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風次郎の『八ヶ岳山麓通信』No 24


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2003年7月12日

   風次郎
  fuujiro@geocities.co.jp

   伯母さん逝く
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 風次郎の父の実家(本家筋にあたる)で前当主(風次郎の父の兄)の夫人が
亡くなった。90歳だった。前当主は既に5年前95歳で亡くなっており、今
長男のKさんがあとを取っている。
 4日の早朝、Kさんが南天寮の玄関に現れ「昨夜母が―――」と立ち竦んだ。
 既に長年老病を患った末のことであり、Kさんも覚悟はできていただろうに、
少しかすれた声をつまらせていた。その夜は通夜、翌日は告別式と通例のしき
たりにならって親族、部落、知人による葬儀が行なわれた。

 風次郎の父は次男、前当主の他に姉、弟、それに幼くして逝った弟と妹がい
たようだが、皆鬼籍に入り、それぞれのつれあいもこの伯母さまが最後である。
 風次郎の伯父にあたる前当主も逝ったのは兄弟では最後であった。本家夫妻
は揃って兄弟の最後まで生きたことになる。
 伯父は亡くなる丁度一週間前、風次郎の母の葬儀を仕切ってくれた。健康な
まま亡くなるその日の農作業を終え、風呂に浸かったままの大往生だった。

 何か、それぞれの立場には、それぞれの生き方が定められており、人生は只
それが実現、実在に置きかえられているに過ぎないような錯覚に陥りそうだ。
 その人らしくというか――。

 大阪に住んでいる風次郎がとてもお世話になった方が肝臓ガンを病み、かな
り重いとの知らせがあって、風次郎は4日、大阪へ見舞に発つ事になっていた。
 風次郎自身も回復したと思っていた風邪らしき症状がぶり返し、多少の熱も
伴う朝だったので、見舞いはどうしようかと思案している矢先だった、Kさんが
現れたのは―――。
 虫の知らせも重なっていたのかもしれない。
 いろいろと重なる難行を知らせるのは神の領域なのだからいた仕方ない。

 本家筋では風次郎の父は次男、風次郎も一応は分家新家の「あと取り」である。
 当方の親族に痛い喉から出るカスレ声で連絡を取り(沙汰をし)東京から妻を
呼び寄せ、通夜から葬儀に臨んだ。
 大凡が父方、母方、従兄弟同士の集まりとなる。そして孫達も‐‐‐。
 孫にあたる人達の年齢はまちまちだが、従兄弟達は年恰好が比較的固まってい
る。昔話のできる年代がテーブルを囲んで夜遅くまで会話は尽きない。60歳で
は若く、70から80歳の人々の集まりなのだ。当然老人の会話は思い出をたど
る事に終始した。

 5日は梅雨一休み、晴天でこそないが雨なく、富士が望め、周囲の山々も稜線
が見渡せる日となった。
 出棺、焼葬、告別式のあと、野辺送りの葬列が故人の生きた暮れ行く「トチの
木」という部落を通って墓場まで続いた。風次郎は分家新家のあと取りとして、
葬列の最後に「後旗」を風になびかせて歩く役割。
 喉の痛みをこらえながら、とぼとぼ歩いた。
 ―――さみしいなー。静かだな―。‐‐‐しかし、おばさん!戦中、戦後を生
きぬいた伯母さん。皆に送ってもらって仕合わせだなー。風次郎もお世話になり
ましたね。母に手を引かれて満州から引揚げてきた風次郎は、栄養失調で起きあ
がることもできなかった。当時本家のいろりの脇に寝かされて、土間越しに見る
馬場の馬を眺めながら只泣いていると、おばさんがお粥を口に運んでくれたっけ
‐‐‐。「お粥の通った喉、おばさん、今痛いよ――」

 本家の墓は部落の西の山斜面にある。部落越しに八ヶ岳連峰が見渡せる望岳の
好地である。夕暮れの八ヶ岳は黒く、そのシルエットがうすく青い空に映し出されて
いた。

 これで本家も全くKさんに受け継がれた。
 時の流れは、三回忌、7回忌と今葬列を組むこの親族との縁も薄くして行くだろ
う。
 吹く風と共に人は旅立っていってしまうのである。

 今、生きている風次郎は、また大阪の人のことをも思う。
 夏なのに風は冷たい。

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7/7 雨。
 7/8 曇りのち雨。
 7/9 晴れのち曇り夜雨。
 7/10 曇り時々雨。
 7/11 晴れのち曇り、時々雨。
 毎夜のように雨が激しく降ります。
 梅雨らしいと言えばそれまでですが。
                            (風次郎)