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風次郎の世界旅
 イベリア半島駆け歩き
  [スペインとポルトガルの旅]

music by KASEDA MUSIC LABO


リスボンのファドショウ
                     

 (12)リスボン―1―

           スペインから続くシリーズ民族音楽シリーズと言うべきポルトガルのファドショウがその夜にセットされていた。これはディナーショウ
          ではなかった。時間がせまっていて、折角の五つ星ホテルのディナーは簡略なちょっとした腹ごしらえで済ませることになってしまった。
           これは残念だった。
           しかし、ファドショウの時間には間に合って、参加した10名はフラメンコとは又一味違う民族の歌声を聴き楽しむことができた。
           100名ほど収容できるレストランの一画がステージにあてがわれ、ギター2台とギターより少し小さいバンジョウに似た楽器が伴奏
          であった。フラメンコと似ているのは声量充分な女性ボーカルが場を仕切っているらしかったこと。イベリア独特の赤をあしらったス
          カート風の衣装を纏った若い男女が2曲ばかり踊ったがこれはメインの出し物ではなかった。
           総じてファドもフラメンコも民族の叫びを唄に託したもの、それが芸術として伝えられ、華やかな部分が装飾されて現代に引き継が
          れたものと思う。当に日本の民謡も同じである。

                                                 ○

           チボリリスボアには2泊の滞在であった。流石にリスボンのトップを誇るホテルの感があった。部屋もゆったり、サービスも気持ち良
          かった。
           2日居たとは言うものの、観光は港の一部とロカ岬、シントラ宮殿くらいしか廻っていない。リスボンは起伏に富んだ大変きれいな町
          だと聞いていたし、散策しても古くから世界の商人が訪れて残した珍しい形跡がありそうな街だ。できることならゆっくり歩いて、市中
          のあちこちを探索して廻りたい印象をもって離れた街である。

           朝の散歩はリベルダーデ通りの感じが良かった。
           ホテルの建つ側が山で、反対側はなだらかな低地であった。大通りは楡と楓の大きな木が並ぶグリーンベルトが中央に設けられた
          公園のようにつくられていた。1879年から3年をかけてパリの大通りを手本に建設されたものであり、『リベルダーデ』とは、『自由』
          という意味である。
           大通り沿いの建物が高層ビルやホテルに改装されたのはこの十年ほどで、今日のポルトガル建築が威容を誇っているのだといわ
          れているそうだ。
           駅に近いレスタウラドーレス広場からポンバル侯広場までの間を歩いたり、大通りの両側の小路を探索したりした。小さなブティック
          や喫茶店などもあり、ゆっくり滞在したら楽しいだろうなと思いながら歩いた。
           中央のリベルダーデ通りをポンバル侯爵広場まで行くと、その先が小高い丘になっており、植栽を施したエドゥアルト7世公園に続い
          ている。
           きれいな花園が広がっていた。その花園の中にガラス張りの明るいレストランがあって、私たちはリスボンを離れる最後の夕食会を
          そこで過ごしたのであった。

                                                  ○

           朝の清々しい海の香りに触れつつバスを降りて、港のベレンの塔へ歩いた。
          ベレンの塔とはリスボンのベレン地区にある塔であり、世界遺産に登録されている。16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ.ダ.ガマの
           世界一周の偉業を記念して作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的で造られた要塞である。
           すぐ近くにはどこのパンフレッドにもその写真が見られる「発見のモニュメント」があった。1940年の万国博覧会の象徴として制作
          された、独裁者サラザール時代の典型的なポルトガル栄光の時代のロマン思想を表しているとみられており、1960年にエンリケ航
          海王子の500回忌を記念して彼の功績を称えて改造されたものだそうだ。英雄群像であった。
 
           広い海岸通を渡りジェロニモス修道院の見学する。
           ヴァスコ.ダ.ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え1502年にマヌエル1世によって着工され、動乱の時代
          を挟んで最終的な完成には300年ほどかかっている代物だそうだ。その建築資金は最初バスコ.ダ.ガマが持ち帰った香辛料の売却
          による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われたとのこと。1983年世界遺産に登録されている。
           ヴァスコ.ダ.ガマと詩人ルイス.デ.カモンイスの棺が安置されていると説明があった。建物は中庭に向けて1.2階ともに回廊が施され、
          観光客の無い修道院では安らげるだろうと余計なことを思った。

           リスボンの起伏そのものを味わいながら小路を登って、名物のサルデーニア.アサーダとエッグタルトの店で昼食を頂いた。日本訳
          「いわしの炭火焼き風」に「卵の菓子」である。狭い部屋に椅子を詰めて、日本だったら居酒屋のテーブルが並んだみたいな店で暑い
          室内だった。しかし、いわしは日本で食べるものと同じ味がして美味かった。

           午後は先ずロカ岬へ行った。
           北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸最西端の岬である。岬の先端まで強い風に吹かれて行ってみた。リスボン市内で
          先ほど暑い思いをしたと思ったら、今度は陽の中での海風に寒さを感ずるというめまぐるしい変りようだった。
           西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島が点在するということだ。海の景色がいかに青く澄んでもそこ
          までは見えない。白い灯台がひっそりと立ち、もう一棟の観光土産店に群がる人が見えるばかりだった。
           ポルトガルの詩人ルイス.デ.カモンイスの叙事詩「ウズ.ルジアダス」の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar
           comeca)」を刻んだ石碑が立っていた。売店でその詩を取り入れたユーラシア大陸最西端到達証明書を出すと言われたが有料だと
          いうのでやめにした。

           ロカ岬からシントラへ向かった。
           リスボンに隣接する地方自治体になっており市全域では、36万人を超える人口を有するとのことだ。バスは山の上の王宮へ登って
          行った。ここも「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。
           詩人バイロンが「エデンの園」と称賛したそうである。
           15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、ポルトガル国内で最も保存状態の良い中世の王宮とのこ
          とである。緑の山中は貴族や富豪の別荘が今も点在している。シントラの文化的景観の一部として、ここもユネスコの世界遺産に登
          録されている。

           残念ながら寒さと暑さの気温の変化に、私はついていけなくなってからだの調子を崩し、場内の見学を控えて休むことにした。
           私は王宮の夏の離宮を見上げながら、広場を挟んで並ぶカフェテラスのテーブルで静かなひと時を過ごし、体を休めた。
           その後バスはレイガイラ宮殿まで登って山上からの王宮を眺め街へ下りた。

           私の体調は、どうやらその日の夕食会を持ちこたえ旅の終了へ向かった。

      
  印象深いホテルの前の公園のような大通り

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