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風次郎の世界旅
 遥かなる大地・トルコ  

music by TAM Music Factory 

    
          「ヒッタイト」という名のレストラン                 一生懸命パンを造る老婆                 
                     

    (7) エフェスへ―その1―

             まだ午前の陽のなか高速道路を快適に走って行く。
             地図を見ると海沿いの高速道路はトルコ第三の都市イズミルへ通じている。道路の両側には、一面のオリーブ畑が続く。
             南に広がるエーゲ海からそそぐ太陽は、まるで真夏と言いたいほど強烈である。休憩でバスを降りるとクラクラとしてしまう。
             気温が上がっている。しかし、湿度が少ないようで、屋根の下の日陰に入れば爽やかさも感じられるのだった。
             イズミルの町を遥かに望みながら、山の中腹に敷設されたハイウェイは次第に内陸へ入っていく。 

             エフェスへの起点となる町セルチュクの「ヒッタイト」というレストランで昼食になった。小さな町だが日本でも見慣れた、いわゆ
            る下駄ばきマンションといった建物で、上階の住居はクーラーを備えたこの辺では高級建物らしい風情だった。
             入り口の脇に、老婆が伝統的な土地のパンをこねていた。
             小麦粉をこねて薄く延ばして焼かれたパンはあちこちで出てきた。それにジャムやチーズとは違ったこの国のバラエティーに
            富んだ、肉や野菜の料理を乗せて食べるのである。
             この店のパンはこの老婆が作ったものであろう。
             トルコ料理は私の口には合わない味の調理が多かったが、見た目が美味しそうなことは間違いない。ここではキョフテといわ
            れる挽肉を使ったハンバーグのような料理をトマトスープと一緒にを食べた。食後に食べたオレンジが馴染のもので一番美味
            しかった。
             店の入り口にはみやげ物を並べた店が開かれていて、しばらく物色する時間があったが、色彩豊かなスカーフや民族衣装に
            少し気を引かれたのみで、外の強い日の光に輝いて咲く店の前の薔薇やゼラニュームに見とれて過した。

             旅行社も現地業者とのタイアップは欠かせない。旅行商品にとってもパックツアーの価格は競争の重要ファクターであるからだ。
             特に日本からの客はお土産にお金を使う気前の良さがどこの国でも評判のようで、国策も絡んでいることが多い。
             かといって買い物は観光旅行では楽しみの一つでもある。「買わなくても良い」と案内者は言うのだが、売らんかなの勢いに負
            けてついつい買い過ぎるのは旅行者の常、経験している人は多いと思う。
             エフェスへの街道筋で革製品の店「Leatherium KIRCILIR」に寄った。山の中にポツンと設けられた瀟洒な建物に旅行者を案内
            され、見せられた名産という製品は皮のジャケット類。世界中の一流ブランドに提供している製品をこの場所を限定して提供して
            いるというふれこみであった。
             来客参加型の気の利いたファッションショーをスタジオつきの部屋で披露し、いざ展示室で始まった特売会では憧れの皮ジャケ
            ットにすかさず試着を進められて、われらの仲間の購入状況は上々のようであった。日本にも何回も来たという恰幅のいい男の
            店員と旅の話しをしているうちについつい私も手を出し、私にとっては散財をしてしまった。
             たぶん今年の秋からはこのブレザーを羽織って日本の町を出歩くことになろうと思うと、苦笑したくなる。

                                            ○

             セルチュクの町はエフェスを背景に栄えた町、メインストリートを中心地のバスターミナルがあるロータリーを過ぎてエフェスの
            遺跡に向かう。
             街並みを離れると、すぐに小高い丘が波のようにつづく草原地帯に入り、あたりに遺跡のそれらしい様子が見えてきた。バスが
            止まったのはマグネシアの門といわれる南側の入り口。城壁は北の更に高い丘に延びているが、古代の街はもう一方の西の城
            壁との間の丘の麓に広がっていた。
             入口の手前から浴場の跡が見え、入るとドミティアヌスの神殿跡である列柱が並んでいた。規模は大きいが折れたままのもの
            ばかりであった。すぐ脇にきれいなアーチが修復されたポリオの泉と広場(上のアゴラ)があった。
             街はこのあたりが高台で、もと港があった西側に向かって坂道沿いに続いている。

             泉から少し入ったあたりの、およそ墓場と思えないひとたまりの場所に、最近になって確認されたクレオパトラの妹アルシノエの
            墓がある。
             アルシノエはクレオパトラによって葬られたのであった。
             シーザーによって志向されたローマ帝政は、文化においてヘレニズムの地ギリシャからパルティア(ペルシャ文化)に視線を注ぎ
            つつも、一方で食糧供給をもたらすアフリカを属州下に置くことは常に意識していたのである。
             その物量豊かなエジプトは、ヘレニズムを発って東西に手を広げたアレキサンダーによってプトレマイオス統治下にあったが、
            後継相続争いに明け暮れていたようだ。
             クレオパトラの姉ベレニケを殺して王位についた父プトレマイオス12世の後継とされたクレオパトラも、またプトレマイオス13
            世と争い、シーザーの助けによって皇位を得たのであった。後クレオパトラは実弟プトレマイオス14世と共同統治にいたるので
            あるが、プトレマイオス13世の背後にいた実妹アルシノエがいかにも危険な存在であった為、既に通じ合っていたアントニウス
            に言いくるめてエフェスにて殺害させたのであった。
    
             アゴラの先はオデオン(屋根があったという1700人収容ほどの比較的小さな音楽堂)高い入り口の柱が2本残って立つ市公
            会堂と並ぶ。その先にはヘラクレスの門がまっすぐ下るクレテス通りを跨いで建っている、あるべきアーチは壊れて今は無くただ
            ヘラクレスの彫刻が施された四角の柱が並んでいた。
             三角形のファサードを一段高い場所に掲げ、台座にオリジナルな部分を残す美しい様相のトライアヌスの泉、四角の台座に円
            柱と角柱を組み合わせ中央の入り口にアーチを復元したはハドリアヌス神殿が印象に残った。
             古代の街の目抜き通りは、よく晴れた炎天下の初夏の陽射しを受けて、肌に汗を浮かべながら、いつしかのよき時代に思いを
            巡らして見入る見学者達で石畳が埋め尽くされているようだった。

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      トルコ特産なめし皮製品のファッションショー              エフェス遺跡のドミティニアス神殿遺跡    

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