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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』 No237
 
富士見からの八ヶ岳全景(2014.11)

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秋色1                                                        

                                                   風次郎
                                                  yahkoba3@yahoo.co.jp

                     八ヶ岳山麓への旅
                                 季節としては昼間は暖かく朝夕冷たい冷気に触れる高原の中秋が好きである。
                                 空気が澄みきって、ことに山裾の草原の緑が薄らみ、菊の黄色が光り、庭の柿の実も
                                黄味をおびて来る頃、雑木林の木々の葉が次第に鮮やかな色をなす頃、秋に没頭できる
                                ように思う。
                                 まさに今の秋だ。
                                 秋色とは良く言ったもので、「秋が深まる」との解が辞書にも載っていた。
 
                                 今年の秋の始まりは私の季節感も右往左往してしまった。
                                 夏の推移も、極端な暑さから冷夏と思う程急に涼しく終わって、むしろ物足らなさを
                                感じた晩夏に終わった。
                                 さらに、そんな季節の動き方は秋にも引き継がれ、ムシムシとした夏の名残が9月中
                                時々現れたかと思うと、台風が強弱入れ替わりでファジーな進路を描きつつ来襲し、い
                                 まだ出現するやの状態である。
                                 この季節感はいただけない。ただ、季節は地球の現象が織り成すものであれば、逆ら
                                うこともできない。
                                 唯々その移り変わりに身をまかせてその色を楽しむ、といった過ごし方でやり通すに
                                越したことは無かろう。
 
                                 季節を眺めて過ごすとすれば、私にとっては信州の八ヶ岳山麓へ通うことが楽しみの
                                中心である。それには、ハンドルを握って中央道を下るのもいいが、数年前から車窓を
                                愉しみつつ、各駅停車の鉄道列車に揺れて通うのもまた別の優雅な時を得る機会となっ
                                たのである。

                                 東京を離れた列車は、高尾あたりから渓流や澤山の風景を眺めつくしたあと、幾つも
                                のトンネルを抜けて山梨県に入り、見上げるほどに連なる山を見る。
                                 そして、勝沼からしばらくは、絵にするならば山裾に広がる里のあたりと高い山で構
                                成された幅広い構図といった風景が楽しめる。
                                 だが、列車が甲府駅を出て、八ヶ岳山麓を辿り始めると、昔から見慣れた山里の風景
                                に変わり、私は安堵の感慨にさえ誘いこまれてしまうのである。
                                 雨や雲の中の窓であれば、雨粒の流れを窓ガラスに感じながら、ゆったりと読書をす
                                れば好いだけのことだ。

                                 今年は気候の流れがファジーな秋ではあるが、このところ南天寮の秋仕舞の為、数度
                                八ヶ岳山麓へ通った。
                                 甲府を過ぎれば左手に南ア、右手に八ヶ岳が見えてくるが、まだ冠雪の無い山は澄み
                                きった空気の広がる空の下に漂うが如く静かに座していた。

                                 そんな朝、列車からの眺めであっても韮崎駅から見上げる観音様が立つ姿は、朝陽の
                                中にそれこそ陽を浴びて丘の上にあり、気高く眩しかった。
                                 この観音さまは「平和観音」と呼ばれ、昭和36年韮崎市が市民の平和や登山者らの
                                安全を祈願して市街を一望できる七里岩南端の場所に建立された由来である。白い像で
                                優しく塩川、釜無川が合流する一帯を見下ろしている。
                                 遠くから見るとどうしても顔頭が大きくバランスが悪いようにも思うが、大概大きな
                                像は近くで下から見上げるものだからそんな風に作るのだろうか。
 
                                 観音さまは、もともと仏教の「観世音菩薩」或いは「観自在菩薩」ということだ。般
                                若心経の冒頭にも出てくる親しまれる存在だ。仏陀の教えに近づこうと修行を高めて
                                いる菩薩(仏に次ぐ崇拝対象)で、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得た
                                るを意味すると、一般的には解釈されている。
                                 ただ、ここの観音さまは明らかに女性で、胸の膨らみもふっくらとしているのである。
                                 大衆への優しさを分かり易く示しているのだろうか、概して観音さまのイメージは女
                                性的であるし、仏に男女の区別は必要の無いことであろうからここではとやかく言うま
                                いが。
                                 余生を思う年ともなると、仏心への関心も高まるというものか。
                                 朝陽に輝く優しい観音様の顔を仰いで時を過ごしていた。―――秋である。

                                 その朝はそんなことを考えつつ、南アルプス鳳凰三山を眺め、駒ケ岳を眺め八ヶ岳山
                                麓の小さな駅「富士見」に着いた。
                                                                                風次郎                                

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韮崎の平和観音  

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