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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』 No215
御嶽山8合目
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2011年09月18日
夏の終わりに(4)
風次郎
fuujiro3@jcom.home.ne.jp
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4.御嶽山行
Y夫妻の主目的は他にあった。木曾の御嶽山に上って帰ろう、ということであった。
よく聴けば6合目までは車で上り、6合目と7合目はロープウェイで結ばれている
ので、7合目から8合目へ歩いて登るということのようだ。「そのくらいなら私にも
歩けるかな」と口を挟んだら、是非みんなで行こうと、また肖る事になってしまった。
もっとも、私はもともと山歩きは好きなのだが、数年前に主治医から止められて八ヶ
岳にさえ行っていない。このところは体調も良いようだし、どこか3000mの峰が
眺められる高地に行ってみたいとは思っていたところだったから有難い話だった。
そうと決まれば、胸をワクワクさせて翌18日の朝はまた皆で勇んで家を出た。
少し曇りがちの空模様が心配になったが、長い晴天続きだったから簡単には崩れま
いと決め付けたくなるほど気がはやる。私は登山靴も処分してしまったのでスニーカ
ーを履いた。とは言っても御岳ロープウェイが6合目から7合目まで運転されている
のだからその先を行けるだけ登ってみようという腹積もりに他ならない。岩山登りに
なれば今や心もとないから、尾根に出て二の池くらいを眺めてこれれば−−−と思っ
ていた。
Y氏は車好きに加えて、安全運転は夫人の太鼓判だ。不思議に運転に疲れを感じな
いと言うのだから、私も免許証を持って出たもののあなた任せのドライブは安心この
上も無いといったところ。私など2〜3時間もハンドルを握ると疲れるどころか睡魔
にも襲われて、最近ははなまで危険を主張する始末である。
諏訪南インターから中央道に乗って諏訪湖の眺めを後にし、伊那路を下る。伊那か
らは権兵衛峠へ向かった。
権兵衛峠は古くから伊那と木曾を結ぶ地域の重要な交通路であったが、峠越えは険
しく、特に冬は雪深いため閉鎖される難路であった。ここに立派なトンネルが貫通
したのは最近のことである。以来とても便利になった。私は今回初めて通ったのであ
るが、照明付きの広い近代的なトンネルは、グニャグニャと荒れがちな山道を3時間
も掛けて越えたかつての思いを夢物語に変えてしまっていた。
あっと言う間に中央アルプスを越えると、木曾の谷間に緑の山皺が靡き、彼方に雲
を頂いた御嶽山が見えていた。
木曾谷の国道もバイパスの工事が進んで整備されている。
かれこれ20年も前のことになろうか、開田高原へ絵を描きに仲間と行ったことが
あった。中央道は塩尻で降りて木曾谷を下ったのであった。御嶽山のロープウェイが
できたばかりで7合目の発着場まで車が入れると言うので行ってみたことがあった。
ロープウェイは今でも夏の一時と冬のスキーシーズンしか運行されていない。当時
殺風景な駐車場にちょこんとロープウェイ乗り場の建物が建ち、辺りは見渡す限
りススキの穂波が曇った空の下に広がっていた。
あの風景は今どんな風に変わっているのだろうか?
