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風次郎の世界旅
 イベリア半島駆け歩き
  [スペインとポルトガルの旅]

music by KASEDA MUSIC LABO

       
               聖母広場から見るバレンシア・カテドラル     

 (5)バレンシアからクエンカ

             地中海沿岸の春はとても爽やかだ。
             海辺の街バレンシア。朝のバスはトゥリア川の堤防から旧市街に入っていく。やがて歴史の匂いのする街の一角に止まった。
             コスタ・デル・アサアル(オレンジの花の海岸)といわれるこの海岸地方は、今、名のとおり春の開花期をむかえ、バスを降り
            て歩き始めた私たちに仄かな香りを届けようとするがごとく、新緑の葉が揺れて街角を飾っているのであった。
             この地域は、8世紀からイスラムに支配されたのであるが、13世紀にキリスト教が奪還、以後バレンシアは地中海交易の黄
            金時代を取り仕切った街なのである。
             南ヨーロッパの形成期は、アフリカを経由するイスラムと、広域布教を進めるキリスト教の布陣争いの時代でもあった。覇権
            争いは、いつの世でもその地の民に決して幸いをもたらすものではない。その後キリスト教によって描かれることになるヨーロ
            ッパの歴史ではあるが、ここバレンシアの街づくりは、征したイスラム時代に遺された灌漑技術によって設備や用水が大きく
            築かれたのだと言われている。
             民の歴史のみが語る、積み上げられたその名残の遺産と言えようか。
             灌漑用水はトゥリア川の改修を考慮せずしてはありえなかったのであろう。街の中央から港に流れるこの川は、今ほんのひ
            と筋の流れを残すのみで広大な緑地公園と化している。勿論その整備は現代の所産ではあるのだが、現在、トゥリア川は街
            の西南のルートを取ってゆったりと流れているのである。私はこの街でも朝のランニングを楽しんだが、走りつつ眺める街の
            風貌には今日も整然とした区画整理を伴う新しい街づくりが見て取れた。
             スケールの大きな構想によって着々と進められている様子であった。公園の配置はふんだんに取り入れられ、中でも河川
            敷公園は市民のために有効に活用されているようだ。
             港に近い私たちの泊まったホテルのすぐ近くにも、モダンで巨大な複合娯楽施設が完成し、レミスフェリック館、科学博物館、
            芸術館、海洋博物館などが建ち並んでいた。世界に誇る芸術科学都市を目指すという。

             オレンジもイスラムが持ち込んだもののようである。そして、その時代から交易の源にもなったのであった。私はバレンシア
            オレンジの原産はバレンシアだと思い込んでいたが違った。ベネズエラにもバレンシアという都市があり、美しい観光地で、
            果実も多く生産されるがそこでもない。アメリカ合衆国南カリフォルニアのサンタアナだそうで、スイートオレンジの改良種と
            にことだ。もっとも現在は、このバレンシア地方が世界の40%を生産するという。
 
             バスを置く駐車場から、2ブロックほど新緑の街路樹の下を歩いてカテドラルへ向かった。
             原型をローマが造った街であることを示すがごとく、広場があり、市場があり、教会のある街である。
             聖母広場とサラゴーサ広場の間にあるカテドラルは、ローマ時代の神殿に回教徒が寺院を設け、その後中世キリスト教の
            全盛期にも建設が続けられ、ロマネスク、ゴシック両様式の建物が混在して錯綜した時代背景を見せ付けている。
             聖母広場に面したゴシックの「使途の門」と、その左にに続くイスラム風の建物外観が印象的だった。さらに街の中心地域
            に六角形50.85mの塔に、先端を尖らせた、まだ未完成だという鐘楼が並び、旧市街にその音を響かせんと抜きん出て建
            っているのだった。
             静まり返った朝の教会堂は、ガランとした中に幾つかの薄明かりを施したにすぎない空間である。古さは修復の跡形が示され、
            イスラムの時代を含む遠い歴史を語るに余りある代物と言えた。

             2つほどの街角を歩くと、世界遺産である商品取引所「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」があった。15世紀、ゴシック建築の奇跡とまで
            言われた建築物である。柱は絹を束ねた螺旋の模様、外見は王冠を思わせる。
             一見した内部の雰囲気からはイスラムのイメージを思い浮かべた。やはりここもイスラム王宮跡であったのだそうだ。
             現在は展示会やコンサート会場として利用されているらしい。
             当時すでに公金と市民の金を区別出来る仕組み、入港した船の情報をいち早く商人たちに広報できるシステム、悪徳商人を
            裁き収監する制度など先進的な商業活動への取り組みが実践されており、交易都市の象徴であったという。当時国際交易都
            市の誇りを守ったと言うことだと思う。

             斜め向かいがMarcado Centralと言われる「市場」である。この建物も美しいモデルニスモ。
             建物は20世紀に入って再建されたものだが、市場の歴史は古い。現在も市民に寄与しつつ、地域振興、観光客の格好な地
            域接触の場となっているとのことである。私たちにもしばらくの時間が与えられて、はなと2人で入り口の階段を上がり、ぐるりと
            中の様子を見て味わうことにした。特産のオレンジ、名物パエリア用の鍋、葡萄酒用の皮袋といった珍しいものも並んでいて、
            勧める売り方との会話も楽しかった。
             建物の外にも常設の屋台が幌を下げて客を誘っている。こちらでは果物の干した実を並べている店で2〜3の珍味を買った。

   クエンカへ

             バレンシアの市内見学を終えて、バスは市内を出るとクエンカへのルートを走り始める。
             地図を見ると平原のようだ。イベリア半島の中南部の山には木が少ない。石灰岩が露出する奇妙な山の風景。晴れて突き抜
            けるような群青の空、銀輪のように輝く地中海は見事な煌びやかさを現わす南欧の景色であった。が、それと同じキャンパスを
            用いるには、いかにも殺風景な大地が延々と続いた。
             道路の周辺は、高い山こそ無いがアップダウンのある荒地にであった。イベリアの大地は石灰岩に覆われ、痩せた木々と荒
            野のブッシュが延々と続くと語られる。当にその風景の中を縫って走って行くようだった。
             木がまばらな土地をキャンパスとすれば、ところどころ鉛筆で描いたように細い糸杉が立ち、背の低い潅木に見えるオリーブ
            畑が際限なく続いている。オリーブの葉は細く乾燥と石灰に強いのだそうである。世界のオリーブの40パーセントがイベリアで
            生産されていると言われる。
             石ころや岩が露出した土の少ない固い土地が遥かに続き、地面は白く土煙が舞い上がる表面を露出させ、オリーブの木が並
            ぶモヒカン刈りのような幾何学模様の風景である。ところどころに朽ちたレンガ造りの廃屋が見え、オリーブは遠目には茨の毬
            藻のように見えるものであった。
             「レケナ」「ウティエル」と小さな町を過ぎ、クエンカ山脈の南端に、入り組んだ形のコントレラス湖を過ぎて、昼時間はとうに過
            ぎた頃、バスは一つの峠を越したようなところから見下ろす川沿いに広がる市街地へ降り始めた。


Marcado Centra

  

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