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バレンシアから210kmフカール川とウエカル川の合流する谷を見下ろす山上に築かれたのが世界遺産城壁都市クエンカ
の遺跡である。しかし、現代の市街地は川沿いにあった。
バスは街道から低地に広がっている市街地へ入って行く。もっともクエンカはラテン語で「川の盆地」を意味するそうである。
運転手は狭い幾つもの交差点をすれ違うのに苦労しながら、駐車場を探しているようだった。道路の脇にはどこにも埃に
まみれたままの車が止まっており、避けて通るのが難儀のようだ。新緑の季節というのに木々の葉さえ埃で白く見えた。
狭い道に車も多く、砂埃の多い町のようであった。
周囲にひょろひょろとした木を植えた公園の隣にある「ALFONSO」という看板の掲げられたレストランで、「4種類の保存
食」という昼食を食べた。この地の伝統的な保存食といわれるもので、まるで塩漬けシリーズ。サラミのような肉と、乾燥した
野菜のもどし煮のようなものがでたが、珍しさで口に入れてみるだけ、塩辛くて決して美味ではない。パンだけが昼食のよう
な気がした。
レストランは3階の部屋で、窓から街並みの向こうに岩の肌をさらしたままの山が見渡せた。街中には沢山の木が目立つが、
おそらくは地表の土が少なく斜面では雨にされされてすぐに岩肌が現れるのであろう。
黄土色の岩山にへばりつくように、レンガと石で造った家の集落が広がっている。おそらく農地には不適な石灰質の台地が
続いているのだろう。
南欧の、山に何か疎らな白いイメージのある風景は、緑木の少ない石灰岩の山肌から来るのである。それを見続けると、緑
の日本はいかに水と森の国であるかをあらためて知ることができる。
昼食を済ませ、レストランを出て、山の上にあるクエンカの城壁都市遺跡を観に坂道を上って行った。
深い谷に掛けられた細くて長い橋を渡り切ると、急な坂道となり、真上にいわゆる「宙吊りの家」が見えてきた。そこに建つほ
とんどの建物は中世の石造りであるが、「宙吊りの家」は木造で岩場から谷に迫り出しているのである。
細い路地を巡り、谷を眺めつつ古き昔を偲ぶ。切り立った崖や取り囲む渓谷に守られ難攻不落の城砦と言われたのであった
が、1177年、食糧を断たれ9ヵ月を経て開城となり、イスラム教徒からキリスト教徒への支配下と移ったのである。
教会だけでなく、至る所に1000年を超える昔の住居が残り、修復を続け、利用していると聞いた。
そこに文化の違いを感ずることができた。今もそのままの姿で、多くはホテルとして観光客に提供されているようだ。
坂を歩き、午後の陽射しのなかで汗ばむ程であったから、小路を抜けてくる風が心地よかった。
高台のカテドラル、これはファサードがネオ・ゴシックであるから開城後に建てられたのものであるとのことだが堂々たる風格
が感じられた。その建物の前は車も入ってくる広々とした広場になっており、みやげ物店も並んでいる。
広場を少し離れた場所からは、眼下の小路の先に石の壁をむき出しにした深い谷が続いているのが眺められた。
戦いの時代には、東西を問わず山上に城郭が置かれたことが多い。等しく外敵から守るには確かに優位であったはずだが、
外部との連絡、食糧補給や水はいかに塩物を持ち込んだとしてもそれぞれの知恵が施されていたに違いない。
クエンカは現代も調査が続けられているのとのことである。
○
午後の陽射しなかを首都マドリッドへ向かう。又しても丘陵の続く170キロ。イベリアの大地を淡々とバスは走っていく。イベリ
アはどこまでも荒野の印象を胸に焼きつけてくる広い大地である。
その行く手に入って行く王都マドリッドには、どこと無く貴賓の漂うイメージを思い浮かべるのであった。
そして、チャマルティーン駅に近いホテル・コンフォーテル・ピオ・ドセに着いたのは夕闇の迫る頃だった。
対岸の高台から見る城壁都市 崖に敷かれた小路
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