木曾福島の町から元橋で木曽川を渡り、上り坂に掛かると山の天気と同時に懐かし
く思い出されるのだった。
Y氏の車は、いわゆる黒沢口登山道を辿って行った。白崩林道と呼ばれる修験者の
教場が多い車も通れる舗装された登山道である。
黒澤の御嶽神社を見やって間もなく、1合目を通過すれば既に深山の如き杉林の中で
ある。急坂のカーブを巡るごとに○○教場と銘打って霊場史跡の如く多数の石碑を並
べていた。霊山御嶽ならでは霊験新たか、宗教登山道らしい鬱々たる雰囲気の道で、
物見遊山気分の私たちには違和感が否めない山道ではあったが、内心耐えて登って行
く。
やがて6合目、中の湯あたりから右側にロープウェイへ導く道標を頼りに少し下って
草原の中にあるロープウェイ起点に着いた。
その昔鬱蒼たる杉林の中に開かれたススキの野に囲まれた駐車場は大きく広げられ、
一段高いところに白い3階建てのゴンドラ発着駅が建ち、下の駅が「鹿の瀬」(標
高1570m)、7合目にある上の駅が「飯森」(2150m)と名付けられている。
少し濃くなった曇り空の下に転々と連なるゴンドラが静かに行き交っていた。杉の林
はどれほど除かれてしまったのか少々気にはなるのだが、やや弛んだロープは殆ど終
着の飯森駅まで見渡せるし、やや離れ、並行して敷設されたスキーリフト周辺まで見通し
が良い。
あたりは夏の緑輝くカール状の草原であった。
ロープウェイに乗り込み、そのまま7合目へ向かう。その間真っ直ぐに15分、遠く
北アルプスから中央アルプスに至る広々とした遠い山脈が視界に入ってきた。
さすがに2000mを越すと空気の感触は気持ちよい。駅の直上には展望台を兼ね
た高山植物庭園があったので、私たちは山々の峰を確かめながら弁当を広げた。
眼下の開田高原の濃い緑を溶かすように、次第にうす雲に覆われた山々は浮かんで
いた。乗鞍が左の端に、北ア連邦はその脇に遠く小さく並んでいた。
木曽川の源流を抱える鉢盛山が中央に大きく盛り上がり右の視界は木曽駒を主峰に
した中央アルプスの連山であった。我が八ヶ岳はその中間に小さく遠い丘のように映っ
ていた。
良く晴れた日であれば浅間や甲斐駒も遠峰を確かめることが出来ると言う。
夫人たちはその植物園と駅舎のテラスで過ごすことになって、Y氏と私は荷を軽く
して行ける処まで登ることにした。
10分ほどの横道を進むと7合目の行場山荘があった。2階建てのかなり大きな小屋
であった。ロープウェイの駅が近いせいか来客も溜まっていて、身形山男達のおしるこ
などの接待が忙しそうに見えた。
小屋からの道は、しばらくはなだらかに原始林の中であったが、15分ほどで岩の間
を登る登山道に変わった。
8合目までの大半の道はかなり丁寧に木材の土留めが施されていて歩き良くなって
いた。しかし、小石も混じった狭い岩場道は雨に濡れて滑りやすかったのでなるべく
手を使って安定感を保つよう気を配った。
私にとって、ドクターストップになる5年前であれば、難なく進める登りのごろ石の道も、
出来るだけ小刻みに一つ一つ確かめて登る久し振りの登山であった。知らぬ間に自分
で苦笑していた。
タオルを土方被りにした頭からはそれでも汗が滴り落ちた。
上から降りてくる人たちと「こんにちは!」の挨拶を交わしつつ行く山道は、どう
にも懐かしさが込み上げて楽しく嬉しかった。30人ばかりの小学生の集団が礼儀正
しく元気に降りていった。彼らに「頑張って下さい」と言われたのも今回はとても嬉
しく思った。
山に入れたことは喜びだった。
Y氏とは8合目までの約半分づつを先行を交互にして、潅木の中の道を登った。
8合目の女人堂小屋は岩道の先に突然のように現れた。植物園を発って丁度1時間
が経過していた。
8合目には修験者が建てたらしい鳥居や仏像、石碑などがあった。道標は左が9合
目へ、右が三の池、魔利支天経由となっていた。左手の視界に石室山荘が見えていた
が、垂れ込めた雲から雨が落ち始めた。上から来た老夫婦に聞くと9合目より先は既
に雨は連続して降っており、尾根の先はガスって見通しも良くないとのことだった。
Y氏と話して私たちは雨の激しくならないうちに降りる事にした。元々8合目あた
りまで、という目標であったし、軽装備で傘しか持って居らず、私などスニーカーだ
から早め退散は当然ではあった。
8合目まで登ったことには大満足であった。気分良く、滑らないように気をつけて下
った。
雨は途中まで追いかけるように降ってきたが、幸い15分も下では止んでいた。
振り返ると山は濃い雲に覆われて稜線さえも見えなくなっていた。
ケーブルカーの飯森駅までは40分で下りて来た。御嶽の峰は見えなくなってしまった
が下に見下ろす開田高原と木曾谷一帯の広がりはまだ十分見渡せた。
夫人たちと合流し、視界を存分楽しみながら、皆でケーブルに乗って下った。
私たちが開田高原を経由して再び木曽川縁を辿り、権兵衛峠を越えて中央道に帰路
を求めた頃、長かった晴天続きの天候に終止符を打つかのように雨が降り始めた。
思いがけない楽しい夏の終わりのページが閉じられるような静かな夕暮れだった。
Y氏の誘いによる思いがけない御嶽行は、私にとってこの夏得た貴重な山との再会
であったように思われてならなかった。
(風次郎)
御嶽山7合目のお花畑
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