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風次郎の世界旅
 遥かなる大地・トルコ  

music by TAM Music Factory 

  
    メリル・ヒサル                           第2ボスポラス大橋

(16) イスタンブール―4―
     ボスポラス海峡クルーズ

           ホテルを出発したのは8時であった。
           皆、飛び切りの青空だ、と好天を喜んでニコニコしていた。照る照る坊主を窓に飾った添乗員の細野さんもガイドのギョクチェさん
          もとても嬉しそうだった。第一、クルーズは晴は感激、雨は幻滅だから、ましてこの旅がここまで素晴らしい天気に恵まれていたの
          で文字通り晴天に恵まれたことになる。誰にとっても喜びは隠せないものだった。
           アタチュルク橋より湾寄りのガラダ橋を渡った。海が朝日に輝いていた。
           イスタンブールで最も多くの信者が集まると言われるイェニ・ジャーミーの前でバスを降り桟橋へ向かう。私たちのツアーは18名の
          グループだが今日のクルーズは借り切りの船だった。天気が良いので皆デッキの席に着きキャビンは空っぽである。船はこれでは
          もったいないと思ったが、悪い気はしなかった。

           青空の下、青いボスポラス海峡へ船は出て行く。
           金閣湾を出るとすぐに見えてきたのはクズ島である。筏の上に塔と小さな家が建っているように見えるが、小さな島とのことである。
           船は左へそして北上していく。
           朝陽を背中にして海上から見るイスタンブールの街は美しく輝いている。手前は新市街、左手の丘には昨日訪れたブルーモスクが、
           雲一つない青空の下で静かに構えている。
           やがて海上には桟橋を使ったレストランのデッキハウスが見え、そこを過ぎると海辺の豪華宮殿「ドルマバチェフ宮殿」が見えてきた。
           今回は入場見学は出来ないので、外からしっかり見ておきたいと思った。これも晴れていてよかった。
           ともかく総大理石で造られた夢の宮殿と言われる。真横の海上から眺めると全長600mが思いのほかの長さ、大きさに見えた。ト
          プカプに飽き足らなくなった皇帝が十数年をかけて建てさせたとのことだから呆れる。
           権力は贅によって示されたのであった。そして美は格式とも化し、権威の象徴ともなる。トルコ共和国初代大統領アタテュルクもイス
          タンブールでの官邸としてここを使い、1938年11月10日ここでの執務中に逝ったのである。その執務室の時計がその時刻9:05
          を指しているというのが有名だ。
 
           ヨーロッパ大陸とアジア大陸をつなぐ画期的な事業として、1973年10月23日共和国創立50周年記念日に開通した「第1ボスポ
          ラス大橋」を潜る。
           更に北へ進みもう一本のアジアとヨーロッパの架け橋、また日本とトルコの交流の結晶である「第2ボスポラス大橋(ファティフ・メフ
          メット大橋)」をも潜った。こちらは日本とトルコの100年を遡るエルトゥルル号難破事件以来の親密な交流から、円借款と、日本の
          技術協力で完成されたものである。
           実に第一は1560m、第二は1510mの海峡を跨ぐ壮観な吊橋である。また、現在その間に海峡地下の鉄道トンネルプロジェクト
          工事が、やはり日本の協力で進行しているのが見えた。
           第2ボスポラス大橋のヨーロッパ側の橋の袂には、1453年コンスタンチノープル攻略に備えてメフメット2世が建造した「メリル・ヒ
          サル」が厳しくも時を経て今は優雅に映る姿を現していた。また対岸には、更にその時を遡るオスマンの砦「アナドル・ヒサル」の跡形
          が残されていた。

           船は海域が倍ほどに広まったあたりで反転し帰路に舵を切った。
           帰りは少しアジア側の海岸沿いを航行したので、兵学校や、スルタンが夏の離宮に使ったという「ベイレルベイ宮殿」を間近に見る
          ことが出来た。
           解説を終えたガイドのギョクチェさんは日本の歌謡曲を船内に流しはじめた。
           石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が彼女の好きな日本の歌だそうだ。海峡を絡めた選択で何となくムードは出ていた。
           江利チエミの「シシカバブ」や庄野真代の「飛んでイスタンブール」などを懐かしく聴き、日本の海峡工事参加の話などと共にトルコ
          への親しみは増していくような気がした。
           空は益々快晴で大成功のボスポラス海峡クルーズだった。
           私たちは金閣湾へ戻り、ガラダ橋を潜ったところの桟橋で船を降りた。

