列車は白い雪景色の中を進んで行く。
小淵沢の駅あたりは八ヶ岳も編笠岳が大きく伸び上がり、広い裾野が車窓のすぐそばまでずっと近づいている。
朝日が右側から差し込んで、山肌が輝き始める頃、風次郎の通う列車はこの辺を走るのだ。
雪野原、雪一面、近くの家の屋根は、縁に厚みを巻き付かせようとする分厚い雪をのせて、静かに堪えているようにも見える。
今回の雪は、この処の数年間、なかなか見なかった積雪となり、雪原が見事に広がっている。
一月の後半は、長男の住むニューヨークへ行っていたので、富士見へ向かうのは正月以来だ。
東京に帰って聞くと、27日には関東は大雪で、東京も交通が麻痺したとのことである。また、今回の雪は南信地方に殊に多く降ったとのことだ。そのあと、東京には雨も降ったが、この季節平地の雨は山では雪になるので、いったい富士見ではどんなであろうと気にかかっていた。
妻はなが、義姉にTELで聞いたところによると、1月24〜25日も雪が降り、それに輪を懸けて26日の大雪だったとのことだ。26日の夜は、その日の分だけで40センチにもなり、2度も雪掻きの触れ(町内で一斉にゆきかきをする)が出たと言うのだから、町中が久し振りの除雪におおわらわだったろう。
列車は、信濃境に近づくとトンネルに入り、いったん雪景色が暗転した。そして、信濃境の駅近辺の集落を過ぎると、又あわせて3つのトンネルをくぐる。
最後のトンネルへ入る前には、中央線で最も高い「立場川の鉄橋」を渡るのであるが、橋上の一時、南は釜無渓谷、北は八ヶ岳を眺めるられ、ここで風次郎は富士見駅への下車を促される気持ちになるのだ。
鉄橋の景色も、両側からせまる谷の針葉樹林にまで雪が乗っかった白い世界であった。
その昔D51が走っている頃、富士見駅のホームに立って、トンネルをから出てくる列車が、黒い機関車の頭と同時に、破裂するような白い煙と水蒸気を掻き分けて、飛び出すように近づいてくる雪の朝の光景を思い出す。
今は煙りこそ出さないが、この列車も、雪を掻き分けるように富士見駅に近づいて行くのであろう。
海抜950メートルの富士見駅に着いた。
冬の間手動式になっているドアを手で開けて列車を降り、ホームに立つと、ピーンと冷たい空気が顔を襲ってきた。
ホームは凍りついた雪で固まっている。ホームの端に積み上げられた雪は悠に1メートルを超えている。こんな時は、足元が慣れるまで余程注意して歩かねばならないのだ。
吐く息の白さを見つめた眼を足元にやる。
さすがに駅前の広場はブルトーザーによって除雪されているが、広場に向かって暖簾を出している筈の「大石食堂」は、そのどけた雪の塊に隠れてしまっている。
“やっぱりすげえ雪だわ‐‐‐!”
雪を退けても、道路の地肌が見えていないということは、確かに数回繰り返して降ったに違いない。そして又、昼間少々融けた表面が、夜凍結して、道は滑りやすくなっているのだ。
午前8時、まだ動き出さない街を、風次郎は南天寮へ向かった。
道路脇は到る所雪が積み上げられていた。道が圧雪状態だから、道脇の雪壁も白いまま汚れが無く、その点80セチンもあろう積雪はきれいだ。
南天寮は広い町道から木戸道を20メートルほど入った所にある。その木戸道はさらに奥の民家に通じているのだが、そこには老人が住んでいる。普段はこの道を通学の子供たちが通ったり、周囲の住民が散策路にしているのだが、さすがにこの雪では広く退けられてはいない。人一人が通れるだけの道が、掘ったようにぎこちなく曲がって、奥の方へ続いているのだった。
“Yさん(奥の住人)が、頑張って雪掻きしたんだな‐‐‐。”
風次郎はすぐにそう思った。細い道の両脇は雪壁の高さが1メートルを越している。
“大変だったろうにな‐‐‐。”
昔だったら一緒に雪掻きもしたものだろう。
それにしても、南天寮へ入るには、この木戸道に筋目がなかったら大仕事をしなければならなかったところだ。おそらく広い町道は町のブルドーザーが中央の雪を寄せ、両脇は近所が総出で整理したのだろう。各家は、その町道から自家の玄関までの雪をどけるので精一杯なのである。
