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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』&『東京センス』  
   No172

大国魂神社の門前
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初詣                    
                                                    風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp

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 8日になって、今年初めての外出。はなと初詣に行ってきた。
 子供たちが家にそろっていたころは、元日か2日に谷保天神あたりで家族詣でを
していたがこのところははなと2人きりになり、府中の大国魂神社へお参りし、近
くの店によってお昼を食べてくるのが初詣になった。
 信心深いわけではないのだが、それとは別に愛犬ナナを連れて産土神の内藤神社
へ参拝もする。お参りすると何となく気が清々するのがよい。
 私の心の中の神様は極めておおらかで公平だから、彼方此方とお参りしても、ど
んなお参りの仕方をしても、よもやお賽銭をはずまなかったとしても、怒ったりは
しない筈だと決めこんでいる。もっとも、大和の国の神々は、森羅万象それぞれに
宿ると言い伝えられているから、どこそこの一神教のように排他的であろう筈もな
い。

 大国魂神社の由来を深く調べたことはないが、府中が武蔵の国の国府の置かれた
ところであることから、私は「魂」が「多摩」とその由来を関連付けているように
思う。景行天皇の時代、武蔵の国の鎮守(武蔵国魂=ムサシクニタマ)として祭ら
れた由である。
それによってこの地域が「多摩」という名称に定まった説はないようだ。
しかし、私は武蔵国魂=ムサシクニタマの「タマ」が神社のご神体(概して神社は隣
接する山をしてそのご神体としている)を多摩山(多摩丘陵)と名付けたものと勝手
に推論している。しからばその先がサキタマ(現埼玉)であり、サキタマには、武蔵の
国一の宮である「氷川神社」が置かれた(大宮)となる。
 そもそも神社の由来は出雲から伊勢のルートが基本線だが、都が開かれるように
なって、近江坂本に国家鎮守の神オオナムチノカミを祭り日吉神社を据えた。この
末社は風次郎の住む近くの国分寺市にもあり、広大な史跡武蔵国分寺、国分尼寺
の境内に並ぶ。府中はそこに地域中心の由来を発するのであろうか。

 日本の歴史をたどるとその果てに神話の世界が重なってくるのが面白い。
 ――このあたりの時代が神話から現宗教への転換点であったのかもしれない―。
などと他愛のないことを思い連ねながら、穏やかなひと時、境内を眺めつつの初
詣だった。
「今年もよい年でありますように」と漠然と願いを申し立てて手を打ってくるのである。
それでも、手を打つ前と後では、晴れた青空の色さへもより鮮やかになったようで
気持ち良い。
 世の中の平和はなんとありがたいことか。
 何事も神に頼んで淡々と生きるのも悪くはない。いや生きられれば――と言うべ
きか。
 
                             風次郎
 

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