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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』 No185
新緑の富士見高原から眺める八ヶ岳連峰(070429)
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2007年5月29日
義兄逝く
風次郎
fuujiro@jcom.home.ne.jp
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5月の空はあくなく晴れて、爽やかな風の渡る八ヶ岳山麓であった。
26日の朝、諏訪赤十字病院のICU(集中管理治療室)から植松幹夫氏の危篤が知
らされ、いつもならこの風を吸って、この空を楽しむはずの私たちは沈鬱のまま中央
道を下った。
植松幹夫氏は妻はなの長兄、実家の跡取りである。信濃教育会(伝統ある長野
県教職員の集まり)の気象における重鎮、また霧が峰を中心に高山植物の収集、観察
に造詣が深く、毎夏八島ヶ原で、霧が峰を訪れる人々に無料の解説を提供していた。
NHKの「霧が峰通信」を長いこと提供していたから、知っておられる方も多いだろう。
享年75歳。その日の夜、こん睡状態から復帰することなく、逝った。
先週食道上部静脈瘤破裂で喀血。3日前には院内を歩き、サロンで書物を開く余裕
を見せたそうだが急変、既に長く病んでいた肝臓のがんが下地の病魔に侵されたまま
余命をたどっていたに違いない。
翌日通夜、昨日告別式を営む。粛々と氏の人生にピリオドが打たれる。
この3日間、何と見事な五月晴れが続いたことか。高原の夜はぐんと冷え込んで、
満天の星が、夏になると子供たちを集めて解説を愉しむありし日の植松氏を偲ぶに相
応しい演出を求めているごとくであった。
葬儀の日、私たちが岡谷インターから斎場に向かう車の窓には、南中空に雪を頂い
た富士が美しく浮かび、八ヶ岳連峰は青空のもと、前座に霧が峰を置いて正座する
がごとくであった。また、富士見から遥かにまだ白一面の北アルプス連峰を見渡しつ
下ったのであるが、斎場に至る南向き山沿いの進路は、四週近隣の山々を凌駕する南
アルプス、中央アルプスの峰々に囲まれ、自然を愛した氏の終着に至る道に相応しい
風景であった。
葬列に注がれる陽射しの何と眩しすぎた事か。
やがて小さな白い布に包まれたひとつの箱に収まった氏の遺骸は、家族のもとに
49日を過ごし、富士見の八ヶ岳が見える丘に眠るのである。
人の生涯は偉大ではあるがとてもはかない。こんなときは人生をとても短いものだ
と思う。
縁あって共に歩む機会を得たその人との半生を今、美しく思い出している。
父の後を継いで教師となり、義務教育に熱意を捧げた氏の姿はいたいけな子供達に
囲まれた情景ばかりが映ろう。晩年高原の花に戯れていたのも全く同じように‐‐‐。
短い人生にできることは何なんだろうかと。
風次郎
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