 トプカプ宮殿
 
           いよいよ見学コースも最後の「トプカプ宮殿」だけになった。
           バスは、昨日も登ったシルケジ駅の脇から入る坂道をスルタンアフメットの丘へ向かう。
           宮殿は三方を海に囲まれた丘の端、東西交易の接点であるボスポラス海峡を睨むような場所に建っている。かつてはここに大砲が
          設置されていたことからトプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれるようになったと言う逸話がある。そこへ1460年、メフメット2世は
          にこの宮殿を着工、後世拡張もされ、最終的には70万uと言う広大な敷地になったとのことである。
           バスを降りると、すぐ左手にはトルコ国内で出土した古代文明の遺品を展示している「考古学博物館」があった。そこには「アレキサ
          ンダーの石棺」があるという。アレキサンダーは、東方を見据えてアナトリアを何回と無く往来したのであろうが、棺がここにあることは
          知らなかった。
           いよいよトプカプ宮殿に入る。
           アヤソフィアの裏手に当たるところが第1庭園、ここから第2庭園に通づる「送迎門」までが市民のフリースペースになっており、大木
          の茂る中央の通り沿いにはみやげ物店も多く出て賑わっていた。
           右手に当初コンスタンチヌ1世が創建したといわれる「アヤ・イリニ教会」が見える。現在のものは6世紀に建てられたものとのことだ
          が、これも宮殿内にありながら壊されないで現存し音楽祭などに使われているとのことだ。排他的なスルタンには幾つも意外性が感ぜ
          られることがあると思った。
           その東側に宮殿の「正門(皇帝の門)」があるとのことだから、往時宮殿にはマルマラ海側から登るのが正規の道だったのであろう。
           チケットを提示して8角形の厳しい塔を左右に置いた「送迎門」を潜り第二庭園に入って行く。
           門の厳しいイメージから打って変わり、芝生と花壇がいっぱいに広がっている優しいイメージだ。左がハーレム、右は厨房。ハーレ
          ムは好奇心をそそる遺物ではあるが、現代では人権蔑視の遊欲の世界、ここの構内には「正義の塔」まであるとのことだから、イス
          ラム世界と言うか皇帝の遊びと言えども現代の理屈には合わない。
           しかしか、だからか、会場は人気があって長蛇の列。興味があったが割愛して、皇族の陶磁器コレクションが展示されている厨房に
          入ることにした。
           こちらも長い行列を待たねばならなかったのだが、トプカプ宮殿の混雑は毎日のことで午後は更に激しくなるとのことで致し方ない
          そうだ。
           陶磁器は中国のものと日本のものが多かった。大きな絵皿が多く、伊万里なども見た。陶器はこの国でも産することが出来たのだ
          が、やはり東洋のものが珍重されてのであろう。
           次は正面に「幸福の門」があり第三庭園、「謁見(かっけん)の間」へ通ずる。一つの建物となっている「謁見の間」は思いのほか狭
          いもので、悠々と眼通りするとすれば10人が限度か?おおかたは建物の前の庭で謁見を受けたのであろう。皇帝は余りここに現れ
          なかったとも言われる。続きの建物に書庫があったから、勉強部屋代わりに使われたのではなかろうか。
           門の両翼の壁で仕切られてはいたが、海側の厨房に続く宝物館には宮殿に残された超豪華な宝飾品が展示されていた。86カラッ
          トのダイヤや重さ3Kgのエメラルドは見逃せない逸品とのことだったので、行列を我慢してよく眺めておいた。私は皇帝が持っていた
          いう「トプカプの短剣」を美しい芸術品と見た。また当時の衣服が秘宝に囲まれて素朴に飾られているコーナーを興味深く見入った。
           花壇越しの奥の建物に見事なイズニックタイルを飾った部屋があったので、そこも大行列であったがはなと共に見にいった。皇帝の
          寝室と言うのも見た。これは豪華ではなかった。

                                                  ○

           予定の時間が来て、金閣湾からマルマラ海を展望できる宮殿のテラスに皆が集まってきた。集合場所になっていた。
           豪華絢爛の秘宝、奔放なハーレムの世界を見た仲間の感想はまちまちであった。
           遊牧の民の生活は根本は質素。絨毯はともかく、権勢を誇った王宮と言えどもベッドや、わずかに椅子以外の家具がない生活。貴
          金属の量だけが違うだけではないか、と言う人もいた。
           なるほどそういったことは、西欧の王宮に比べ、質素である。同じイスラムの遺産、スペインの、アルハンブラ宮殿といえども似ている。
           大理石の部屋の中に水が流れる中庭は、自分たちが憩うオアシスの代わりなのだろう、と言う人もいた。成る程と思った。
           流浪の民は皆、教義を信じ、死後を見ているのかもしれない。
 
                                    〇 〇 〇 〇  〇 〇 〇 〇〇 〇 〇 〇  〇 〇 〇 〇

   
第1庭園と送迎門                              皇帝の寝台
                                       

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