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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』 No204

  
富士見町役場と八ヶ岳

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お盆の兄弟の集まり                        
                                                    風次郎
                                                  fuujiro3@jcom.home.ne.jp

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今年は母の13回忌の年に当たる。
 母の命日は8月29日だが、月遅れ盆の休日が集まりやすかろうと、8月1
5日に兄弟で法事を行った。とは言っても、内輪のまつりごととし、南天寮に
祭壇をもうけ、全員でお経を合唱して墓参りをすることにしたのだった。
 8月15日は、わが国では「終戦記念日」だが、私の家では父の誕生日でも
ある。
 父が満州の軍に属していたこともあり、5人兄弟の上4人は終戦の混乱の中
、戦地へ向かう現役時代を過ごした父と別れて、母に連れられ、引き上げてき
たのであった。父に因んだ日でもある。

 私のすぐ下の弟が5年前に逝ってしまったから、兄、姉、そして南天寮で生
まれた下の弟の4人に何人かの家族が加わって、一応法事の形をととのえたの
である。

 お経を自分達だけで唱えるのも又、清々しいものだった。
 墓はいろいろな因縁があって、今は私が守っている。八ヶ岳を東に望む傾斜
地にあるその日の墓地は草いきれ、静かに強い夏陽の中のたたずまいであった。
 お盆で精霊たちは皆、それぞれの家に迎えられ帰っている筈、である。
 我が家の墓にのみ香がたちのぼった。

               ○

 兄や姉に会うと、ついつい母との終戦の引き上げの話になる。
 満州のハルピンから、貨物列車に乗せられ、釜山を興安丸で発って来たのだ
そうだ。私は良く覚えていない。私は3歳、すぐ下の弟は乳飲み子であった。
 食べ物も無く、混乱の中で、同じような小さな子供が船中で死んでしまい、
船から海に降ろされる様子を幾つも見て、兄達は一生懸命私や弟をかばってく
れたらしい。
 母の気丈夫で、何とか父の実家にたどり着き、幸いに程なく父が帰って来れ
たことは、我が家の幸いであった。
 思い出は「幸いだった」ことをたどれるのが、『倖』なことである。不幸は
『倖』の反面教師となる。

 兄弟やその家族皆が帰って行き、静かになると、何か数十年に及ぶ人生が、
まるでひと時の中の流れと感じさせられる空気が部屋の中に漂っているような
気がした。――そうなのかもしれない。人生をひとときと感ずるので良いのだ
ろう。
 生きていることの実感。生きてきたことの実感。を、いつも持てるように、
淡々と生きていこうと思う。

  高原の夏は終わった。夜気はもう冷たく、虫の音が溢れるように響いてい
る。

 
                             (風次郎)
 

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