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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』No115

     
     Becquerの顕彰碑(セビーリャのパンフレッドから)

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                                                2005年4月16日
                  セビーリャにて    
                                                     風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp
            

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 イベリア半島の街を歩く旅に出て数日を過ぎた。
 バルセロナ、バレンシア、クエンカ、マドリッド、トレド、コエンスグラ、
コルドバ、グラナダ、ミハス、いずれも古い歴史を辿らなければ感慨に浸れぬ
ほどの哀愁を帯びていた。その哀愁の中に現代が息づいている街並みで
あったように思う。
 街並みは何処も飾られて美しい。
バルセロナやバレンシアは港の近くに近代的な都市開発が展開していた。
しかし他のどの都市も紀元前からの歴史に由来する哀愁抜きでは通り抜けられない。
 海に近い街道沿いは岩を連ねる荒野といった大地。内陸も果てしなく続く丘陵地帯に、
オリーブと葡萄の木のみが乾いた緑を見せるだけ。何日もそんな中を走り続け、
そしてセビーリャに着いた。

 グワダルキビール川をイサベル2世橋で渡ると、そこは川に沿った広いクリ
ストバル・コロン通り、ひとつ下流方向のサン・テルモ橋の袂には、この街が
アメリカからの金銀の流入で栄え、賑わったことを象徴するトレ・デ・オレ(
黄金の塔)が見えていた。そこにいたる左手にこそスペインの情熱、セビーリャ
の情恋物語、メリメ、とビゼーが描いた『カルメン』の舞台、セビーリャの
闘牛場が見える。
 イベリア夏時間の夕方は、8時を過ぎてからが人々の町で寛ぎのときを過ごす
時間帯だそうだ。
 私はイザベル2世橋の欄干にもたれ、暮れ行く街に灯りはじめた灯りが川面に
ゆれるのを眺めていた。そしていつの間にかそれぞれの想いを語らうだろう
何組ものカップルを周囲にしているのに気づき、その場を移動しなければならい
ことに気づいた。
 歩道の石畳は歩くのに心地よいとはいえないが、イベリアに足跡をしるしている
という確かな感触が得られてまた良い。
 闘牛場は夕闇に包まれたまま、しっかりと太い高い鉄の門を閉ざしていた。
 サン・テルモ橋の左先からは大きな森のような公園になっており、その中央に
ある現在のセビーリャ大学がカルメンの働いていたタバコ工場である。
 さらに歩を進めると、マリーア・ルイーサ公園、この中にはセビーリャに生
まれた詩人ベッケルの顕彰碑が、その名もベッケル通りの大きな木の脇に建て
られて、白い大理石胸像のベッケルの下で、白い大理石の女性像がうっとりと
ベッケルの詩に聞き入っている。

 <詩ってなあに?>
 碧い瞳を射すように 僕に注いで 君はいう。
 <詩ってなあに?>
 君は僕に 尋ねるのかい?
 詩、それは君さ。

 もちろん、私は、レヤス・カテリコス通りのホテル「ベッケル」に泊まる。

 ビゼーは「カルメン」を書き、ロッシーニは「セビーリャの理髪師」を書い
ているが、モーツアルトも「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」と2編も
ここを舞台にした作品を残している。
 アカシアの花が咲きこぼれる美しい街である。
(後日あらためて「風次郎の世界旅」にて)
                             (風次郎)

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