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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』No 61

  
富士見高原病院の保存病棟(元の療養風景=南側=は下記URLを)

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                                        2004年4月3日
  
 竹久夢二展                          風次郎
                                   fuujiro@jcom.home.ne.jp
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八ヶ岳山麓は“御柱祭”の山出し(やまだし)でにぎわっている。まだ梅が咲き始めたばかり。
山出しは標高1200mから600mの諏訪湖畔まで街道を下って来ることになる。
上の山と下の里では春も半月違うが、里では梅が香が匂う。
山はまだ霜柱の季節。

 それにしても東京の春は暖かい。信州・諏訪では梅がやっと咲き、
桜も花つぼみがやっとというのに、多摩の桜でさえ終わりに近くなった。
春うららである。
 先週の日曜日、銀座で油絵を描く友人の個展を鑑賞しながら、
春の都心散歩に出かけてみた。
ちょうど日本橋の高島屋で竹久夢二展が開催されていたので
銀座日本橋間を歩くことにした。
 外堀道りはオプランタンが進出してデパートを構えて久しくなるが、
銀座通り寄りの小路など海外からの出店が軒並みで異国の雰囲気さえある。
こんな風にちょっと見みぬまに風景は変わっていく。
銀座の夜の街にももう3年近くご無沙汰しているけど、
おそらくほとんどの店が入れ替わって、店の名前が変わったり、
同じでも全然昔の面影と違う人が「いらっしゃい!」なーんて出てくるんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら、懐かしく歩いた。

 さて、何故竹久夢二なのかだが、それには訳がある。
彼は今私が暮らしている富士見の「高原病院」で最後の時を送った人である。
富士見高原病院はいま県厚生農協連による総合病院に生まれ変わっているが、
 参照 http://www.lcv.ne.jp/~kougen/rekishi_2.htm
その当時、正木不如丘(まさきふじょきゅう)経営の「富士見高原療養所」として、
高原の清潔な空気のもとで多くの文化人が結核の療養を過ごしていたのである。
夢二は昭和6年から2年4ヶ月に渡る米欧の旅から帰って結核にかかった。
それを見舞った小説家でもある不如丘が富士見のサナトリウムへ誘ったのである。
しかし、3月に入院して9月1日にはもう50歳に半月満たない
短い生涯を閉じてしまったのであった。
 私が夢二のこのことを知ったのは、
前に勤めていた会社が旧大川反と言われる地域に移ったばかりの頃であった。
八丁堀川を渡ったすぐ先の鉄砲州に「黒船屋」という仲間の溜まり場となった
小さな食堂兼飲み屋があって、夢二の『黒船屋』の絵が
入り口に大事そうに、いかにもふさわしい飾りの大きな額に収まっていた。
仲間同様私もその店同等にこの絵を気に入にいっていたので、
ある時これは本物なのかとあるじに質したが、あるじは決して答えなかった。
その後、私に水彩の手ほどきをしてくれた師(故人)を誘って
この店を訪れてもらったが、わからなかった。
師は夢二にも詳しい人であったが、同じようなものが何枚もあるのだとのことである。
しかし、夢二の話は何かと聞かされ、彼の臨終が
わが故郷の富士見高原病院であったことを知ったのである。
 以来、親しみを持った私は、「黒船屋」と聞けば、そこに絵があるか
縁のものがあるような気がして、何処であれ出かけていった。
喫茶店ならまだしも、そこが機械屋であったりしたことも、○○風呂
だったりしたこともあって逸話もあるのだが、夢二には惹かれるものを見つけ
伊香保の記念館にも2度出かけたことがある。
 今回の高島屋は、夢二の郷土美術館と伊香保記念館の収蔵品が展示され、
殊に郷土館のプライベートに関する文物に興味を引かれた。しかし、
数ある作品の中には確かに伊香保で見た『黒船屋』は無かった。
そればかりか外で売られている作品集やはがきなどの中にも
この絵のコピーも置いてない。
私と夢二の繋がりは「黒船屋」である。私は係りの人に質問してみたが、
「1年に1度伊香保で特別展示されますが‐‐‐」としかわからない。
絵葉書の1枚も欲しいところだったが、
「黒船屋」はどなたか個人の所有で、借り出しや出版が難しいのかもしれない。 

 物足らなさを感じつつ、それでも高島屋を出て春の夕暮れ時を東京駅へ歩く一時、
目先の一つ一つの風景が思い出をよみがえらせて、感傷を誘ってきた。
先の師とよく飲んだ酒蔵は現存していたが、
ナツメロばかりを歌ったカラオケ屋は消えていた。
 当時通いなれた八重洲の、世界のコーヒー「アロマ」で、
貴婦人と言うべきマスター、初老のおばちゃんの声を聞きながら
久しぶりのブレンドを楽しんで帰って来た。 
 やるせなさは、夢二に繋がるものであるかも知れない。
  ☆
 ――富士見高原病院には夢二も堀辰雄も過ごしたままの病棟が今も保存されています。――

                                          風次郎
 
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