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5時に起きだした。風は止んで穏やかに冷たい空気だけを感じた。
ついにこの旅の最後の朝になった。毎日良く走れた。健康はありがたいものだと思う。
私はジュネーブのルーツともいえる古い街並を見ておきたかった。コロナヴァン駅の眠気から覚め切らないような灯りを後
にして、ジェームスファージ通りを西へ坂道を下った。いくつかのクリスマス飾りが灯っているだけで、ローヌ川沿いもまだ暗い。
ラ・クルブニエール橋を渡ってシルク広場まで行った。左がグラン・テアトル(国立劇場)その前に昼間路上で巨大なチェス
をやっていたヌーブ広場がある。そこからがバスティオン公園、カルバン生誕100年を記念して建造された宗教改革記念碑
ファレル、カルバン、ベーズ、ノックスの立像は思ったより大掛かりなもので、旧市街へ連なる大きな壁を背にして、夜明け前
の広場を見つめていた。いまだに宗教改革の町として歴史の名を繋ぐルーツの人々である。
その先には未来を託す若者の殿堂、ジュネーブ大学のキャンパスが広がっていた。
壁に沿った階段を登り、さらに急な坂道を2度ほど折れながらサン・ピエール寺院を目指した。市庁舎や兵器庫の跡などが
あり、解説の看板が添えられていた。ルソーやカルバンの生家もあるとのことであったが、私はプロテスタントの総本山、サン
・ピエール寺院の屋根の下に佇んだだけで踵を返した。すでに熱心な信者が訪れ始めているのが見えたし、私のランニング
姿では気が引けた。付近の入り組んだ小路には小さなレストラン、古本屋などがおそらく終夜灯しているのだろう、室内の光
が漏れて通路を照らしている。美術品の店も数軒あった。この古い坂の街の石畳の上でゆっくり過ごしたなら、往時を偲ぶ事
も可能かと思った。
明るくなり始めたのを見計らって、丘のうえの公園からレマン湖を眺めた。
今日訪ねることにしている国際連合の施設が、街並みの先、なだらかな丘陵地帯に広がっていた。、新しい市街地を見下
ろす坂道を降りてホテルへ戻った。
○
ホテルのフロントで聞くと駅から5番のバスに乗れば良いとのこと。駅で5番のバス停を探す。ちょっとグルグルしてしまったが、
丁度駅の正面あたりに5番のバスが来た。しかし、切符売り場がなく、自動券売機があるだけ。そしてそれが、またフランス語。
要領がわからないので結局切符が買えない。
やむを得ずタクシーへ乗った。
やれやれと思って運転手にUNとか、United Nationと英語調で言ったら何事か返事があったがさっぱり解らず、そればかりか
車を道路の脇に寄せて止まってしまってびっくりした。通じたのではないのだ。参ってしまった。
決してこの手は使わないことにしていたのだが、仕方ない、地図を出して指で示した。「ナ・シ・オ・ン」運転手は叫んでスタートした。
ビジターセンターで手続きを取り正面やや左寄りの入り口から入る。写真は自由、日本語の数枚の解説書はあったがガイドツ
アーは英語しかない。日本語案内は週一回前の予約制とのことだった。
案内は10時30分からとのことで、売店を覗くなどしているうちに見学者は10人ほどになった。若い制服を着た事務員が来て、
ツアーの案内を始めた。
先ず、地下のビデオルームで概要の説明があった。国連ヨーロッパ本部は人種問題、ユニセフ、赤十字などの厚生分野に関
する中枢機構が沢山ある。
本会議場をはじめ幾つかの会議室(傍聴席)へ入り、またそれぞれの壁に飾られた由緒あるの美術品を解説を受けながら鑑
賞した。
ガイドは、ヨーロッパ本部においては難民対策、ユニセフ問題、子供に関する救済に力を入れた取り組みが中心であることを
強調していた。
会議室はその日も難民に関する大きな会議が催されており、その後有名になった緒方貞子氏の活躍の最中であった。立った
ままの打合せが廊下のあちこちでも見られた。
ツアーでは私から案内員に質問するチャンスもなく、又勇気も湧かず残念だった。
私が期待していた国際連盟の資料は表面何も公開されてはおらず、建物の説明があったのみである。本部の中央のロビーから
広い庭が見えその先、レマン湖のほとりに国際連盟の形見パレ・ウィルソンが望めた。天気に恵まれれば、さらにその向こうにアル
プスの山々が連なって見えるとのことである。ここに集まる人たちは皆、この美しい展望を眺めつつ、世界に平和をもたらす為に打
ち込んでいるのであろう。
私は少し期待はずれの気がしたが、世界はロマンチシズムで動いている訳ではないと思い直し、肩の力が抜けていく自身を慰めた。
現実への対処は、もっと重要で尊い仕事を要求しているのだ。会議室から会議室へ新聞やテレビで見る顔が幾つか移動していた。
約1時間の見学ツアーを終えて、ビジターセンターでタクシーを呼んでもらいローヌ川の辺へ引き返し、レマン湖のモンブラン橋を
歩いて渡った。その日は大噴水がしぶきを上げていた。
マルシェ通りに面した百貨店の2階にあるセルフィッシのカフェで昼食にした。ジュースとパンそれに添え物も全て自分で選択し席
へ持ってきて食べた。
自分勝手というのはいいなあと思ったが、何となく気忙しい気がした。空港で急いで食事をしているような気分だった。
はながひとあたり百貨店内を見てきたいと言ったので、私も一緒に廻ってみたが、気の利いた物は見つけられず、大した買い物も
出来なかった。私たちには地元スーパーの方がむしろ目ずらしう物が発見できて面白いように思われた。
