☆☆☆
良くは眠れなかった。
夜半に荷物がきたので少しの道具を出し、どうせ眠れないのだからと、今回も予定していたランニングに出掛ける準備
をしてうとうとしながら朝を待った。
5時前になって外に出た。まだ暗かった。上一枚のシャツとタイツにパンツ、ランニングシューズを履くと体は軽い。荷物
が届いてよかったと思った。
ホテルの前で体操をすると、又今回も外国の街を走れる喜びが涌いてきた。地図をポケットに折り込んで、港の方に向
かう。
左に海洋博物館、その前がコロンブスの塔を廻る大きなロータリーになっていた。
ロータリーを廻って、右手に海を見ながらコロン通りを走っていると、ヨットハーバーの方から声高に、叫ぶように語り合
いながら何組もの若者が歩いてきて声を掛けていった。春になって、若い人はいよいよ夜を明かしてまで羽を伸ばしてい
るのだろう。
暗いなかでも、朝の水辺は走ると気持ちが良い。
コロン通りの突き当りがシウタデラ公園である。公園はガイドブックによると市民ランナーも沢山集まるようだが、朝の8
時からの無料開放とのことで中へ入るわけにはいかない。
私は塀続きにあるテルミニ駅をみて、ぐるりとピカソ美術館や中央郵便局の建物を眺めながら、先に来た海岸通をホテ
ルへ戻った。通りではビルのメンテナンスなど早朝の作業に精を出す人や、出勤の交通機関を求める人に出会った。これ
らの人たちは誰も英語で言葉を交わすことに躊躇しているようで、私もスペイン語を使えないことを残念に思った。1時間を
超えるランニングで汗びっしょりになった。
さすがに昨夜まともに食事をとれなかったことの反動か、朝のレストランは、早くから私たちのツアーメンバーで埋まった。
トラブルはあってもこれは又、解決さえうまくいけば、旅の印象にひとつおまけがついたと思える貴重なものである。
仲間たちの顔は晴れやかであった。
○
9時にはバスがホテルを後にした。
先ずはバルセロナ市内を一望しようとモンジュイックの丘へ向かう。
青空の広がる爽やかな春の朝だった。
市の西南部一帯のモンジュイック丘陵地は広大な公園になっており、1992年オリンピックが行われた施設もあり、美術館、
博物館などのほか、遊園地など市民の憩いの場にもなっている。
バルセロナオリンピックは、スペインの誇る3大テノール歌手の一人ホセ・カレーラスが音楽監督を務め、セレモニーでは日
本人も坂本龍一の音楽が使われたのであった。
競技でも日本の柔道が活躍した。殊に女子柔道では私の職場にも出場選手が数人いたから関心は高かったし、当時、帰
って来た選手たちからバルセロナが美しいところだと言う話を随分聞いた思い出がある。
私たちは、丘の東の端にあるミラマール展望台から市内を眺めた。
もともとこの街は旧い時代カルタゴ人により「バルチーノ」と呼ばれて建設され、後ハンニバル制圧を進めたローマが、軍の
宿営地として都市設計を施したことから発展する。云わばヨーロッパ史の始まりの地である。
ローマの言い伝えに「ピレネーを越えるとそこはもうアフリカ」と言う言葉があるが、文字通り当時の兵士たちは覚悟を決めて、
ピレネー山脈を越えたに違いない。地中海こそ明るく広がるが、イベリア半島は荒涼たる岩原であったのだった。だから、ここ
は交易の拠点として歴史を積み上げることになった。
今や、バルセロナはスペイン第2の都市圏、人口300万を超える。
陸背後に遠くピレネー山地に囲まれた市街地の前には、青く広い地中海が静かに広がっているた。
地中海に面したスペインは、白い街、白い建物を頭に浮かべる。しかしこの地カタールニアはすこし違うらしい。その文化は古
くシシリーやマジョルカを通してフェニキアの影響を受けているのだといわれる。
朝陽の注ぐ展望台からは、今日これから訪ねるサグラダファミリア教会も、グエル公園も見えた。
街を眺めている間、近くの木の下で民族衣装に身を固めた人が吹く、フルートに似た竹笛のような音楽が聞こえていた。音響
機械で伴奏をつけた曲は気持ち良く響いてきた。
近づくと自分のレコードを売っているのだった。南米のペルーから来たのだと言う。スペインの土産としては他国物になるが、
NAZICAの竹笛だそうで、そのポピュラー14曲のCDを私は今回の買い物の第1番目にして、今でも楽しんでいる。
モンジュイックの丘公園
* イベリア半島駆け歩きNo3へ
* 風次郎の『TOKYO JOY LIFE』へ
* 『風次郎の世界旅』 トップページへ戻る