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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』 No216

  
富士見から眺める初冬の八ヶ岳(2011.12.13)

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                                                     2011年12月16日
冬来る頃                                                          
                                                    風次郎
                                                  fuujiro3@jcom.home.ne.jp

                  ффффффффффффффффффффффффффффффф

             綺麗に晴れ上がった青空に静かに横たわる八ヶ岳連峰は、昼でももう冷たい高原
            の空気の中に優しい姿に見えた。
             南天寮の東側に続く丘からはその八ヶ岳から南側に金峰山、国師ヶ岳を経て端正
            な富士まで眺められる。初冬の季節は特に空気が澄んで美しい山々が輝くが、その
            日はまさに雲ひとつ無く透き通った青空の広がりであった。
             
             南天寮は私たち家族が太平洋戦争の終戦の年、満州から引き上げて来て以来暮
            らした在所である。ここは本家の畑だったところで、当時周囲には殆ど家が無く、小出
            沢に向かって傾斜していく南側は渓谷と山一面であり、釜無山から南アルプスまで家
            の縁側からよく眺められた。
             本家は子供たちに畑を分け与えたから、我が家の南側の畑にはにはやがて父の姉
            の家が建ち、縁側から眺める風景は変わったが、それは致し方ない。風景の中の家は
            親戚で一番近しくした家と言うことになろう。そこの伯母が逝ってからは従兄弟のHさん
            が後をとっていた。いや数日前までだ――。
             その、従兄弟では一番年上のHさんが88歳で去られた。

             松本に住む私の兄もやって来て一緒に通夜を見舞った。Hさんはやせて頬がこけてし
            まっていた。ここ数年私が来て寮の庭で作業をしていると、ひょっこり寝巻き姿の太った
            体で声を掛けて来たときの様など及びもしない。家族の話だと夏場から寝込んだままで
            弱っていたとのことだった。
             78歳になる私の兄は同じ鉄道員だったと、しきりに在りし日のHさんを語り、国鉄から
            JRに組織変更を余儀なくされた頃、同じ駅長同士で苦痛の伴う立場を乗り切って来た
            思い出話をした。曰く、従業員の整理という、いたたまれない職務の同僚であったとの
            ことだ。
             私は、それぞれの世界で一つ一つの時代に幕が引かれていくことを思うばかりだった。
            
             通夜の後、兄と私は寮に戻って久しぶりに一つの部屋に床をとった。
             私は、つい先週ベルリンからポツダムに行って、大戦に終止符を打つきっかけとなるポ
            ツダム会議場の跡を見てきたことを兄に話した。あの宣言を日本が受諾したことにより、
            満洲に居た当時の我が家は突然父との別れを余儀なくされ、着の身着のままで直ちに満
            州出国の旅に出たのだった。私3歳、弟は1歳、満州国生まれの幼い2人にとっては生き
            るための旅立ちだったということになる。母と小6の兄、小2の姉が必死に私たちを抱えて
            連れ帰ってくれ、私の今日があるのだ。「お前はまったく動けないほど弱い子だった」と、
            兄は言う。昔の話はいつも切ない。
             結果的に、父も帰国でき、この在所に家族の憩いを求めて過ごしてきたのだった。
             私は「何故生きてこれたのか、錯綜する思いの中でベルリンのホテルにいる」と、親し
            い友に書き送ったことを思い出し、私たちの時代も彼方に送られる時が来ることを兄とお
            互いに話したりした。私もすぐに古希を迎える。
             時の流れは待ってはくれない。時代は一つづつ先へ進むのである。

             二日続きで快晴の八ヶ岳が眺められた。
             Hさんの葬儀は、Hさんの意思をそのまま受け継いだJR社員であるご長男によって
            しめやかに執り行われた。
             夕暮れから風が変わり、西山に日が落ちる頃八ヶ岳に雲が掛かった。

                                                         (風次郎)

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