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HISの添乗員は細野さん、私の姉が細野と言う人のところに嫁いでおり、そればかりでなく本人の人柄もとても爽やかで
親しみが持てた。
バスにはボディーに大きくDURKと書かれていた。50人は乗れるバスに18名が乗っているだけだったからツアーはとて
もゆったりと楽そうで安心した。空港から乗った可愛らしい女性の現地ガイドが「DORAK」社はトルコで一番大きな旅行社だ、
と自己紹介に加えていた。
空港からはイスタンブールとアンカラを結ぶ幹線のハイウェイを走って行った。
外にはまだ陽があったので窓からはイスタンブールの街が良く見える。思ったより坂道もあり、起伏に富んだところだなーと、
そしてやはりイスラムの国、モスクがあちこちにありバスの窓から見え隠れが絶え間ないほどである。
その日の宿は新市街シスリ地区にあるグランドシェバヒル・ホテル。
中心街よりはかなり離れており、金閣湾の一番奥まった大きな吊橋ハッリクブリッジを渡った高台にあった。
高層でロビーは広く、欧米のビジネスマンらしい人が多く見受けられる。
私はさっそくPCをチェックしようと思ったが、ビジネスルームが閉ざされていたし、そう気になることもなかったので取りやめ
にした。
はなと軽食を取り、まだ9時前だったけれども明日からの長く揺られなければならないバスの旅に、大事をとってホテルの部
屋で休むことにした。
ベットに横になり、あらためてガイドブックを広げる。
イスタンブールはローマ帝国の盛衰史にピリオドを付し、オスマンによるイスラムの繁栄を導く基地なった都である。
今、人口7150万人のトルコ。北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海に囲まれ、湖が多い。
ヨーロッパ側はギリシア・ブルガリアに隣接し、ロシア側ではグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンに、中東側ではイラン、
イラク、シリアに接している。西欧、東欧・ロシア・アラブ・アジアと日本から遥かなる地図で馴染みの小アジア半島(アナトリア)
は広い。
近世ではオスマントルコ(15世紀〜19世紀)が権勢を誇っていたが、第一次世界大戦後は、アタチュルクによる数々の功績
をもとに成し遂げられた「トルコ革命」によって1923年、議会制の共和国となったのである。またイスラムの宗教法から、「大
統領―首相―議会制」と、三権分立の、世俗法の国として、今イスラム教徒(スンニ派)が、人口の98%を占め民族の文化の
中心になっているという。
世帯の平均所得は月8万円くらいとのことだ。GDPでは、$9300億(85兆円、日本の約6分の1)である。(イスラム国は、
商品化経済の内容が異なるので、規模比較に大きな意味はないといわれる。)但し、1980年代から2000年代初頭まで、巨
額の財政赤字(公共事業費と不正)をまかなうため、政府がペーパーマネーを大量に刷ったことから、物価が10万倍になった
ハイパーインフレを起こしている。04年以降、政府がマネー量を絞ったため、若干の落ち着きを見せているものの、2009年
の直近のインフレ率も10.1%と高い。
経済(GDP)の実質成長率は2.5%、直近の鉱工業生産は落ち込みが激しく、失業率も10.3%と高い。客観的にはトルコ
はドイツ経済との関係が深いようであるが、とても豊かな国とは言えないようである。
旅行中通常はトルコ、リラで支払いをしたが、米ドル、ユーロ、円がほとんどの店舗ではそのまま通用した。1リラは約60円の
レートであった。
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目が覚めたのは3時だった。
昨夜はガイドブックを見ながら寝てしまったのだった。
1時間ばかりリュックの中身を整理したり、ノートにメモを加えたりして過したが、やはりじっとしてはいられず、窓から雨のないこ
とだけをたしかめて部屋を出た。
ロビーは閑散としていたが、回転扉の脇には背広姿の警備員がこちらへ眼を向けていた。
「早い時間だけど、散歩なんだ」と言うと「どうぞ」と見送ってくれた。
昨日到着したときにフロントで買った市内の地図にホテルの場所をマークしてもらってあったが、それを見てもなかなか見当つ
かない。ホテルは大きなT字路の角にありエントランスの前の道路は左に高く傾斜している。
玄関の上に掲げられた万国旗の竿にワイヤーが当たって少しの音が聞こえる。微風があるようだったが、Yシャツ姿で寒くも暑
くもない。
ホテルの向かい側に大きなガソリンスタンドがあり、タクシーやトラックが止まっていた。その奥にコンビニ風の店があって、ドラ
イバーが出入りしているので、ちょっと寄ってみた。
食料品、ビスケットやケーキ、チョコレートのようなものの棚が2列もあり、隣にハムやチーズが並んでいる。野菜類は置いてな
く、果物(ぶどう、マンゴ、あんずなど)の乾物があった。
パンは手のひらほどの丸いものと棒長のもの、出入りの男たちはそれらを求めては自分の車へ戻っていくのだった。
私は昨日空港で両替したばかりのトルコリラをポケットの中に少し小銭化して持っていたかった。ホテルにあったものより気の
利いた地図でも買おうか、と探して見たが置いてはなかった。
仕方なくクッキーを2つばかり買うことにして奥のカウンターに向かう。100リラ札を出すと、無愛想にレジを打っていた体格の
いい男はジロリと剥き出すような眼を向けてきた。
「悪いけど、それしか持ち合わせないんだ。」と伝えたかったのだが、英語は通じなかったのかもしれない。彼は何か言いなが
ら100リラ札をチラつかせたが、トルコ語ではまったくわからない。私は両手を広げて横に振った。
往々にして体が大柄で眼もギョロッとしているトルコの男は、それだけで威圧感を感ずる。しかし、そのギョロメの風貌が一端
崩れるといかにも愛嬌のあるものに変わる、ということが後で良く分かった。睨みつけたかに見えた彼の顔はたちまち笑顔に
変わり、10リラ札と、リラコインを何枚も並べておつりをくれた。
T字路の角にあるガソリンスタンドの左側は、昨日来た高速道路へ通じている。
私はとりとめもなく、その道路に沿ってしばらく歩いて行った。
タクシー会社の車庫と事務所が整然としない雰囲気で建っていた。その入り口には黒い犬が寝そべっており、通りがかった私
を見つけると後をつけてきた。
動物には下手に戯れてはいけないと聞いている。上り坂の道路は500mも続いたが、犬は帰ろうとしない。撫でてやろうにも
異郷の地での変な病害の恐れを思うとそれもならず放っておいたら、緑に囲まれたサイエンス関係の(表示板のトルコ語も良
くわからなかった)公共施設を眺めながら、グルリと廻っているうちにいなくなってしまった。
しかし、坂道の上から反対側に渡り舗道を降りていくと、今度は2頭の犬を連れた親子に行き会った。犬はリードロープのな
いまま導かれていた。どうやら犬たちはリードが義務付けられているということではないのだろう。
ホテルの更に先にあった露天の広い公共駐車場のなかにも、飼い主がいるのかいないのかわからない沢山の犬たちがのん
びりと戯れているのであった。
どうも犬には解放的な国のようだ。
坂道から彼方に広がるイスタンブールの市街地に登る朝陽を浴びつつ、「今日も良い天気だな!」と逸る心を駆り立てられる
ように感じつつホテルに戻った。
ツアーはいよいよである。
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郊外のアパート群