うつぎの花がこんなに美しいものとは知らなかった。
幼い頃は、我が家の土手にあるボウボウとした細い木に白く散りばめて咲く初夏の花であるとの認識はあったが、通学路の山道にはどこにでも株になって群れており、あまり良い様の木とは思っていなかった。むしろ、そのできるだけ太い枝を持って、節と節の間を器用に加工して作った笛で遊んだ事の記憶の方が勝る。
---- 卯の花の匂う垣根に、ほととぎす早も来鳴きて、
早苗植えわたす、夏はきぬ ----
今年も夏がやってきたのだ。田植はとうに終わってしまった。
勤めている会社が、この10月同業種の他の会社と合併することに決まり、社内はその準備に追われている。整然と着々と進められているようだが、内実は膨大な量の準備作業があって、そこにかかわる個々の部署毎に多様な思いに迫られている時期と思う。
個々人の心情においてもしかりである。
風次郎は来年3月が60歳の定年で否応なく会社を去らねばならない。この半生を、いわば生きがいに浸った場所として馴れ親しんできた会社がなくなってしまうことに、寂しさを感じていたのである。
この夏が終わると会社はなくなる。
企業としては生まれ変わるのであろうが、風次郎にはそうとしか思えなかった。
――決定以来一年が過ぎたこの春、風次郎は会社にお願いして6月末をもって繰り上げ定年退職することにした。
いよいよその時を迎えるのである。会社勤めを癒すと言う意味では最後の週末ということになろうか。
南天寮の土手にはうつぎが3株ある。敷地東北の角から土手に沿って10mおきくらいに、葉の繁った今はこんもりと見える。それぞれの株は白い花を散りばめるようにつけて見事だ。
朝、雨が降った。
梅雨前線の影響のようであるが、予報では朝のうちだけで上がるらしい。
八ケ岳山麓の今年の梅雨は、それほどシトシトした様子ではない。比較的天気は良く、いずこの新緑も雲行き交う山を背景にして美しく輝いていた。
雨が降っていては山は見えないが、雨が上がったあとの山は良い。
雲が動く山は雄雄しくより高く見える。そのあとに陽のひかりをうけて聳える姿がつづけば最高である。通常はそうはならない。山は次第次第にベールをはいで姿を見せる如く、厳かなマナーを守るのである。
厚い黒い雲が動く。雲はやがて白んで柔らかくつつんだ形になる。白い雲が動く。谷すじに湧く雲だけが残る。というふうに――
山麓からこのマナーの移りを眺めていると、今の季節にはカッコーやホトトギスの伴奏が聞こえてくる。
山は雲のベールを纏っていても、先に里の真上に青空の窓が開けばしめたものだ。そこは「光る緑」の海である。
風次郎は親しい友人には常に梅雨時の信州を勧める。それはこの光景を見て欲しいからである。
“雨上がりの初夏、そこにある光る緑”をである。
予報どうりの雨上がりを期待しながら、雨の中を歩いた。
うつぎの花は高原の街のあちこちに見られ、そのそれぞれに立ち止まり、愛でて歩いたのである。
枝は真っ直ぐに伸び先細った所に房状に小さな花を沢山つけている。花房の元には房枝を引き立てる2枚の葉が観音開き状についている。枝にいたるまでにもう一節この対葉がつく。花一つ一つは桜に似ている。咲き方も桜に似ていると言っていいだろう。五枚の花びらの中央に黄の花芯である。しかし、花はとても小さく、篭りがちの開き方である。
葉のみどりは桜に比べると淡い。その淡いみどりが真っ直ぐ伸びた本枝を沢山寄せた株、一団となってかたまりをつくっているので、その初夏のみどりに、うつぎ=“卯の花”の白はうきたち映えるのだ。
においは何か薬品のようにも感ずる。もっともこの頃は、地面に近く同じ白い花を賑わす“どくだみ”の花も最盛期なので、その花の香もまじっているのかもしれない。
一枝を折ってきて仏壇の花瓶にさした。
南天寮は父母や兄弟と共に、風次郎が少年期を過ごした家である。
定年になったら、その後をどう暮らそうかとしばらく迷っていた。
6月一杯でそれを繰り上げ退職することにしたのは、ここに戻って生活してみようと決断したからである。いったん東京に居を得て、そこに家庭生活の基盤を築いた今、家族と共に過ごす事を考えれば、すべてを移しきることは難しいが、自分にとってやり難いことではない。むしろこのところ週末をこちらで過ごしていたのを逆にして、週末を東京で過ごす方が家族との団欒には好ましいようにも思える。
幸いにも古い友人達が、こぞってこちらでの生活を勧めてくれたし、適当な仕事まで順調に手当てできる段取りが進んでしまった。
風次郎にはこの地との因縁が犯せぬものとなっているのであろう。
香を焚く頃雨は上がり、窓の向こうの西山の雲は右から左、いわゆる南行天気上り坂をしめしはじめた。今日は良い天気になる。昼には晴れると言う予報は当たるであろう。正に「光る緑」を満喫できそうに思う。
土手の真中のうつぎの株はもみじと松の間にある。根元のここでは咲けない大きなアジサイの株は葉が繁るばかりだが、その大きな葉山のように見える上に、うつぎの株は聳えるように白い花房をつけて立ちあがっている。
剪定バサミを出して庭に下りた。
もみじと松の木に手を入れて、うつぎの花を見映え良くして楽しむために。
(風次郎)