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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』 No239
 
落葉松の黄葉(2014.11)

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秋色3                                                        

                                                   風次郎
                                                  yahkoba3@yahoo.co.jp

                     叔父の葬儀

                            早い年だと10月の終わりには八ヶ岳は冠雪し、木枯らしと言うよりこの辺では“八
                           ヶ岳おろし”と呼ばれる冷たい風が吹き荒れて、農家は作業を急かされる。
                            年によっては里にも10月の終わりから雪が舞い、まだ落葉松がオレンジに染まっ
                           た枝を残した麓の山々が、その細やかな葉を散らしつつ冬の到来の近いことを知らせ
                           るのだ。
                            今年は11月になってから割合良い天気の日が多く、急激に気温が下がったものの
                           やっと過ごし易い穏やかな日々が続いているかと感じていた。まだ里には雪は舞わない。

                            私の母の弟で茅野市の母の実家を引き継いでいた叔父が逝った知らせを受けたのは
                           そんな11月の9日だった。
                            息子で設計事務所をやっているKがボソボソとした声で、電話で知らせてきた。
                            前日に自宅で息を引き取ったが、お寺の都合で葬式の段取りが遅れ13日が本葬に
                           なるとのことであった。
                            年寄りが増えたためか、田舎では各家が法要を丁寧に行うようになったのか、お寺
                           が忙しくなったやの話を時々聞く。お墓もどこでも立派になった。かと言って世の中
                           が信心深くなったわけでもなかろうが。
                            先に逝った私の母は男3人、女7人、10人兄弟の一番上である。男2人、女2人
                           が健在であったが、今回逝った叔父は92歳であった。
                            私の家は、終戦の年に文字通り着の身着のままで満州から引き揚げてきた。父は軍
                           務であったから、生き別れと思っていた母と私たちは父の実家に身を寄せたが、母が自
                           分の実家をも頼りにしたことは当然の状況であったろう。少し遅れて幸いに父が帰宅
                           できてからも、私たちは富士見から茅野へ良く通った。

                            種苗商を営むお爺さまと一緒に旅を重ねて一家を支えていた優しい叔父であった。
                            苗を育てる為に富士見にも沢山の畑があったし、私の母は上の姉ということもあっ
                           てか、叔父は仕事で来ては私の家にも現れてくれた。私はその都度貰えるお土産が楽
                           しみだったし、駅前の商店街へ連れて行ってくれ、菓子などを買ってもらえるのが嬉
                           しかった。
                            92歳での鬼籍は生涯としてはまずまずと言えるのであろう。が、ここ数年眼が見
                           えなくなって、又耳も遠く外を歩けない生活は寂しかったに違いない。
                            冷たい風が吹く12日の夕方から通夜が営まれ、家族葬とは言ったものの大勢の姪
                           甥が集まった。皆仲間内の様な間柄の人たちで、こんな時には貧しくも仲良く交流し
                           た当時の事を思い出し、笑ったり涙を流したりするのである。
                            60、70の老人たちが、幼年期の話題で盛り上がる様子と言うのも人生の1ペー
                           ジとしては悪くもないだろう。私もついつい「おれも、そう先は長くないから――」
                           などと言ってしまう始末で、酒を飲んだ。

                            その夜の冷たい風は会場を去る頃もまだ止まず、道路の舗装の上を巻き上げるよう
                           に吹いていた。 
                            翌朝、八ヶ岳は裾にまだ少しの色づいた広がりを残したまま、峯に真っ白な雪をか
                           ぶって姿を現した。
                            葬儀は雲一つない真っ青な空の下で行われた。暖かい穏やかな日だった。

                            もう一つの別の秋が過ぎ去っていくのを感じながら、私は叔父のまぼろしを見送っ
                           た。 
                                          ☆  ☆  ☆

                             秋 風 辞  [漢 武帝]

                                      秋風起りて、白雲飛び、
                                      草木黄落して、雁南に帰る。
                                      蘭に秀あり、菊に芳あり、
                                      佳人を懐ひて、忘るる能はず。
                                      楼船を汎べて、汾河を済り、
                                      中流に横はりて、素波を揚ぐ。
                                      簫鼓鳴りて、棹歌を発し、
                                      歓楽極まりて、哀情多し。
                                      少壮幾時ぞ、老いを奈何にせん。
            
                                                                      風次郎                                


雪の降った八ヶ岳(茅野市から)  

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