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風次郎の世界旅
 イベリア半島駆け歩き
  [スペインとポルトガルの旅]

music by KASEDA MUSIC LABO


伝統の洞窟フラメンコ
                     

 (9)グラナダ

              グラナダの街に入ったのは最早夕闇の押し寄せる頃であった。
              カンツォーネでも唄われる「グラナダ」や、またギターの名曲タレガの「アルハンブラの思い出」から言い知れぬ「哀愁の都」
             を胸中に描いて到着したホテルの名前ががなんと「カルメン」。
              ここではスペインならではのイベント、サクロモンテの洞窟でジプシーのフラメンコを観賞することになっていた。グラナダと
             はスペイン語で「ざくろ」の意だそうだ。
              もともとインドなどの原産であると言われるが、その花のあざやかな橙赤色がこの地方にイメージされたのだろうか。
              ホテルで夕食を済ませるとさっそく小型のバスに乗り込み狭い道をくねくねと登っていく。降りて見ると全く石の道、石の崖の
             ようなところに沢山の住居が軒を連ねている。フラメンコが演奏される場は、当初は個人の家などプライベートな空間が中心
             であったと言うことだ。石段の先に入場を待つ大勢の観客たちが行列と言うより道路に溢れていた。
              洞窟の中はかなり広く、50人ほどの観客席が両脇の壁側に設けられている。装飾は壁に幾つかの風変わりなランプと金属
             のフライパンや、大きなスプーンの形をした台所用品が吊り下げられているのみ。その脇にフラメンコを踊る女性を描いたや
             や大きな額が掛けられていた。
              若い男性2人が交互にギターを弾き、他の若い女性の踊り子と交代で2〜3曲ずつを踊った。なんといっても手を挙げて揺ら
             す男性の踊り、カスタネットが響き、スカートを摘んで腰を振る女性の踊りが、しきりにタップを奏でて震える足の動きとともに、
             フラメンコの圧巻である。
              座長とも言うべき堂々たる体躯の老婆が登場して見事な声量で唄った。それがカンテ・ ホンド といわれる魂の奥底から響くと
             言われる深い声なのであった。バイレ(踊り)は単に楽しむのでなく、カンテを体で表現するものと言うことであるらしい。
              盛り上がりは絶頂で、洞窟の雰囲気が充分生かされて見事なフラメンコショーであった。
              アトラクションに、一座(一家のようでもあった)が観客の相手をしてフラメンコを共に踊ってくれたので、はなはそれに参加して
             思い出を深めたようだ。

              昼のコエンスグラと打って変わって、夜のグラナダは冷え込んだ。季節はずれの寒さだとガイドが言った。熱気で充満したフラ
             メンコの洞窟から出てきたばかりだったので震え上がるほどだった。 
              坂の町アルバイシーンの風の吹く細い石の階段道路を歩いて、サン・ ニコラース教会近くの広場に登り、ターロ川の谷の向こ
             うにおぼろげな照明を浴びて浮かび上がっている「アルハンブラ宮殿」を眺めた。
              イスラム侵略の最後の牙城が憂愁の美しさを漂わせている。
              中世は宗教がアイデンティティーで推移したのである。スペインとポルトガルのあるイベリア半島はイスラム教とキリスト教の抗
             争の場だったのであった。この城が陥落したのは1492年だった。
 

――アルハンブラ宮殿――
 
              本当に4月とは思えない寒い朝だった。門の外で待っていた男性の地元日本人ガイドが、「今年は冬の始まりから寒く、雪も降
             った」と話していた。しかし、周囲の木々はすっかり緑に染められ、場内に咲く花も美しく楽しい見学だった。それでもやはりイベリ
             アの春であることには変わりは無いのだな、と思った。

              アルハンブラはアラビア語で「赤い城塞」の訳であるという。静かで美しい城砦を歩いていると、本当にどこからかタレガのギター
             曲が聞こえて来そうな、清々しい華麗な宮殿であった。
              ムカルナスと呼ばれる形式の鍾乳石飾りの天井装飾の下を進み、数多くのタイルを組み合わせて創りあげられた、立体的な蜘
             の巣状のモチーフは、イランやエジプトなど東方で発祥したものがイベリア半島まで移入してきたものとのことである。
              柱や壁の彫刻の中には女王が残したメッセージが隠されている、とか 宮殿内に敷き詰められたタイルは、一枚一枚当時の職人
             によって作られたものとか、精巧な芸術の結晶ばかりである。
              アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、イベリア半島最後のイスラム王国によってであり、グラナダを首都としたナスル朝
             (1238年 - 1492年)の時代である。
              宮殿内のハーレムを含め、イスラム宮廷人の生活の跡が残る部屋、壁と天井を覆うアラベスクの幾何学紋様、刈り込まれた庭
             園と、湛えた水は、当時の人々のここで過ごしている様相を浮かばせて余りある。石壁の部屋の中央に噴水があり、床の浅い溝
             を水が流れていた。ここを征した砂漠の遊牧の民には、水は豊かさの象徴であるという。

              深い谷に接した外の通路に出たら、渓谷の向こう側に昨夜過ごしたアルバイシーンとサンクロモンテが見えた。そこは石の山の
             中腹であることがわかった。

              細い小道を進むとヘネラリーフェという夏の離宮に至り、50メートルもの細長い池に沢山の細い噴水を注いだ緑の庭があった。
              ブーゲンビリアと藤の花が咲き乱れ、春の陽に光っていた。

――ミハスへ――

              宮殿を離れて街に降りた。
              サッカースタジアムの近くの店でお土産を買った。それでグラナダを離れ、マラガの近くのハイウェイにあったレストランで昼食を
             して、さらに地中海を見ながら走る。
              コスタ・ デル・ ソルの保養地、白い家並みの街「ミハス」へ向かう。
              海岸伝いのハイウェイを離れて、しばらく坂を登り、観光バス用の広い駐車場に着いた。ミハスに降り立つと午後の陽は再び暑
             い夏を感じさせられるのであった。

              白い、全く白い。そして山の中腹だから、坂道である。散策道路にはユニークな土産物店が並んでいた。一番上の展望台まで
             行って、ぐるっと青く広い地中海を遠望した。
              白い街でいっぱいに広がる青い地中海を眺める。
              その近くにあった小さな花をガラスの中にあしらったキーホルダーのような装飾品にして売っている店で買い物をした。それを発
             想した日本人の経営とのことだった。
              ミハスは青い海の展望できる白い坂の街だった。

      
  装飾模様と庭の美しさが際立ったアルハンブラ

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