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15)帰路(終章)ライン川沿いにケルンへ
夕方の空港は賑わっていた。
国際線のロビーの風景は平和で良い。
どこの国の人も自分の目的に集中して動き、窓口手続きがスムースに行けば、その都
度安堵して息をついているように見える。他人に対しても少し心優しく、自然に振舞え
ているようにも見える。
もっとも私にそう見えるのは、考えてみれば大概が帰路につくときのようだ。こちら
もホッとしているからなのだろうか。期待を胸に旅に出るときのような緊張感が無い。
日本の航空会社のロビーだからだろうか、余計にゆったりとした気持ちで待合室で休
んでいた。フランクフルトの空港はとても綺麗に改装されて、土産品店の並ぶ長い通
路はまるで成田に似ている。成田に着いて歩いているような錯覚がしそうなほどだった。
○
搭乗も離陸も順調に推移し、機内食に配られた久しぶりの日本食も嬉しかった。
いつの旅でも、目的はいろいろ違っても帰りのフライトの安堵感は何とも言えない。
いつも日本に帰れることを嬉しく思う。旅が楽しかったこととか、不安や辛い事があ
ったとか、そういったこととは別の、一種の郷愁のような感慨が伴うからなのであろう
と思う。
帰り際に、もう旅も煩わしく、逃れようなどと思う気持ちが無いことは幸せなことだ。
そんな思いの中で、眠りに誘われて数時間が過ぎた。機内は明かりが消されて、大半
の乗客も眠っているようだった。
カバンを開けて旅のノートを取り出すと、この旅の思い出が次々と頭の中を駆け巡っ
ていくのだった。
ベルリンの市中の森、ノイシュバイシュタインの雪景色、ヨーロッパの箱庭「ローデ
ンブルグ」−−
しかし、この旅では統一ドイツに旗を振る「ベルリンの街」、木造瓦葺の城「ポツダ
ム宣言を出した会議場跡」、ナチスの本拠地だったと言う「ニュルンベルク」の印象が、
やはり重いものだったと思う。
そして、大戦で猛攻を受け再建された「ドレスデン」、攻撃の対象であった武器庫は
本当にあの街にあったのだろうか?続いて流れている歴史を生きる私の脳裏は巡る。
私たちの国は、少なくも2分されなくて済んだ。――新兵器による攻撃は試されたが。
―――そっと窓を開けて眺めると機は最早シベリアの上空を飛んでいる。
真っ白な世界、川筋が飛行機からだといかにも自然に、白の大地に描かれている。大
きな白い世界は上空からだと何の起伏も気にならないほど低く平らかに見える。
この白い大地にも、大戦の禍根は消え尽せない。ただ、今はまったく静かな平和な世界
である。
短いドイツの旅だったが――、あのベルリンの街にあった森の公園も、今静かに夜明
けを待っているのだろう。
思えばドイツの歴史は、居並ぶヨーロッパの国々の中でも、浮き沈む激動の時代を繰
り返している。
華々しく帝政初期を率いたローマの皇帝たちはライン川を防御線と定め、この国の祖
先たち、ゲルマン民族を東に追いやった古い時代があった。
やがてあまりに長かったパックスロマーナが行き詰まり、中世ローマ帝国の衰退によ
って現在のドイツ、フランス、イタリアにまたがる広大領域がフランク王国としてカー
ル大帝の支配下におかれ、ローマ教皇レオ3世は大帝に「西ローマ帝国皇帝」の冠を与
えたのであった。まだローマは主導権をキリスト教が握ったものの帝国の夢を捨てては
いなかった時代である。宗教が軍(十字軍)を指揮する時代をも経ている。
フランク王国がカール大帝の死後3分され、843年ルートヴィッヒに与えられた東フラ
ンク王国が後のドイツ王国となったのであった。後のオットー1世がローマ帝国の皇帝を
戴冠、1806年ナポレオンに征服されるまで神聖ローマ帝国としての長い歴史を受け
継ぐ。
16世紀、マルティン・ルターによる宗教改革から始まった民族意識の高まりが、独
立国家集合体のドイツに神聖ローマ国家解体を促し、ナポレオンの侵入、そして失脚を
経て1815年のウィーン会議で35の君主国と4つの自治都市からなる連邦国家が出
現したのである。
その後、君主国の一つビスマルク率いるプロイセンの主導によって1871年前の統
一国家ドイツ帝国が実現した。
だが、ビスマルク退陣後、野心家ヴィルヘルム2世の対外進出政策が国際的な孤立に
至らしめることとなり、4年間に及んだ第1次世界大戦は無条件降伏で終えることとな
ったのであった。
ドイツは再び新国家ワイマール共和国の誕生によって立ち上がる。
しかし、1926年国際連盟に加入して国際社会に復帰したものの、1933年には
ヒットラー率いるナチス政権をもって第2次世界大戦に立ち向かい、日本、イタリアと
三国同盟を結成して戦うも、結果は1945年これも無条件降伏という道を辿ってきた
のである。
そしてその結果、東西2つに分断されたドイツ。
さらにベルリンの壁崩壊を象徴とする冷戦構造の終焉により、また一つの国として統
一を果たしたのは1990年10月3日午前零時、市庁舎の自由の鐘が鳴り響いた時で
あったのだ。
今や、これも再び、いや三度の今と言うべきか、ヨーロッパの経済を担う立場にある。
何と言う歴史の循環であろう。過ちなのか、宿命なのか、問う統べを知らない。
○
かなりの時間を窓を眺めて過ごしていた。
やがて、眼下には大陸が白とブルーで塗り分けられたように境界を描き、機が大陸を
離れ太平洋上へ向けていく様子がわかった。
この海峡も今は静であるが、平和なときばかりではないような気がしてならない。
ドイツにはもっと学ばねばならないことが多いと感じた旅であった。
人が争わなければ、争いさえしなければと思いつつ、私は席を立ち、心を静めて帰国
の準備をした。ヨーロッパはもっと見なければいけないとも思った。
(完)
風次郎
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