南天寮は風次郎の生家である。
彼が育った少年時代はよく雪が降った。1メートルも積るのは珍しい事であったが、あたりは冬中30センチぐらいの雪で覆われ、降る回数も今より多かったように思う。
雪が降ると、その都度、「出払い」といって、町内の人々は皆で町道の雪掻きをするのであったが、その前に、風次郎の家は町道まで木戸道の雪を退けなければならなかった。
中学生になれば、公の人足だと認められたから、風次郎も何度も大人に混じって雪掻きをしたものである。
Yさんが雪掻きしてくれただろう木戸の細道は、それだけで充分有難味のある細道だった。その道を玄関のところまで辿っていった。
さて、其処から屋敷の中へどう入ったものか。
木戸道からは、この1メートルもある積雪の中を掻き分けなければ、玄関に辿り着く事はできない。スコップも「雪掻き」も玄関脇の物置にあるのだ。そこへ行くには雪まみれになって山登りのようにラッセルしなければなるまい。
“やれやれ。”
幸いにして好天、陽は射し始めたけれど、まだまだ寒く、雪は冷たいだろう。それに大雪の上にさらに乗っかった雪も2〜3日が経過しているから、割合に絞まっている。大きなショルダーバッグを放り出して構えて見たが、この深さは簡単に歩いて進む訳にもいくまい。ためらった結果、町道よりのお隣Mさんからスコップを借りて雪掻き作業をすることにした。
Mさんはもう80歳。息子家族と共に住み夫妻共々丈夫に余生を送っている。最も近くのお隣だから、息子さんとも風次郎は幼馴染である。
「えらい降ったでなア、ほりゃ、雪掻かなきゃウチへもへーれねえらえ。遠慮しねえで使っとくれや。」
と、買いたてのピカピカしたスコップを貸してくれた。
持ち上げると、とても軽くて、シャベル状の材質も薄いジュラルミンであろうか、わざわざ雪掻き用に作られたもののようだった。
「コリャーいいものですねえ、有難い。お願いします。」と、ペコリ。
早速作業に取り掛かった。
木戸道から玄関までは約5メートル。
縦に筋目をつけ、四角に切り出すようにして、幅約1メートルの入口通路を開けるのは思いの外大変な作業であった。雪の塊はスコップに載る大きさに切らねばならない。固まり始めた雪は以外に重いから、これを遠くへ放り投げるのには、力も要る。放り投げると言うのは、雪の壁が高いためだ。雪を、切って掘るようにしているのだから、腰をかがめて足に力を入れる。その腰で跳ね上げるのだから、結構激しい運動で、風次郎は汗をかいた。ジャンバーを脱ぎ、その下のセーターまで脱いでいった。これは、雪掻きでなく、雪掘りである、と思った。
半分も進んだ頃、時計を見るともう30分も経っていた。
“どうりで腰もこたえるぜ!”
ひたすら雪を切り、放り投げる。
やっと玄関前に掘割のような通路ができあがったのは、1時間後であった。
このあと、風次郎は木戸道をすれ違い出きる程に広げ、又、玄関前から水道の不凍栓を操作する為に必要な、軒下の通路を確保する為の除雪を続けた。
雪は、南天寮の南側でも、ベランダの高さまで来ており、畑は少々のうねりが影を作って、白い波の海のように広がっていた。
廊下から見る山は、頂きに少しの雲を集めていたが、空は耀く地上の白との対比に、十分対応できる青一色に澄んでいた。
正月以来だから、一ヶ月振りになる。
居間の障子を開け払い、廊下のガラス戸も開け放って、雪を渡ってくる清潔な風気と入れ替えた。
“ああ、疲れた!”
と、一人で叫んで畳の上にゴロリと横になると、鍵の手に続いている母屋の屋根が見えた。
屋根の雪は庇の処でゆるく大きくまるまって、今にも落ちそうになっている。陽が当たって、もう少し融けて、上から押されたら、すぐにドサリと落ちるだろう。
それにしても、いかにも降り積もったものだ。
腕時計は12時間近になっていた。
耳を澄ますと、何処かでポタリポタリと雪解け水のしたたる音が聞こえてきた。
横になったまま外に目をやると、穏やかな白い雪面に、小さな日光の反射が集まって煌いている。
静かにしていると、春の日溜りを思わせるほのかな暖かさが漂うのだった。
(00.02.03)