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――マドリード――
標高は646mあり、ヨーロッパで一番高いところにある首都とのことだ。 闘牛、フラメンコ、サッカーと民心熱狂の国スペイン。
サッカーは、強い「レアル・ マドリッド」の本拠地である。そして国土は日本の1.3倍、人口は4100万人、17の自治州の地方
分権が強い他民族、多言語の国家である。皮革、畜産 ・ギター ・オリーブ ・ワイン ・陶磁器 ・リヤドロの精巧人形 ・大理石の石
材家具が伝統産業。今、独仏それに日本も加わって自動車産業が工場を並べる。
レコンキスタ(国土奪還)をしたのはイザベル女王の時代(15世紀末)である。
スペインが西欧諸国と違う点は、711年から1492年までの7世紀にわたって、イスラムに占領されたことである。700年もの
間イスラムの支配と戦い続けたということのもたらしたものはなにか、そこにはイスラムとの争いが遺した文化的な融合がある。
イスラムから領土を奪還し、やがて、コロンブスがアメリカ大陸を発見した16世紀末(日本の戦国時代)が、無敵艦隊を誇った
スペインの全盛期となる。殖民地を拡げ、世界におけるポジションが最も高かった。その後、勃興した英国に破れ、つかの間の
世界覇権を失ってしまう。ラテンアメリカのスペイン語圏は、過去のスペインの支配の強大さを示している。その名残は今も、英
国とはジブラルタル半島(現在は英国の海外領土)の領有権を争って歴史の禍根を引きずっていることにもみえる。
スペイン各都市いたる所に世界遺産となった建造物があり、世界からの観光客が多いようだ。観光はこの国の最大の産業だ
そうである。
年間観光客数は人口を上回る5200万人。フランスの7500万人に次ぐ世界第2位。日本からも20万人。所得は低いが、い
づれなるようになるというのがスペイン気風とも言われ、国民性は愛されるのであろう。
マドリードには2泊した。自由時間がとても限られていたので、早朝ランニングで市内のメーンストリートを駆け巡った。
ホテルはチャマルティーン駅の東ラ、パスハイウェイを降りたピオ、ドセ通りにあった。
坂道をのぼって行くと駅は高台にあり、カステーリャ広場からアトーチャ駅まで森を思わせるほどの大きな並木通りが続いていて、
走るのには気持ち良かった。
カステーリャ散策路、プラド散策路と銘打った広い歩道を持つ美しい通りであった。それに歩道には色つきのタイルが施され、何
とも贅沢なことであった。著名なハプスブルグ家の権威の名残でもあろうか。
マドリードではプラド美術館とレイナ、ソフィア芸術センターに入った。
15世紀以来の歴代のスペイン王家のコレクションを展示する、世界でも有数の規模と内容をもつ美術館であるとの前知識で観た
「プラド美術館」ではあった。が、たくさんの作品を目の当りにして、ご他聞に漏れず関心の高かったゴヤの「裸のマハ」「着衣のマ
ハ」のみが印象に残った。あとは、館前で、降り始めた雨に街路樹の葉が濡れて、若干その風情に見とれて集合時間を待ってい
たことを思い出すのみである。
プラド美術館の背後は大きな公園であったが、そこもまた森の広がりのように見えた。続けて行ったアトーチャ駅の近くにあるソフ
ィア王妃芸術センターまで、プラド散策路を傘を差して歩いた。
芸術センターは下り坂の右手にあったが、坂道の先にアトーチャ駅が見えた。私は数日前にテロ事件で世界を震撼させた現場で
あるアトーチャ駅の様子に気を引かれ、長く続くその駅の丸屋根を、上から眺めつつ歩くのだった。
ソフィア王妃芸術センターでも、プラド美術館別館からここに移され展示されているピカソの作品『ゲルニカ』の印象を心に留め置
いたのみであった。
私にとってはマドリードは王室の栄えた良き時代に美しく築かれた「街の風貌」に気を惹かれるばかりの街であった。
それぞれの通りに面する建物の様子は、パリの街並みの美しさを思わせた。縦長の窓を、飾りのついた手摺の向こうに並べ、各
階の高さが4階から5階の統一された設計構想がいかにも王都を思わせた。
そして広大な広場を配し、整然とした「王宮」の調和の感は、王が市民の中に存在する都を望んだようにも伺えるのであった。
