場できず、全米大会はさらに先のことである。
先に行われた地域の予選をクリアーした10チームの演技が始まると、スタンドの応援は賑やかにごった返し
た。何せ選手が子供たちのことだ。友達の応援に来た子供、そしてわが子に声をからして声援する親、関係者
は競って出場するチームに夢中になっている。ファミリームードは楽しいものだとつくづく感じてしまう。
ニューヨーク市代表のミサたちのチーム「スカイライナーズ」はジュニアクラス最後から2番目の演技だった。
私も今回来て以来、耳にタコが出来るほど何回も聞かされたミュージカルのテーマ曲「ママ・ミア」に乗せての
その日の出来は、わたしの眼にも良く映った。
会場からも喝采を浴び、終了したときは周りの関係者も方の碇が取れてリラックスしたようだった。
案の定、後の結果発表で「スカイライナーズ」は優勝し、東部代表に選ばれた。納得のいく勝利だったように
思う。
スタンドは沸きに沸いた。この大会では連勝しているもう1チームがあり、出来栄えも甲乙付けがたいようだっ
たからである。私たちも嬉しかった。
表彰に出て行った選手がリンクから引き上げてくると、親や関係者は大騒ぎして向かえた。嬉しさの弾けた光
景だった。あちこちに祝福を受けた孫娘を私たちも抱きしめて「おめでとう」と言った。周りに彼女の異国の仲間
たちが分かりにくい言葉を掛けながらはしゃいでいた。私はこんなこともあって良いと思った。
○
雨が降っていて暗くなるのも早い。
大会の好結果は帰路もみな心が軽いようだ。良かった。
プリマスのアリーナを発って、少しボストン方向戻り、ニューヨークへのハイウェイ95号線を走って行く。
プリマスはボストンの南東に位置するCAPE CODという蟹の爪のように突き出した半島に囲まれた湾に臨むリ
ゾートである。プリムスだけでなくCAPE COD地域は優れた景勝地で、いたるところがリゾートとして開発されて
いるようだ。
私にとっては、一見したかったがついに行く機会を失ったケネディー家の邸宅も、このCAPE
CODの南岸沿い
の港町HYANNISにあったのであった。そのことは、せめて縁あってその近くまで来たことを良しとしよう。
雨の道路に車は随分多く走っているように感じられた。時々は渋滞も起こり、事故でもあったのかと思わせ
られたりもしたが、何事も見当たらず、グリニッチまで来た。
そこでハイウェイを下りて夕食を食べることにした。お昼はアリーナで持参のサンドイッチだけだったから、皆
腹が減っていた。
私とはなは明日帰国するのでわかりやすいものがいいと、日本食の店を選んだ。日本食とはいうものの、うど
んや寿司、餃子など日本食らしきものを何でも出すのが、郊外の店のようである。構えがきちんとしているよう
だったが、大して当てにはならないと思いつつ皆で寿司を注文した。形は寿司だが酢はアメリカではほとんど使
っていないことはわかる。酢を頼むと別に持ってくるという仕掛けである。(NYあたりのちゃんとした職人のいる
店は別、価格も大いに別である)それでもこの店は味噌汁を出してくれたし、米も口に合うもので有難たかった。
ビールは日本の銘柄が何でもあったが、全部made in USA,日本酒もUSA製であった。
ビールはいまいちだったが、酒は何となく抵抗無かった。家族の夕食でミサの健闘を心から喜んでやれて嬉
しかった。
「応援に来た甲斐があったね!」と本音で語った。
――こんな風にして、この若い子供が将来の為の過程を有意義に積み上げていくことは良い事だと思った。
それは等しく晩年を生きる自分にも大事な刺激であることに間違いはない。
健康に生きていることへの感謝を忘れないようにしようとほろ酔い加減のまま車に揺られハリソンの家まで思
いに耽っていた。
そして思った。日本へ帰れる自分は有難く仕合せなことだと――。
< 完 >
(風次郎)
印象深いハリソン住宅街の紅葉の