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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』&『東京センス』
No165
車輪梅の花
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2006年8月8日
築地の「がんセンター」にて(06年07月)
―生きる喜びを思う―
風次郎
fuujiro@jcom.home.ne.jp
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夕食後、13階の患者用食堂の窓から外を眺めていた。眼下に広がるのは築地市場の風景である。
静まり返った夕暮れの市場は、四半径の弧を描いた特徴ある窓のついた建物が、白く全体を囲う
ように弧を描いて続く。その高い建物から黒く流れ落ちるような市場の屋根が、ところどころに縦
の境目を入れ、同じ孤を描いて連なる。
大きさから言っても、あたかもスタジアムのスタンドを思わせ、市場に働く人々ならぬ、観衆の
声が聞こえてきそうだ。
早朝からの数時間は、その屋根の下で展開している活発な動きが、市場の雑踏になって活動的な
人間風景を見せ付けるのだ。ここからの眺めとしては羨ましい憧れの風景にさえ思えた。
だが今は静か。
7時が近づく時間帯だった。夜の帳が寄せてきていた。
上から眺めると建物は整然としていた。そしてその背景となる四半円形の象徴的な建物の向こう
に、勝鬨橋からお台場に至る隅田川の静かな流れがあり、さらに晴海の、今や高層建物群ともいえ
る一帯があって、晴海埠頭の水辺を少しだけ見せている。夕暮れ時とは言え、彼方の海はまだ明る
くて、さらにまだ向こうには開発された夢の島一帯の建物群から東京湾まで見渡せるのだった。
間近の市場の入り江から東京湾に続く右彼方には、レインボウブリッジが高速道路をテールのよ
うに左右に従えて優雅な姿を見せていた。
彼方の海に白んだ棚引きが見えるうちから、早々と隅田川を下ってくる提灯飾りの屋形船もあっ
た。市場のとなりの竹芝桟橋からは、白い船体をライトアップさせたナイトクルーズの観光船がレ
インボーブリッジの下を航行していく。ブリッジの点滅光が何となく忙しげだけれど、少し曇った
空の下に広がる風景は穏やかだが少し瀟洒である。
私は窓から病院の上階に連なる窓を見上げて見た。
この建物は19階建てだから上階の病室の窓が見える。どの窓も少し控えめな明るさであるが、
この風景を見渡せるだろう。であれば、はたして皆どんな感じ方で眺めているのだろうか‐‐‐。
○
思いがけず築地のがんセンターのベットに数日を過ごすことになった。
せめてここにいる間、身は医療に委ねて、そこから最善を導き出していただこう、と心に決めて
いた。
だからこの数日、ここで得られる美しいものや、清々としたものを見出し、穏やかにすごそうと
窓辺に身を寄せてみる。
つい数ヶ月前まで、自分が病で死と対面することなど想像することも無かったのであったが、神
様の決めた私の人生の道筋にもここを通過することが記されていたのだろう。
医学がどんどん解明を進めていると言え、克服可能な域に辿り着くことが容易でない難しい病は
山ほどある。私もここで、この病との戦いを余儀なくされた運命を背負った人々の仲間入りをして
静かにその処方を待つことになったのであった。
がん患者は千差万別、そして医学は日進月歩。ここでも医師は夜半まで戦っている。
日中外来の診療を続け、あるいは電話で患者からの相談に応じ、合間には病室を訪問して対話す
る。医師は、夕方からは研究や検討会に時を費やし、夜半でも病棟に姿を見るのである。本当によ
く体が続いていると思う。それでも難しい病は後を絶たず追いかけてくる。頭が下がる。
幸いにして、私は緊急な処方を施さずに済むとの診断が得られた。我が事はとりあえずの安堵で
あるが、病との闘いの仲間入りをし、その世界の深刻さを身を持って習得したことの意義は大きい。
何よりも、「生きることの仕合せを体得した」のである。
今、この風景を静かな自然の中に人間が営む生活の風景として感ずることができるままでよかっ
たと思う。
ここ数ヶ月のうち、自分ががんの病の中にあることを知ってから、「生きる喜び」ということを
考えるようになった。
この建物に通うようになれば、どこかに足をとどめると聞耳を立てなくとも、一定の時間内には
生と死の岐路を問い、あるいは疑い、あるいは悩むといった人々の場面に出くわす。
それはそういった人々の、その為にある国の施設なのだから当然ではあるが、当初ここに足を踏
み入れたとき、その場面に遭遇している人々の多さに驚かされてしまった。
以前は、とはいってもここ数年は、自身も一応医療の分野に近いところに職場があって、客観性
を求められたこともあったが、自己中心に取り巻く「生」への執着に、あまり深刻な悩みを感じて
いなかったのであろう。
命は一つのもので誰でもいつかその終わりを迎えねばならない。
その時を自分の満足の範囲で終れるのかどうか、それぞれの生あるものが初めて感ずる期限の近
さ、を知らされたときの思いであろうか。
希望とともにあればこそ、そこに生きて味わう人生の喜びを見出すことができるのだと思う。
これで良いのだと思うときまで、あるいはそう思って終わりを遂げることができるのは、誰でも
と言う訳にはいかない。
病に見舞われた誰でもが皆、その時、その時間を長く求めるのが普通の生への執着の仕方であろ
う。私にも、複雑な思考を巡らすときが長く続いた。
しかし今、解ったことは、「生きる喜び」が、あるということ。健康で生きられることが、大切
な生きる喜びとなって、人間は原点に帰ることができるのかと‐‐‐思うのである。
子供は無邪気に、純粋に生きていて「生きる」などと考えることはしない。子供のように――
それが自然体なら、健康なときが仕合せのときだ。わざわざ「生きる」などということを考えな
いでいられることが。
ここに来て「死」を思い巡らすようになって、ここは生命(いのち)を考えるところかな、と思
うようになった。
「生きることの喜び」を考えるのか、「生命のはかなさ」を考えるのか、あるいは「生命がはか
ないから生きることの喜びを知らねばならない」と言い聞かせるのか。
病院というところは如実に生きることについての対話をしなくてはならないところである。
他を介しての対話であればまだしも客観に位置して思考をめぐらしたり語ったりできるが、それ
が自己の問題となれば、極めて切実に、迫った問題としてこの世の中に漂う自分を見つめることに
なってしまう。
患者としての病院はそんなところである。
今、この風景を静かな自然の中に人間が営む生活の風景として感ずることができるままでよかっ
たと思う。
そして、ここに集う、また世界中で難しい病と闘う人々のことを思う。
皆、生きることを喜ぶ仕合せを得たいだろうなー、と。
2006 夏 風次郎
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