☆☆☆
バルセロナの観光はガウディーの遺産を観るにつきる。
あまりに有名な「サグラダファミリア教会」、そして彼の作品群を観るに「カサ・ミラ」、「カサ・パトリチョ」そしてグエル公園へと向
かったのであった。
バスがミラマールの展望台を下りてくると、もう街は午前の賑わいが始まり活性化していた。混雑の始まった道路を掻き分ける
ように、右へ左へバスは頻繁に道路を選んで、向きを変えながらカサ・ミラの前を通り、進んで行った。
私たちには、建物というものは、大半が四画とか直線の輪郭として意識付けられている。しかし、ガウディは曲線装飾を取り入
れ、独創的なデザインを用いて名を成した稀有な芸術家である。にわかに馴染みがたいものであるが、じっと見ているうちに、
打ち解けてくるような、柔らかみのある感触が伝わってくるから不思議だ。
貧しい家庭に育った病弱な少年アントニオ・ガウディー。それ故に入学したピアリスト修道会でエドイルド・トダ・イ・グエイ、そし
てジュゼブ・リベラ・イ・サンスという2人の友人を得てのち、芸術に目覚め力量を発揮するようになったのだそうである。人生に
重要な切っ掛けや影響を与える友人というものは間々あるものなのだ。
彼の頭中を強く揺るがしたことは自然への回帰であり、曲線こそがリアルであるとの訴えであったのだという。どこかおとぎの
国を思わせる図形でもある。
彼のライフワーク、サグラダファミリアは圧巻であった。正式には「贖罪聖堂」と呼ばれる。
初めてこれを目の当たりにして、「いったいこれは何だ!」と問わない人はいないだろう。ある人はこの作品は「砂の城」と言い、
ある人は「蟻塚」のようだとも言う。「芸術の詩だ!」と讃した大家もいるという。一方で、偉大なガウディーのライフワークである。
そして彼は、この設計建築に打ち込みつつあった1926年6月、ミサに向かう途中、路面電車に轢かれて死んだ。
晩年は身なりにもかまわず、浮浪者のようで、だれもがガウディーと気付かず、手当てが遅れて事故の3日後に73歳で息を
引き取ったのであった。ひたすら自分の世界に打ち込んだ人生の劇的な終わりでもあった。素朴に人生をおくった証のようでも
あった。
何ともいえないちょっとゴシックふうな、あの変わった多数塔の構図、100年を超えて今だに完成のときが定まらない遠大な
建設工事、民間団体「サン・ホセ教会」のものであるとは言うものの、サグラダ・ファミリアは、世界中から集まる寄付によって建
設資金が賄われているということである。
私たちは西側の受難のファザードから入り、東の生誕のファザードを観た。その頭上には鐘楼が建ち並び、さらに順々と工事
が進められていて、高いところでクレーンが動いているのだった。完成にはまだこれから150年は要し、高さ170メートルの中
央ドームほか、鐘楼も計12本になるそうだ。今実現しつつあるガウディーの作品群として、世界遺産に登録されている。
途中で鐘楼から響きわたる10時の鐘の音を聞いた。
博物館になっている地下には、建設開始からの長い年月に使われた工事の道具や、完成図、模型なども展示されていた。
その設計の緻密さ、彫刻のユニークこと、見事さには興味を惹かれ、圧倒されるものばかりである。
数百年をツイヤしての建設に、いったい何の意味があるというのかと言う人もいる。この国では市民の住宅のリフォーム工事
でさえ開始から1年経っても終わらないことが平気なのだと言われる。時間を無視し、とてつもないものをつくるのがこの国の人
々の気質で、未完のまま放置されることも多いと言うのだから、私たちの観念や時間感覚とともかく違うのであろう。壮大さはあ
っけにとられる。
行列を成しての内部見学はひっきりなしに迷子が出ているようで、私たちの仲間にも夫婦で参加した方のご主人が、はぐれて
しまった。
混雑と好天で汗をかいて歩いた後、、教会を見上げる近くの公園で一息入れて点呼したときにそれがわかった。中々見つから
ず、結局、午後の合流まで添乗員が、待ち捜査をつづけて合流できた、と言うハプニングだった。
ガウディーの作品はそのあと大きな交叉店の角にある、「カサ・パトリチョ」などのを観て「グエル公園」へ向かった。
サグラダ・ファミリアの彫刻
* イベリア半島駆け歩きNo4へ
* 風次郎の『TOKYO JOY LIFE』へ
* 『風次郎の世界旅』 トップページへ戻る