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8.広州空港から帰路(終章)
晴天の外は30度cもあるかと思われる程で、蒸し暑かった。
全てのスケジュールを終えていよいよ帰路に着く。空路で広州白雲国際空港から関西空港へ向か
うのである。
広州白雲国際空港は、中国第三の大都市広州市の中心部から北へ28kmの距離、白雲区にある。広
州も中国の他の大都市の例に漏れず、爆発的な交通量の増加に伴い、渋滞に巻き込まれることも多
いとの事だったが、高速道路(広州機場高速公路)に乗ると比較的スムーズで、30分程で着いた。
私達は14:45発の日本エアシステムJD−234便に乗ることになっており、13時前には
ロビーで搭乗手続きに入った。
大きい空港なのだが、国際線も国内線もひとつのターミナルにまとまったフロアーになっている。
しかし、比較的空いていたのか思ったよりスムーズに手続きが進んで、14時には2階の出発ロビ
ーに移れた。
レストランやショップが少なく、時間を過ごすのに一苦労するやの評も聞いたが、見た限りでは
かなりのショップもあったり、コーヒーの飲めるレストランもあって他の空港と変わらない印象を
受けた。
この、広州白雲空港は中国国内では、北京首都国際空港、上海浦東国際空港に並ぶ、3大空港の
1つとして2004年8月5日に開港している。中国民用航空総局 (CAAC)の中南管理局が置かれ、南方航
空、海南航空、深セン航空、のハブ空港である。
私達が利用した当時はたった1つのターミナルしかなかったのだが、その後、第3滑走路が2014
年に完成し、現在は第2ターミナルが完成間近とのことである。中国躍進の拠点となって行くであ
ろう。
日本へ、関西空港へ帰るのはグループ一緒であるが、旅行の添乗はここで終了し、関西空港では
近畿日本ツーリストがトランジットの場所で点呼することになっていた。仲間とは搭乗口で挨拶を
交わして、問題も無く機上の人となった。
何処へ出掛けても、帰路に発つ時はホッとする。機内で席に着くざわめきの中であっても、何と
なく無事に済んでよかった、と背もたれに寄り掛かったときには空路の不安よりも一寸した安堵感
が勝るものだ。
アテンダンスも日本人である事は隠せぬ安心感である。
機は順調に滑走してすぐに洋上の空を飛んだ。そのあと出された冷たいドリンクが旅の終わりを
告げる清涼感を与えてくれる。
夕方には日本の地に着くのである。
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私達にとって中国への旅は香港を含め3回目であった。北京から西安、上海を廻った旅、香港か
らマカオへの解放区を観た旅、そして今回の南部隣国に近い地域とざっと大きな中国の国土を一通
り眺めたということになった。
まだまだ中国は発展途上ではあるが、膨大な人口と国土に支えられた国である。世界はこれから
の発展に期待しているし、最早市場経済の推移は世界の注目を浴びている。
その目まぐるしい変化の只中にある都市を観てきたように思う。
北京、上海は西欧並みの顔になったと言える。香港は市場(いちば)が巨大化したような感じで
眺めた。
広州、深センはそこに追いつけ追い越せの渦中にある。これらの街は活発だが、どこか垢抜けし
ないように感じた印象は否めない。
だが、私はその感じ方が、他の発展した主要都市、北京や上海に重なり、広州や深センは次第に
そんな感じになっていくのではないかと思うのであった。つまり表むきは極めて活発にダイナミッ
クに近代化されるが、なかなか人々の心がついていけない。国全体の力としても、一部の指導者や
先鋭部隊が動いただけでは前進できないことに通じるのだろう。
今回垣間見た南部の、殊に古くからこの地に馴染んだ少数民族の人々が、善政によって国の力に
参加できるようになることが、小さいが最も大切なこととなるのだろうかと思う。
治安への不安や生活格差は猛スピードのインフラには決してついてはいけない。ましてグローバ
ル化していく世界の中で、利点や利便をふんだんに取り入れつつ、これまでの良かった部分を頑な
に守り通すことは不可能に近い。
悠遠な流れ、悠久な大地の奇形、自然遺産は尊い。その地に培った民の伝統文化に触れると、何
処の地でも心は休まるように思う。
近くて大きな国、中国は本来、日本文化の源泉地と考えてしかるべく、さらにさらに友好を深め
絆を求めた交誼を求める先ではないだろうか。
只管、帰郷の空路を飛ぶ中で、感慨をしたためる小時を過ごすのだった。
機は予定通り、19時15分には関西空港に着陸し、国内線で順調に羽田に降り立ったのは22
時を廻っていた。
疲れてはいたが、自宅へ向かう電車の中も懐かしく捨て置けない、旅の感慨を呼び覚ます安堵の
風景であった。
中国南部の旅 (完)
懐かしい広州のシンボル電波塔