☆☆☆
1時間20分の空路。
横6座席の比較的小さなジェットの旅であったが、陸路だと8時間は裕に掛かるのだから大いなる節約である。満席の機内を愛想
よくアテンダンスがサンドイッチのサービスをしてくれた。イスタンブールについてから昼食の予定が組まれてはいたが、腹は時間が
来れば決まったように空いてくる。「チャイ」と声をかければサービスしてくれるトルコ茶と共に美味しく戴いた。
広大素朴な荒野を飛び立ち、ほんのひと飛びという感じでイスタンブール、アタチュルク国際空港に着陸した。
イスタンブール、首都のアンカラを上廻る人口880万人、モスクワ、ロンドン、パリに並ぶヨーロッパ屈指の世界都市であり、世界
遺産に登録された歴史地区を誇る街だ。
国内線ターミナル出口でバスを待つと、やはり大都市の喧騒が待ち構えている雰囲気がただよう。そしてまた、相変わらず真夏の
ような午後の陽射しが周囲に眩しく満ちている。
初日の時、市内へ向かったのは確かトルコの大動脈たるハイウェイを行ったのだが、この日のバスはマルマラ海に沿った道路を
走っていくようだった。別の道を使ってくれたのは、私にとっては別の風景を楽しめるのでありがたかった。
空港を出ると開けた草地があり、すぐに小さなヨットの係留された港の脇を通った。このあたりから先がイスタンブールの港域にな
るのであろうか、沖には幾つもの貨物船らしき船が停泊しているのが見えた。やがてかなり大きな観光船も入港している岸壁のある
港を過ぎ、緑地公園の終わりに古いコンスタンチヌの城壁が海岸沿いに残っているのを見た。バスはその城壁を潜り抜けて市街地
へ入って行った。
広い通りは「アタチュルク大通り」である。日本のつつじののような真っ赤な花と、雛菊のような黄色の花で埋め尽くされた公園の中
を大通りが抜けている。と、これもローマ時代の遺産「ヴァレンスの水道橋」が二重の門のように見えていた。
イスタンブールの前身となるコンスタンティノポリスを建設したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の時代に、イスタンブール旧市街地
区東部に新鮮な水を渡すために建設が始められ、ヴァレンス帝がコンスタンティノポリスを統治していた378年に完成したものである。
東ローマ帝国を経てオスマン帝国時代までイスタンブル旧市街に水を届けつづけ、最後の補修は1697年に行われている。今は歴
史的遺産として市の中心部に飾られているような存在だ。
金閣湾に架かる「アタチュルク橋」のたもとを湾岸沿いに折れて、対岸の「ガラダ塔」を眺めながら国際駅スィルケシの繁華街に出る。
観光客の群れているバザールの前をやり過ごしてマルマラ海を見渡す海辺のレストラン「SUR BALIK」に着いた。
看板にFish Restaurantと書かれていたので嬉しくなった。私の動物性淡白嗜好はどうも陸の幸、肉よりは海の幸、魚を好むようだ。
魚と言うだけで好物にありつけた思いだった。魚の名前はわからなかったが、大きめな癖の無い骨太の魚をフライにしたものがメ
インだった。スープも魚であった。パンはいわゆる普通のものが出たし、デザートも苺プリンで口にあった。
レストラン「SUR BALIK」は目の前がマルマラ海、見晴らしの良い4階の窓にもたれて見下す船着場から白い船が青く続く海へ出て
行く風景に見入った。東洋から訪ねてきた私たちに異国情緒を感じさせるには十分と思えた。
○
青い海を眺めながら、しばらくの間、私はイスタンブールにいる自分を確かめた。
ローマ史を一つのテーマとしてヨーロッパを巡るのに、私にとってイスタンブールを訪ねることは長い間の願望であったのだ。
一つには子供の頃から地理的にアジアとヨーロッパを繋ぐ要の地であったことに関心が高かった。また、ローマの歴史に興味を持
ってからは、ギリシャの文化に親しんだローマの上流の民が憧れたばかりでなく、歴代の皇帝たちも地中海を越えてアジアを展望す
るペルシャやアフリカを視野に入れて都を移すことを目ろんだ地であったからだ。
ついにコンスタンチヌ1世がこの地を帝国の都とした。展望は開けなかったものの、つづくローマ帝国の分裂から東ローマ帝国(ビ
ザンツ帝国)、やがては西ローマ帝国に代わってローマ史1000年を綴った都である。
1453年オスマントルコの制圧によってローマ帝国はその歴史を閉じた。その後地中海沿岸は言うに及ばず、中欧のハプスブルグ
帝国をも揺るがす勢力を醸成する礎となったオスマンの繁栄の拠点として、さらにイスラム世界の新たな広域拡大の拠点として歴史
ロマンを繰り広げる中心となったイスタンブールである。
イスラムの覇者たちはここにその華麗な時代の印象をとどめている。
ただ、私にはそのイスラムに対しては解らないことがある。彼らの民を統べる統制の力であるイスラム教には、定められた「五行」
があり、信仰への告白、礼拝、断食、貧者への施し、巡礼を行うことが教義であろうに、なぜ民の上に位するものが贅を尽くし、欲を
欲しいままに生活してきたのだろうか。
教義には別に「六信」と言うものもある。つまり信ずべきは神、天使、教典、予言者、来世、天命とする。殉教の若者が来世を信じ、
神がもたらした天命と信じて自らの命を他の市民を巻き添えにして戦う姿には同調できないものがある。
宗教が覇権の為の手段と化したとき時代は厳しい混乱を招くものと言わざるを得ないのだ。
ローマ帝国でもコンスタンチヌ帝によるキリスト教容認によって、極端に政治のキリスト教化を促したものと言える。それによりロー
マ帝国内の神殿はキリスト教会化されていく。そして政治は宗教の争いへの道を辿ることになった。その是非と常識の区分はいつの
世でも常識の論外に置かれているように思う。
政教分離が現代でも難しいテーマとして人類の生活を揺さぶっているのは嘆かわしい。何故なら両者とも人々の生活を安らぎに導
く心の手段であるべきものだからである。
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ヴァレンスの水道橋 海辺のレストラン
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