街のそこここに造られた広場、それを回廊のように囲む建物群の軒高なアーチ。王朝時代が描いたヨーロッパの街の典型をここ
に見たような気がした。
トレドから戻った丁度夕陽の落ちる時間を過ごしたのは、一行がお土産を買うに適当な店があるとガイドが案内した店の近くだった。
王宮を望む、ちょっとした高台にパラソルを幾つか立てたカフェがあった。私は当にテイクファイブどとばかり、そこに席を求めた。
N氏、Y氏など一緒にコーヒーを注文し、お互いに寛ぎのひと時を過ごす。
丁度又、その近くに教会があり結婚式を終えた20人ほどの家族が、白いドレスの花嫁と、黒いタキシードの花婿を囲んで坂を下っ
てくるのだった。良い雰囲気だった。買い物を終えた私の妻はなも、そして他の婦人たちの何人かも、パラソルの下に合流した。
勿論コーヒーは美味しかった。そしてマドリードの街の印象に、美しいもう1ページの思い出を得て、私は嬉しかった。
――トレド――
トレドのパラドール・ コンデ・ デ・ オルガースに昼食がセットされているとのことで、バスは昼前にマドリードを離れた。勿論世界遺産
「トレド」の観光は楽しみにしていた目的地であった。
1時間強走ると、タホ川の谷を挟んだ対岸にトレドの街全景を見る場所に建てられているパラドールに着いた。入り口を入ったとこ
ろが売店とロビーになっており、正面のガラス窓から谷越しに城塞都市「トレド」の全景が見えるようになっているのだった。窓に近づ
くと、雨は上がったが厚い雲が、タホ川に囲まれて島のように見えるトレド全景を包み、まるで歴史の幻想を写すトレドの景色である。
暫し見入っていた。
建物の建つあたりは展望台に指定されているようだ。崖の上のような場所で、どこからも城塞都市が良く見渡せた。
「パラドール・ コンデ・ デ・ オルガース」の茶色の古びた石造りの建物も中々の見応えであった。スペインには幾つかのパラドールが、
観光施設としてホテルを兼ねた一般の利用に供されているようである。
昼食はきちんとしたテーブルマナーでいただける肉の料理だった。
スペイン料理は材料も豊富で地方色豊かな郷土料理も加わり、食通にはこたえられないとの評が多いが、その脂とスパイスに馴染
めない私は、何となく近づけない気がしている。しかし、ここでの昼食はあまりごてごてした調理味のものでなく美味かったように思う。
パラドールからの展望を終え、城壁都市に渡る谷にかかるサン・ マルティーン橋まで近づいたバスを降りて、城塞都市に入っていく。
古代ローマから西ゴート王国、後ウマイヤ朝、スペイン黄金時代といった2千年紀にわたる文明の痕跡が、現代化をまぬがれ保全
されている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教による異文化の混合が、旧市街全域に古都トレドとして、又、ユネスコの世界遺産とし
て守られているのである。
トレドは、かつての西ゴート王国の首都であり、カスティーリャ王国、スペイン王国にあっても宮廷の所在地であったほどの重要度を
託ったのだが、後、1561年、フェリペ2世がマドリードに宮廷を移すことによって、マドリードが首都として確定し、トレドはゆるやかに
衰退を始めたのであった。
崖の斜面に造られた道路を辿って、グレコの家を見、サント・ トメー教会を見た。この街は神秘で奇異な作品の画家グレコが活躍
した街でもある。その彼の最高傑作といわれる「オルガス伯爵の埋葬」の画があることでサント・ トメー教会は世界的に有名になって
しまった。
15世紀に完成したトレド大聖堂は、高台に広場を設え、そのものもスペイン大司教の首座であるに貫禄充分である。手の込んだ
木彫彩色の聖書物語が、主祭壇の後背を高く埋め見事であった。ともかくフランス系ゴシックと言われるそうだが、建物が壮大で、
折から垂れ込めていた暗雲に荘厳な風情がマッチして、聳える姿を眺めて歩くに不足無い散策であった。
私たちは元皇帝の居所であったアルカサルを通り抜けて見学を終えた。
サン・ マルティーン橋 パラドールからトレド全景
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