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風次郎のColumn『東京JOYLIFE』  
   No314(C-34)
     
   夏の富士見駅
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          中央線各駅停車 34.富士見                                                   

                        下り列車が東京から信州に入って初めての駅「信濃境」を発つ。
                        部落を繋ぐ陸橋の下を潜り掘割をわたる。八ヶ岳山麓にはたくさんの山襞を流れてく
                       る谷のせせらぎがあるが、その間の緩やかな斜面には農地がひろがり、車窓に入れ変わ
                       って映る。そして、晴れていればその先に編笠、西岳山頂から権現岳までが見えている。                 
                        列車はトンネルに入るが、それを抜けるとそれらの峰を一望にしつつ立場川に掛かる
                       鉄橋を渡る。鉄橋は日本有数の高さのもので、ゴーッ、ゴトンと渡って行く列車の音が
                       車中にも響いて景色と共に爽快だ。上流には既に廃線となってその姿を残す旧線の赤錆の
                       付いた鉄橋が、その向こうに中央高速道の橋が重なり、立場川は、遥かに八ヶ岳の懐に
                       向かっているのだ。
                        さらにもう一つの短いトンネルを抜けると富士見駅に到着する。

                        富士見は我が在所である。
                        国立が今現在の住まいであるが、古里としての八ヶ岳山麓「富士見」は私の心の地盤
                       であり、人生の出発点であった。
                        生涯の縁あって老域に達した今日、中央線に乗ってその間を行き来する昨今であるが、
                        このコラムはその各駅停車の「すさびさ」に、この沿線の車窓や「駅」に気を留めてき
                       たのであった。
                        まだ、各駅停車での「通いの綴り」は続けるつもりだが、ひとまず富士見に到着する
                       と、やや達成感を感ずる。
 
                        富士見駅は1904年(明治37年)12月21日 国鉄中央本線 韮崎 - 富士見間
                       開通と同時に開業、1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、東日本
                       旅客鉄道の駅となった。
                        標高995.2メートルで、中央本線の各駅の中で最も高い位置にある駅である。J
                       Rの在来線特急停車駅としては日本で最も標高が高い。
                        1932年(昭和7年)に小海線の小海駅から佐久海ノ口駅までが開通して佐久海ノ
                       口駅・海尻駅・松原湖駅に抜かれるまで、国鉄では最も標高の高い駅であった。
                        今は小海線の野辺山駅、清里駅、甲斐大泉駅、信濃川上駅、佐久広瀬駅、甲斐小泉駅、
                       佐久海ノ口駅、海尻駅、松原湖駅についでJR第10位である。

                        直営駅(駅長配置)であり、管理駅として隣接の信濃境駅・すずらんの里駅を管理し
                       ている。
                        駅舎は木造平屋建てで、特徴ある三角屋根の内部には待合室、コンコース、立ち食い
                       そば屋がある。
                        駅舎に接して単式ホーム1面1線、その奥に島式ホーム1面2線、あわせて2面3線
                       を持つ地上駅。二つのホームは屋根つきの跨線橋で結ばれている。
                        駅前広場からはときどきこのマガジンの表紙(ホームページ)に掲げる八ヶ岳の優雅
                       な姿が望める。
                        ここは高原に位置するため、特に夏の冷涼な気候が好まれ、犬養総理の頃は政界の避
                       暑地として賑わった。明治27年鉄道大臣に就任し、その後私鉄疑獄に連座した小川平
                       吉はこの地から出ている。
                        また清涼な気候は古くより文人の集まる処としての跡形を残している。
                        明治時代末期、伊藤左千夫、島木赤彦らのアララギ派歌人達が、こぞって訪れ、富士
                       見は歌会や集会の中心地となった。伊藤左千夫が設計して完成した富士見公園内には、
                       アララギ派歌人の歌碑が建てられており、その拓本は駅に展示されてる(1番線ホーム)。

                        さらに駅の北東1kmに富士見高原病院がある。
                       この病院の前身である「富士見高原療養所」は、1926年、株式会社組織の総合病
                       院として初代院長・正木俊二(筆名=正木不如丘)によって設立された。かつては不治
                       の病とされた結核患者の療養所(サナトリウム)として機能させるため、八ヶ岳山麓の
                       空気清浄なこの地に設けられたのであったが、文学の素養にも秀でた院長正木不如丘の
                       交友関係から、堀辰雄・竹久夢二・横溝正史らの文人もここで療養生活を送っている。
                        また、当時の結核療養の状況を背景とする、患者や看護婦らの恋愛模様を描いた原作
                       に基づく映画撮影の舞台としても用いられ、その悲恋物語が人々の涙を誘うヒット作品
                       となった。(『月よりの使者』『愛染かつら』『風立ちぬ』など)

                        長らく創立当時の病棟が「旧富士見高原療養所資料館」とされ、往時の様子を偲び、
                       「亡国病」ともいわれた結核の歴史と現況を伝えていたが、老朽化が著しくなり、耐震
                       性にも問題があることから解体され、旧病棟の展示資料や現在の建物の一部のみが保存
                       されている。
                        病院は1981年(昭和56年)以来、県内では数カ所に病院を設立して医療成果を
                       上げている長野県厚生連の管理に移管、後に周辺地区の病院・診療所・老人福祉施設な
                       どと共にを運営されている。

                        この町は諏訪地域の東端、八ヶ岳と赤石山脈(南アルプス)北端の入笠山に挟まれた、
                       標高900−1400メートルの高原地帯に位置し、山梨県と県境を接する。富士川水
                       系と天竜川水系の分水界があり、富士川の上流の釜無川や立場川が南東方向に、諏訪湖
                       に注ぐ宮川が北西方向に流れる。
                        昨今、東京から日帰りで来れるスキー場として冬のにぎわいを見せていた富士見パノ
                       ラマスキー場が夏のレジャーリゾートと化して、入笠山登山ばかりでなく、ハンググラ
                       イダー、モトクロス、ミュージックフェスティバルなどで人気を博している。
                        一方、八ヶ岳西麓富士見高原リゾートを謳う地域は長野県企業局の開発した別荘地として
                       賑わい、ゴルフ場、陸上競技の高地トレーニング公式グランド、合宿所等が設備されている他
                       冬のファミリーゲレンデ、夏の花の里など家族でも楽しめる地域となっている。

                        富士見町は、1955年(昭和30年4月1日- 富士見村・境村・本郷村・落合村が
                       合併して発足した。農家数が23%、 農業人口 約6000人の農業中心の街である。
                       標高が高いため、夏は冷涼で、冬の寒さは厳しい。
                        ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候に属し、寒冷地ではあるが、長野県富士見高
                       等学校(標高967m、日本最高所にある高等学校)には優秀な農業科があり、高冷地
                       特有の優良高原野菜の出荷ばかりか、米づくり日本一を輩出するなど、研究心旺盛な地
                       域性を発揮している。
                        文化のレベルも高く、富士見町図書館(駅のすぐ近く)は利用率日本1を獲得してい
                       る。

                        我が町を語るのは、ついつい気が乗って来るが、「山麓通信」はまだ続くのだからそ
                       の中で、気概を込めることにしよう。
                        これからも列車旅は気楽にゆったりと過ごしていこうと思う。                                                                                                                          風次郎                     

      
           駅の待合室に掲げられた標高標識     

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