2000.10.7〜14
絵になるブレーンライン
10月9日 ゆっくりとスタートできる貴重な朝だったが、少し雨模様であった。
9時きっかりにバスはスタートした。ハイデルベルクからネッカー川に沿って古城街道をローデンブルクまで上り、そこか
らはロマンティック街道を、今日はミュンヘンまで行くのである。
市内をやり過ごしてネッカー川沿いに出る頃は、雨も苦になるほどではなくなりほっとした。
午前中は2ヶ所の休憩で古城を眺め、ひたすらローデンブルクをめざす。
ハイルブロンまでの前半はやや狭隘な川沿いで丘の上の城が緑に囲まれて美しかった。ネッカーシュナイダーナッハ、
ヒルシュホルン、ツビンゲンベルク、ネッカーテュインメルン、グンテルスハイムなどの城を眺めた。
後半は割合に平坦な地域であり、城を囲む街の大きさも其れなりに整っているところが多かったように思う。道路も広
くなって城や教会のある街を少し外れて眺めつつ進むところが多かった。
スケジュールの調整上ではやむをえない。
街道を離れたバスは城壁の近くの駐車場に入った。城壁の中には一般の車は入れない事になっているのだそうだ。
駐車場から傘を持参で降りた。まだ雨はパラパラだが絶対の自信が持てない天気なのだ。一行は少し歩いたところに
ある門をくぐった。
城壁の高さは約10b、石を積み上げ土で固めた厳めしいものである。勿論城外に堀はあるが、この城壁一枚が民の
安全の境界だったと思うと時代の隔たりを思わずにはおれない。すでに銃は出回っていたものの、偲ぶべきロマンの世
界は、弓と矢の時代を想定すれば感慨深い。
城内に入ると、内側にはその守備のために設けられた木製の警備回廊が、壁の中段に取り付けられている。私には
とても珍しく映った。
小雨が降ってきた。
黄色くなり始めた道路脇の芝草が、雨に小刻みに叩かれて震えている。
傘を広げるのももどかしく、レストランへ駆け込む。
座ったテーブルから見る窓越しに、雨の情景が霞むのは、外の気温が少し下がったのだろう。外の窓脇に名前はわか
らないが、赤く色着いたネムような形の葉をつけた木がボウと立っている。雨を逃れたばかりでなく、室内の暖かさが嬉
しい。
昼食である。
風次郎とはなは、食事は同行仲間のO氏夫妻とずっと一緒だった。大体がその機会毎にワインかビールで乾杯し合う
のである。ドイツはワインもビールも特産でしかも種類が豊富。その都度講釈があったりするがいちいち覚えてはいられ
ない。ひたすら乾杯を続けるのみであるが、O氏も風次郎もそうアルコールに強いわけでなし、数は消化し切れる筈もな
い。ただただ旅の感傷も加わり、美味く感ずるということで良く飲むばかりである。
そのO氏が食中席をはずして戻らない。戻らないというのは別室で体調を整える必要が生じたのである。水が変わった
のか食事が合わなかったのか、何か不味いことがあったのだろう。結局氏は大事をとって、ローテンブルク観光を別行
動にすることになった。
しかし、ローテンブルクの街はそれほど広くはないし、城壁に囲まれた中であって主要個所は夫人との独自行動で観
光できたようである。薬を飲んで休憩することは、体調回復には大切なことだ。夕食のミュンヘンでは見事回復してジョ
ッキビールを2リットル空にしたから驚いた。彼の腹はどうなっているのか、この話は笑い飛ばせてよかった。
雨の到来とO氏の退席で若干寂しいムードながら、昼食を済ませ曇りガラスのレストランを出ると、幸い雨が上がって
いた。空が明るくなってきそうだし、そうなってくると足取りも心持軽い。
行列を作ってガイドに従う。先ずは現存する最古の市壁の一部“ヴァイサー塔”の下から歩き始め、この街の一番大
きな建物“聖ヤコブ教会”を眺める。この教会の隣にはルネッサンス様式で建てられた古い学校があり、その正面のバ
ロック様式の階段塔(斜めの窓をつけた階段と、壁面に日時計が施してある)が気に入った。
ロマンティック街道ハイライト“中世の宝石”と言われる町の観光だ。
街の中心は旧市庁舎、マルクト広場である。幾つかの城門から茲に通ずる道路の中間には市壁があり、塔がある。
塔や城壁は中世の感慨を蘇らせる格好なモチーフであった。建築物はいかにも古き良き時代を偲ばせるのであるが、
解説を見ると、ゴシック、バロック、ルネッサンス等幾多の文化を受け継いだり、地震の跡もそのまま残っていたりする
ようだ。
