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風次郎の世界旅
 イベリア半島駆け歩き
  [スペインとポルトガルの旅]

music by KASEDA MUSIC LABO


コエンスグラの風車
                     

 (8)メスキータ

 ――コエンスグラ――

              天候は回復して真っ青な青空の下をマドリードから南へ200km、ラマンチャ地方の名所、コンスエグラへ向かった。
              天気が良かったから風が強かった。そして風が強ければ名物の『風車』にはもってこいの設定ではあるのだが、丘の
             上に立っている9本の風車は本物とは言うものの、最早観光用のもので、動かないものであった。
              又、観光ツアーでは、「ドン・ キホーテ」ゆかりの地ラ・ マンチャ地方の風車へ!とか、「ドン・ キホーテゆかりのコンス
             エグラ」と謳って、風車に挑むその物語の舞台をコエンスグラであるごとく表現しているものもあるが、そちらは「カンポ・
              デ・ クリプターナを巡るツアー」でなければならないそうだ。
              私はあえて、ドン・ キホーテは問題にしなかったし、丘の上の風車はラマンチャの状景を象徴するに充分で、楽しむこ
             とができた。
              風車小屋は階段で上るほど、思ったより大きなもので、番人がいて私たちを中に誘い、操作の案内をしてくれて面白
             かった。
              風車の並ぶ群れのはずれに旧い城があり、風情を副えていた。又丘の上から見渡す広く荒涼たるラマンチャの平原が、
             青空の下ではスッキリと気持ちの良い果てしない拡がりであった。
              風車を楽しんで、私たちはコルドバへ向かった。

 ――コルドバ・ メスキータ――

              アンダルシア地方の中央に位置するコルドバの礎が築かれたのは、紀元前2世紀の半ば、ローマ時代のことである。
              哲学者セネカを輩出したことでも知られる町だ。
              8世紀初めにイスラム教徒によって征服され、やがてウマイヤ朝が成立すると、コルドバはイスラム王国の首都として
             発展。10世紀にカリフ王朝の誕生によって黄金時代を迎えたのである。加えて、そこに至るラフマーン3世とハカム2世
             の治世下、繁栄のなかで大図書館が建てられて、多くの学者が活躍した当時文化の誉れ高き憬れの都となった。そして、
             トレドと並び西方イスラム文化の中心地として発展、世界最大の人口を持つ都市へと発展したのであった。
              当時の人口はなんと100万人。モスクの数は1600以上にもなり、バグダッドやコンスタンティノープルと並ぶ世界の文
             化や芸術の中心地となり、「西方の真珠」と称されたのであった。
              その時代のイスラム文化を伝える建築物や街路が遺され、メスキータやユダヤ人街を含む「コルドバ歴史地区」として
             世界遺産に登録されている。

              昨日のトレドの雨模様とは打って変わって、暑いアンダルシアの太陽の下であった。 私たちはグワダルキビール川の
             辺にバスを降り、城壁伝いに歩いてメスキータへ向かった。 

              眩しい午後の陽の中でアラビア風の赦しの門(パラシオ門)と名付けられた入り口をくぐり中庭に入ると、オレンジの木が
             素朴に立つパティオが広がっていた。アンダルシアの4月はもう夏のように緑が輝き、そこに集まった世界の国々からの
             訪問客の入り乱れて集う様子は、教会の庭とは思えぬ明るい光に満ちていた。
              シュロの入り口が礼拝堂への正規の入り口だが、そこは日曜日のミサのときにだけ使うことになっているようで、私たち
             は左側の通路から中に入っていった。
              回教の時代には礼拝堂に暗さを求めることは無いから、もっと開かれていて明るかったようである。キリスト教の下にな
             って行われたと言われる礼拝施設の改装が、あまりに明るい外の日差しの中からまるで夜の世界へ引き込まれたような
             印象を受けてしまった。
              宗教は人の心を苦しみから解放し、束縛を忘れさせ、安らぎを見つけ出す道しるべであってしかるべしと思うのだが、な
             かなかそうは行かないようである。神は光り輝き、格式も大きさも求めるのであろうに。
              イスラム文化繁栄の後、キリスト教勢力によるレコンキスタの進展により、1236年、この地はカスティーリャ王国のフェ
             ルナンド3世に征服された。15世紀末、レコンキスタが完了によってイスラム勢力がイベリア半島から追われ、メスキータ
             もカトリック教会に改装されていく。メスキータのキリスト教会堂化にまつわる逸話は、キリスト教徒、イスラム教徒双方に対
             立を融和させる物語として語られているが、現代に珍重さるべきものと思う。大理石の円柱が林立するメスキータの「円柱
             の森」の入ると、異国の私はついこんなことを呟いていた。
              「攻撃の無いこと」が宗教の真髄であるはずだ!と。イスラム教とキリスト教が混在する特異な建築物メスキータは、その
             原点に立てば「平和のシンボル」になれるのでは!と。
              メスキータは785年にイスラム教王アブドゥル・ ラフマーンによって建てられたモスクであったが、後に3回の大規模な増
             築が行われ、その規模は世界第三を誇るものである。ここでは、一堂に2万5000人もの信者たちが祈りを捧げられたという。
              「円柱の森」と称される内部の柱は、高い天井を支えるため、円柱の上部が馬蹄形と半円の二層構造になったアーチを大
             理石の円柱が支えている。アーチは赤いレンガと白い切石を組んだ造りである。かつて1000本以上あった円柱は、16世紀、
             キリスト教徒によって大聖堂が造られる為にそのうちの一部が取り払われたが。流石に世界の目をひきつけている特異なも
             のであった。
              メスキータのトラかゼブラの体の縞模様のような柄が「円柱の森」の印象として焼きついている。他の人に聞いてもあの図柄
             は必ず思い出していた。

              精密な幾何学模様の装飾が美しい歴史地区のあちこちにあった。
              旅行者に人気の高い「花の小路」を歩き、激しい歴史の流れの中にどこと無く漂う
              緻密さと優しさの雰囲気を感じながら街をあとにした。

    
  メスキータ・円柱の森             ユダヤ人街・花の小道

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