2000.10.7〜14
10月10日(火)
城めぐりも最後の日になった。
ミュンヘンを出る時は雨。旅の疲れも出てきて、皆うつむきかげん。早朝7時にはバスに乗った。今日はロマンティック街道を
さらに進み、シュバンガウからスイスのインターラーケンまで行くのである。城は華麗なるノイシュバンシュタインとホーエンシュ
バンガウ、それにリヒテンシュタイン王国のファドーツ城である。
見渡すかぎりの草地と、ゆるやかな丘陵地帯中に、いくつかの大河と、多くの湖沼の風景がつづく南ドイツである。ミュンヘンを
はなれ、再びロマンティック街道を南へむかうのであるが、ロマンティック街道へ戻るまでの道路からも湖が見えた。アンマー湖
である。街道へ入ってからは、左手に終始湖越しの風景となり、豊かな手入れされた牧場が続いた。そのうねるように広がる草
原の、しかるべき場所には、牧農の家が点在しているのである。いずれも大きな寧ろ屋敷であった。生活も充分安定しているの
ではなかろうか。少なくとも風次郎には豊かと見受けられた。
どこをとっても絵になりそうな美しい風景が続いた。
この日バスの窓から朝の虹を見た
幸い雨が上がり、徐々に見通しが開けてくると、左前方にチロルの山並が見えてきた。初めてなのであるが、久し振りに見るよ
うな懐かしさを覚えた。白く雪がかかっていたからであろう。
やや険しい峰は、ここでは国境の山々である。この向こう、オーストリー、スイスは山国なのである。
左手の湖が途切れる頃になると、彼方の山腹に、ノイシュバンシュタイン城が見えてきた。バスの中の人々は、一斉に窓に顔
を寄せ、いち早く我が目に華麗なる城の姿を取り込みたいと、はやる心をしめした。本当に、おとぎの国の城のように見えている。
城が見えてくると、バスの中は急に活気ずき、荷物を手にして準備が始まる。
大型バスの駐車場から城へは、小型のシャトルバスで城の手前まで行き、あとは歩いての見学である。山の中腹の城に登るの
である。
雨が上がったばかりの空は、雲はやや厚く、山の空気は少し冷たい。ここはもう、秋も名残の季節そのもので、落葉が半ばであ
る。
風が無いので寒くはない。まだ九時を過ぎたばかりと言うのに観光客はいっぱいで、シャトルバスだけでなく、観光馬車も山道を
登るのであるが、其方ももう行列であった。人気があるのだ。
シャトルバスを降りて雑木林の中を少し登ると、渓谷に架けられた橋(マリエン橋)があり、観光客は定番でそこからの眺めを楽
しむのだそうだ。絵葉書の写真もそこから撮ったものが多い由、なるほど。そして少し下って城に入城した。
城は綺麗に手入れされており、石の表面も新しい塗料のようであった。そうでなければ、あの遠方からの輝かしい見栄えは得ら
れないだろう。しかし建物は、1869年着工から、1886年未完成のままの姿で、今日保存されているのだそうである。日本語の
解説がテープで流され(観光客の八割が日本人と見た)解りやすかった。部屋は豪華絢爛。若きルートヴィッヒ2世の、夢の城造
りの所産だ。この城で、ワグナーの「ローエングリン」や「タンホイザー」に出る騎士を装い、夢見たのであろう。今は最上階がコン
サートホールになっており、時折催しが行われるとのことであった。オペラ場面の絵も見事であった。
2001年のカレンダーが、挟みこみ式絵葉書の形でショップにあったので、気が利いてると思って買った。大きさも手ごろで良い。
城からの下りは歩いてみた。歩いて登ってくるのは外人客、家族連れが多かった。もっとも日本の人は殆どが団体旅行客なので、
ゆっくり歩く時間が取れないのかもしれない。観光馬車も城登りには似合っているな、と思った。
金髪の男の子が、姉らしい女の子とふざけあって登ってきた。馬がふーふーしているのを見て、何やら言っているのを、姉がたし
なめているのだ。男の子は駆け出して、両親にまつわりついて逃げる。微笑ましい一こまに、思わず片言の英語で声を掛けると、
笑って応える。相手が日本人だということは、すぐわかるらしい。英語圏の人で良かった。手を振って、“Haye a nice
day!”
ホーエンシュヴァンガウ城は眺めるだけであった。ノイシュヴァイシュタイン城と、住人が共通していたから良いようなものの、対峙
したような場所で、片方の華麗さにひきかえ人の気配も少なく、風次郎には寂しげに映った。
ホーエンシュヴァンガウ城
『風次郎の世界旅』 トップページへ
南ドイツ「城巡り」と「ユングラウヨッホ」 7へ
風次郎の『八ヶ岳山麓通信』へ
風次郎の『TOKYO JOY LIFE』へ