それよりこの中世の帝国自由都市は、第2次世界大戦の終了間際に爆撃を受け6割が焼失したそうである。それが
街を愛する市民の努力で甦ったものであるとのことであるが、それを思うと殊更に美しい。
マルクト広場の前の人だかりは、議員宴会堂の仕掛け時計が丁度2時になると、高窓の扉が開いて左に将軍の、右
には市長のワインを飲む姿の人形が現れるのを待っているのである。鐘が鳴ると、マイスタートゥルンクと言われるシ
ョーがはじまった。市長ヌッシュが3.25リッターのワイン一気飲みをして街を救ったという、30年戦争にまつわる物語
のお伽噺のようなシーンの再現に、観客はお互いに楽しい歓声を上げて視線を投げ続ける。
旧市庁舎の高い大きな屋根には幾つもの窓が付けられ、単調な他の大屋根と趣を異にしている。この建築はルネッ
サンス、奥がゴチック、前がバロックと増築の結晶としても面白い。これもどこか修復しているのだろうか。
広場の端には市中最大の聖ゲオルグの泉があり、周辺にはケーキや棒菓子等を売る店がある。はなが名物だと言
われる直径五pもあるカリントウの怪物のような団子焼の菓子を買った。四個入りの箱で10マルクだった。カリントウ
は好きだが、これは歯にはふわふわした感じで、そう美味い物ではなかった。
この街も赤い土色が、壁、屋根と全体のムードに行き渡り、建物の入り口やかべには、飾り文字やランタンが取り付け
られてとてもお洒落だ。誰でもが賛辞を惜しまないと言われるジーバース塔を背景にしたプレーンラインは、これが木組
みの建物にマッチして、さすが文句のつけ処がない風景であった。
珍しいものに、中世犯罪博物館があり、その前を通る。入り口に愉快な罪と罰の表示板が掲げられている。どういう訳
か?この博物館内の説明には日本語が添えられているとのこと。日本人の見物が多いのだろうか。こんな場所だけ日
本語付きとは、風次郎は若干の抵抗を感じ入場をやめた。この街はもっと美しいものがあるからそちらをみた方がよい。
陽が射してきた。
緩い傾斜の坂道はやっと馬車がすれ違える程度に狭い。時代を耐え抜いた石畳が美しく、木組み建築の家々の続く町
並みは白壁が映える。
ドイツに来てからもう見慣れた急傾斜した屋根のトンガリは、町並みの造られた時代、或いはもっと古い昔から受け継
がれている所産であろう。
それにしても町並みとか城壁の中とか集団美というか、全体の美しさを構成する上では、都市計画に関する発想が、
少なくも中世の城の時代からと言えることになる。
城壁に沿って坂道を下り、ブルク門に至る。門外が公園のようになっている。谷側の手摺りに寄り沿って西側のタウバ
ー渓谷を見下ろすと対岸の景色が素晴らしい。流れの畔にはひとたまりの家並みが続き、覆い被さるように周囲を包む
紅葉の山が青空に繋がる。西に傾いた太陽に山裾は少し陰になり、家々を囲む木々は風に煌めいている。
此方との隔たりがやや紫色を漂わせて、谷からの風が冷たく心地よい。
この城の街は自然と美の調和をちゃんと図って、谷の隔たりまで見透かした構想があったのか、山におかれた立地も
見事だと思う。
風次郎とはなは小径と草地の脇に礼拝堂の建つ見晴らしによい小公園で暫し寛いだ。
やがて集合時間がおとずれ、再び一団となった一行はヴァイサー塔を後にしてクリンゲン門から帰路に就いたのである。
城壁の外の駐車場には街路樹の林檎の木が実をつけていた。7〜8センチの小粒で可愛らしく、日本の国光によく似た
体であるが収穫はしないらしい。落ちた物を見つけはなは日本まで持ってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
場外から見る城壁の連続は見事であった。城壁に沿った街道はほんのひとしきりであったが、その眺めを最後に中世の
宝石“ローデンブルク”を離れていく。
バスはやがてドナウ川を越える頃からロマンティック街道を離れ、ミュンヘンへ向かう。
太古巨大隕石が落ちて形成されたリース盆地の中心に建設されたネルトリンゲンの街を過ぎる頃から、夕立のような雨
が来て、そのあとの行く手に艶やかな二重の虹が出来た。不思議なお伽噺の夢を見るように、その美しい虹の門をくぐって、
ミュンヘンの街へ入っていった。
屋根つき回廊を乗せた珍しい城壁と中世犯罪博物館の罰の説明書
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