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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』No 43
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2003年11月29日
風次郎
fuujiro@geocities.co.jp
晩秋(5)
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晩秋の落ち葉時雨の午後。東山魁夷の美術館を訪ねた。
時々長野へ行くようになって、善光寺の門前町を巡って本堂周辺の伽藍を
ひとつふたつ拝したり、散策することはあっても、そのすぐ目と鼻の先にあ
るこの美術館を訪ねたことはなかった。ここは駆け足でなく、すこし時間を
かけて画伯の作品に触れてみたいと思っていたのだ。が、気心の知れた仕事
仲間の H氏と訪れる機会恵まれたのは幸いだった。
小雨降る城山公園の一画、舗道の赤く染まった桜並木の葉が根元に散り落
ちて、静かだった。東山魁夷画伯の作品に触れようと近づくのに相応しい雰
囲気だったと思う。
美術館が10月から11月を「青の世界」のタイトルで開催していたので
ある。私も深く接した訳ではないが、魁夷の絵を青の世界と受け止めていた。
それも幽玄の青、心の門を静かに入っていかなければ近づけない世界だった。
対して観るのではないが、親しめる日本画の大御所平山郁夫画伯の絵は茶
色の世界であるように思う。画伯の砂漠やアジア大陸の、土に因んだ歴史を
背景に奏でる想いが熱く伝わってくるように思う。それはセピアである。日
本画ではあるが、日本離れした世界かと。
魁夷画伯の青は山である。心は草木である。そしてクールだ。音は無いか、
あっても、何処からともなく響き渡る聞き取れない読経のような。山水と言
おうか、純日本的な静寂。
1点1点を丁寧に眺めた。
一番印象に残ったのは絶筆となった1999年の「夕星」であった。絶筆
を意識して描く作家はいまいと思うが、この画は彼が求めていた理想、憧れ
のモティーフを表しているように思った。
中央にヨーロッパに多い木を配し、おそらく樅の木のようなスックと立つ、
丹精で貴品な三本の木だ。前景は水。そこに画伯の生きた大地が映るように。
両脇には山の斜面が続き、向かって左にはおそらく松であろう。右には桜で
あろうか。松と桜は日本のシンボリックな木と言っていい。
この絵には画伯の愛してきた世界が凝縮されている。それが青だったのだ、
と思う。
1973年からの山と雲の作品が3点掲げられていた。
「日本の心」を思った。心を求め、求め尽くした人生の成熟期であらんと
していたに違いない。
これは私の勝手な想像だが――。
丁度その前に当たる昭和44年(1969)あたりの古城巡りの作品の数
々が、若き日々のドイツに学んだ懐かしい青年時代の回想であり、その旅を
誘ったのは素晴らしい自然の光を見つけた北欧での作品「白夜光」(196
5)あたりだろうか。
日本人が日本人の世界へ、一度外へ飛んでいったものが、心をともにして
戻るときの過ごし方、あり様に、私はとても惹かれるのだが、画伯のその様
を見たような気がした。
今を生きるのに、歴史の上に立っていることを意識できる人は幸せだと思
う。
以前画伯の随筆集「風景との対話」に接したとき、そんなふうに思った。
再び画伯の作品に接して、日本人のもつべき精神環境のようなものを感じた
のは幸いだった。
☆
展示室に入るとそこに小さな断り書きがあった。
「折角来たので有名な画を観ることが出来なかったとの不満の申し出がある
が、氏の画は上展示室に掲げるのは連続2ヶ月が限度、保存上入れ替えてい
る」旨の断り書きだった。美術館としての素朴な説明だった。
このような断り書きを私は始めて見た。
微妙な氏の創り出す日本絵の具の妙にして叱り。と、納得のいく思いで読
んだ。
晩秋の午後のひとときをを豊かに過ごし思いだった。
―――――――――
このところ平年並みに冷え込むようになりました。28日朝5時30分、
南天寮の寒暖計もついにマイナス1度C を記録しました。前日の里の雨は八
ヶ岳では雪、
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/4066/
これが根雪になるでしょう。寒くはなりますが、風次郎は雪の
ある山を眺めるほうが好きです。
(風次郎)