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風次郎の世界旅
 遥かなる大地・トルコ  

music by TAM Music Factory 

    
      左ポリオの泉(クレステ通り)     クレステ通りは坂の道その先にケルススの図書館が見える    
                     

    (8) エフェスへ―その2―

            緩やかな坂道をまっすぐ下るメインストリート、クレデス通りには幾つもローマ皇帝を讃えた神殿の遺跡が現れる。ドミティニアス
           は11代、トライアヌスは13代、ハドリアヌスは14代、ここはローマ統治下の時代、殊に隆盛を極め都市建設に力を注いだ賢帝
           の時代に建造された街なのである。

            そもそもエフェスはアルテミス神殿を戴いてその信仰を基に(ローマ以前の時代から高い身分の政治犯的な者たちを隔離、幽
           閉する為に設けられたとの説もある)、ヘレニズム都市として著名に栄えたのであったが、紀元前2世紀には共和制ローマの支
           配下に入り、小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府とされ、古代ローマ帝国の東地中海交易の中心となったのである。
            また、ここは共和制ローマ最末期に第二回三頭政治の一頭として権力を握ったマルクス・アントニウスがクレオパトラを囲いつ
           つ滞在し帝政へ対抗した地でもある。結局最後に両者は哀れな死への道のりを辿るのであるが、エリザベス・テーラー演ずると
           ころの映画「クレオパトラ」の見せるこのあたりのクダリを私は痛烈な印象で思い出す。
            しかし、興味から入れば、ローマの歴史にさへ影響を与えた絶世の美女、世界を揺るがす権力者を何人も手玉のごとくあしらっ
           て意のままに(?)した才女でもあったクレオパトラの遺体は、今だに何処からも確認されないのは史実を探る上でもミステリーで
           ある。
            彼女の妹(アルシノエ4世)はここに眠っていることが最近になってわかった。

            歴史は紆余曲折する。ローマ帝国の隆盛によって、ここはアルテミス神殿を崇める町から、ローマの権力を讃え、隆盛を謳歌
           する街に変貌したのであった。それがここに並ぶ夫々の皇帝の神殿建設の時代、そしてそれも4世紀にいたるまでであったと言
           えるだろう。
            コンスタンチヌ帝によってキリスト教が公然とした地位を得るを待たず、この地域には比較的早くからキリスト教が入り、伝承で
           は、使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェスの教会の主教(司教)を務める傍ら、ヨハネによる福音書を書い
           たとさえ伝えられる(ただし現在の研究ではこの伝承の史実性は否定されている由)。
            また、イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェスで余生を送ったと伝えられ、ここにはマリアの家と称される遺跡や聖母マ
           リア教会がある。
            コンスタンチヌ帝にによりキリスト教が公認されて以降、エフェスはたびたび教会会議や公会議の舞台となり、府主教座が置
           かれて教会行政の中心となった。反面、多神教が禁止された後、この地のルーツであるアルテミス神殿や劇場は街の建築資
           材を得る場所とされてしまい、現在アルテミス神殿跡には柱が一本立っているだけだそうだ。(今回見学することが出来なかっ
           た) 神殿の石材の一部はコンスタンティノポリスの建築資材としても使われたといわれる。
            為政者により、民の動きは如実に変転することを示しているように思う。

            市の公会堂跡あたりから、ヘラクレスの門を経て、各皇帝の名前のついた神殿跡を確かめつつ坂道を下る。
            山の麓であり、湧き水に恵まれた地勢であればこそ、いくつも泉が湧き、またそれをつかって高級官吏の憩いの場ともなって
           いたといわれるベンチ式トイレの水洗設備がいかにも現実的印象であった。トイレは安堵の場であり、そこでは思考が穏やか
           である。
            また、いつの時代も欲の人間模様は変わらぬ存在、繁栄の街には決まっていたかのように娼婦の館が場所を占め、それを
           を示す足型の道しるべが路上に現れていた。また、図書館に近いところから地下道を使って入場出来る隠れ通路の存在など
           は、世相を表しているように思う。さまざまな試行錯誤があるものである。
            坂道の下手には上流階級の住居があり、壁にそれらしき高価なモザイクの飾りがあったが、どことなくイスラムのイメージを
           感じたりした。

            ローマ帝国のアジア州執政官であったケルススが作ったとされる図書館は、当時世界第3位の蔵書規模を誇ったということだ。
            クレデス通りを下りきったあたりにあり、通りの彼方、丘の上からも眺められるその8本の円柱に支えられた壮麗な2階建て
           のファサードが見事である。
            ただし、その円柱の間に飾られて立つ4体の女性像の本物はウイーンの博物館にあり、ここのものはコピーとのことだし、ファ
           サードをくぐると中は荒れた廃墟であった。
            私は図書館の脇にあるマゼウスとミトリダテスの門にも興味をもって見た。その名は皇帝アウグストスの奴隷であった2人が
           解放への感謝を込めて建てたことに由来するという。
            奴隷という言葉には独特の抵抗感がある。しかしその制度は、ローマの被征服者への対処の仕方として、論拠のある社会の
           仕組み制度(他国の者を受け入れ社会的に貢献をさせて一般民化していく身分制度)として施かれたものであったのが実態で
           あろう。世界に誇る知的な施設、図書館の脇に奴隷で使えた者の名を冠した公共の門が存在しているのは意外だった。
 
            娼婦の館の前から大劇場の前まで、往時は王や貴族が行進したといわれる古びた大理石の道マーブル通りを歩いた。道は
           大劇場の前で途絶えているようだが、かつてアルテミス神殿へ続く聖なる道であったといわれる。
            大劇場の正面からは、西に向かってこれも大理石を敷き詰めた、幅11m、長さ500mのアルカディアン通りも、列柱の立ち
           並ぶなかに、当時海から街に向かう大通りに相応しい貫禄のある見事な通りであった。エフェスの繁栄は港湾によるところが
           大きかったが、2つの山から流れ込む土砂の沈降によって2世紀頃から港湾の規模は縮小されてしまったのだった。眼の前は
           海だったのである。
            アルカディアン通りから振り返って大劇場を見上げるように望むと、さすがに24000人(立ち見を含めると50000人)を収容
           できたという観客席の大きさに驚く。
            ローマ時代の剣闘士と猛獣の戦いを観せるのに、拡張されたものとのことであるが、どこの街にも必ず設けられた劇場は、
           市民にとっても為政者にとっても大事な施設であったに違いない。

            汗ばむ強い日差しがアルカディアン通りの彼方、左側の丘につづく地平線に少し傾いている。海はその方向に広がっていた
           筈だ。時のアジアを統べる支配者はここから海を見つめて、限りない夢を追ったのであろう。
            7世紀に入るとペルシアやアラブの勢力拡大を受け、8世紀になってたびたび攻撃を受けるようになって、東ローマ帝国はエ
           フェソスを放棄した。
            その後港は完全に埋まった。

            エフェスの街遺跡はむしろローマの繁栄の跡形である。その栄華の跡を荒れ果てた残骸の中に思い浮かべると、ここでも人
           類の歴史の流転を思わざるを得ない。

                              〇 〇 〇 〇  〇 〇 〇 〇〇 〇 〇 〇  〇 〇 〇 〇

    
            トライアヌス神殿        マゼウスとミトリダテスの門(右側高い部分が図書館のファサード)                

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