百貨店を出ると、晴れていた空は一転して曇っており、案外と寒い。クリスマスの買い物に繰り出した人通りの激しい中を、路面電
車がゴトゴト音を立てて走っている。見分けはつかないが、おそらくこの大勢の人々の中には多くの国の人々が混じっているに違い
ない。こうして大勢が平和に入り混じって住める事は良いなあ等と、国際都市に居るらしき感慨を巡らしながら眺めてていた。
クリスマスツリーの飾られたビルの谷間の広場には、屋台のようにテーブルを出して商品を盛り上げている店が並んでいた。曇空
の下、寒風も冷たかろうに年老いた婦人が、ぎこちなく商品を並べ替えている姿が印象的だった。 はなと私は再びモンブラン橋を
わたった。ロアール川の方に数羽の白鳥がきていた。
橋を渡りきると大きな通りの交差点から入ったところにある郵便局の角を折れ、観光バス発着所の前からホテルベルンへ戻った。
○
お互いに“いよいよ終わったねー”と言葉を交わしてバスに乗ると、まさに一抹の寂しさを感ずるのであった。私たちは夕暮れ迫る
ジュネーブの街を後にしたのである。
コアントラン空港は小さな空港であった。しかし、スイス航空はとても親切に感じた。アテンダンスも優しかった。フライトは順調に
パリのドゴール空港のトランジットを経てJALの帰国の途に移っていった。
ヨーロッパ・メモリアル終章
パリのドゴール空港で、JALの待合に着くと、帰るために集まっている大勢の日本人を見て一変に日本の空気を感じた。誰しも
他国での緊張にしはいされるのだ。心なしにも安心を味わう時だった。
搭乗まで2時間もの間があったが、旅の名残を諌めるにはむしろ適当だったようにも思う。グループのメンバーと互いに楽しか
った思い出を語り、広い空港ビルの隅々まで店を覗いたりした。高井さんはここでもイタリアの皮製ブックカバーに拘ったが結局
見つからなかったようだ。「ここはフランスだから―」と嘆いていた。
帰りの機内ではひたすら寝ることに努めた。
幸い成田への到着時間も予定通りで、揺れも無くスムーズな帰国だった。
手続きはあっという間に終わり、ゲートを出て手を振って仲間と別れた。
長い旅だったような気がした。
頭いっぱい、胸いっぱいの旅の経験は、その後の日を追うごとに明確な思い出になって、「百聞は一見に如かず」を頷く。
この旅を振り返って思うことは、ヨーロッパの主要国の名だたるところを、自分なりきに掴むことができたことだ。いま静かにして整
理してみれば、イギリスは近世における華やかな君臨、大英帝国連邦の思いをベースに精神的な面での国民性を誇っている。伝統
ある行事、折り目正しさを追及する国民性を感ずる。フランスはこれもまた中世の全盛期の華麗なる遺産を誇り、美的感覚を重んじ
て世界に向けてのショウを演じているようでもある。フランス語の語りかけにさえ、どこかそんな雰囲気が漂う。イタリアは位置的にも
南、地中海の明るい風土を背景に開放的で自己主張に長け、人に親しむ術を心得た民族と感ずる。古きよき時代のローマ大帝国
を偲び、それを惜しみ、かつそれを世界に誇る。
民族の心中にはそれぞれの伝統によってもたらされた精神構造が、他にひるまず、自己を外へ表現できるエネルギーを伴ってい
るゲルマン民族の流れ、その誇りを見たように思う。
その中で、スイスにはこじんまりと、素朴に枠を出ず、国際中立の観光国らしさを振舞う一端を味わった。
イタリアで遭遇した子供達による(実態は大人と思うが)ひったくりのショックは、関係者から聞いていた話を成る程と頷かせた。
訪れる誰もが話題にし、警告しあうような不祥事件が真昼間の観光客に対し、しかも子供によってまで堂々と仕掛けられる国があ
ろうかとの嘆きを隠せない。現代の社会に対して複雑な心境になる。国の成り行きの難しさ、政治や人間教養の難しさを思い知らさ
れたものである。どこの国にも不良な輩は多かろうが、子供達が可哀想いに思えてならないのである。周囲の大人はどうしてそうい
った社会を作り直そうとしないのだろうか。これも自由主義が高じて手がつけられない現象の一つだろうか。
ロンドンでの胸踊る到着時の紳士国の印象もプライドも、歴史という積み上げられた事実の前には、フランスやイタリアの人々の
心中に潜む視点の基準で見る重さとは比較にならないものであろうと感じた。かつて歴史に残る大きな世界の覇権を手にした彼ら
の胸中にある、いささかの民族の血統は、英国何するものぞとうそぶいているようだ。
そうなると、ギリシャやエジプトはどうなのか、行ってみればどんな答えを感ずるだろう? 反面、それら赫々たる輝きの実績に裏
付けられた栄光の歴史は、今日どのような形で存続しているのだろうか。
疑問や課題は次から次えと生まれ出る。
フランスの美しさは気が引き付けられる。ゆっくり、ゆっくりと、季節を違えて散策してみたい。
あちこちの街を良く走った。足も痛かったが、何とか丈夫で走れて、今回も街を良く知るかとができて良かった。朝は暗くて寂しいが、
朝早くから動き回るのは働いている人が多く、悪い人はいないと思う。タクシーも、掃除の人も、荷物を運ぶ人も早朝の仕事につく人
は勤勉と見てよいのだ。朝は空気もきれいだし危険が一番少ない、これからも旅は早朝の街を見て歩くとしよう。
日本の空も風も静かだった。12月14日、日曜日の朝、再び自分の棲む町を歩いた。日本に帰った自分を元通りに戻して、この体
中に詰め込まれた思い出をほぐして行こうと思いつつ深呼吸をした。
UNの平和を祈る壁画