二〇〇〇年の日記から
年頭所感、  観桜、  隅田川、 

観桜(00.4.1〜8)

今年も桜の季節が来た。日本の春が来た。
”人の心は桜にある”と言うだけで、何やらわかったような気がする。
  敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花
本居宣長の、大和魂の問いにに対する答だ。

今年は心に少し余裕が出来たのか、桜を見る気になった。桜は時期を失する事が出来ない。あっという間に満開になり、一寸油断すると散ってしまっている。最高の時を見るのが難しい。美しい人の微笑のようだ。つまり、概して美しいのだが、一番良い美しさにはめったに遭遇できないのである。
これを確かめてやろう、と言うのは大げさだが。

花見をした。

――小金井公園 四月一日――
国立近辺に住む会社の仲間が、町内会よろしく時々集まって飲む。最近は夫婦揃って参加する面々も出てきて、和気藹々、楽しい会だ。春の花見、秋の観楓、この宴は定例会である。
花見は、四月の第一土曜日昼、小金井公園の郷土館前と決まっている。
この近辺では、国立駅の彼岸桜が1番に咲き、とうに散ってしまった。それなのに朝の散歩や、通勤時に見る、学園通りの桜が、なかなか花を見せないので、‐‐‐この分では小金井公園も?‐‐‐と心配していたが、当の一日、この桜が朝の散歩中の朝日の中で、”見る見る咲いていく ”と言うにふさわしい状態になって安心した。一橋大のグランドへ朝駆けに行く前に、まだ一寸少ないかと思いつつ見上げ、同じ場所を帰りに通ると、もう大きさが違っているのだ。

昼前から少し風が出てきたが、天気も良し、気温も上がってきた。11時、20人程集まった会場では早速酒盛りが始まった。強風が吹いて、シートが舞いあがるのを皆で防ぐのだが、時々物凄いのがやってきて、砂やら、枯柴を運んで来る。寿司も、枝豆も、煮物にもみんなそのゴミにまぶされてしまうが、まあ仕方ない。花見では、砂埃も、酒の肴となってしまうのである。皆、笑って口にいれた。
小金井の桜は、全般に大木で良い。三分咲きだが、もはや咲かんとする蕾の膨らみが、大枝にいっぱいで、頭上に垂れ下がり、例年同じ木の下で眺めるこの桜への親近感は、他とは変え難い。




――雨の国立,学園通り 四月五日――
朝目が覚めると、ポタポタと音がする。”雨かな?と思って、飛び起きる。この時期は、雨が降ると冷たい。時には雪にさえ変わることもある頃だ。傘を持つ手が、悴むこともある。
やっぱり雨だった。
季節の変わり目、冬と決別しきれない天気が、折角咲き始めた桜を濡らして、時には二〜三日も降り続くと、雨上がりの空に咲く花がとても少なくなってしてしまうこともある。そんな雨上がりの日は、散った花びらの上を悲しげに歩く。水溜りを避けながら、その水溜りに浮いた花びらの数の多さに驚いたりしながら、樹を見上げ、”ああ!まだ沢山木に残っていて良かった”と思ったりする。
桜の樹は黒くざらざらしている。古く大木であれば、そうであるほどザラザラとデコボコが多い。勝手にあちこちに伸びて行った枝が全部花をつけて咲き誇っているが、その隙間に青空を見るのは好きだ。とくに、雨上がり、桜の樹の下から、静かに陽の射し込むのを見ると、天の楽園に居るような気持になる。
筵を敷く。そして花見である。花見は大木の根元が良い。古い大きな樹はグーント長い枝を持っていて、花房もビッシリ着いている。その樹の下に、仲間が集まって酒盛りをする。
これは日本の代表的な風景だ。少し離れてこの風景を見ると、自然に皆丁度バランス良く配置された一服の絵になる。冬の間勝手に延びているように見えた枝も、花をつけると誠に見事なバランスだったり、座った人々もうまく円形に、顔を見合わせている。
風が来れば花は少し散る。そんな頃が最高の花見時となる。「ハラハラ」と言う言葉は凄い。それだけで意味がある。「ハラハラ」と言う言葉は桜が散る為にあるようだ。
桜の花も、木の下の酒盛りに参加しに来るのだろうか。
――――そんなことを考えながら、愛犬ナナと人通りの少ない雨の学園通りを歩く。明るさが次第に増して来て、もうすぐ雨も上がりそうだ。晴れれば青空は一段と桜を綺麗に浮き立たせ、どんと人も出て、木の下は酒盛りの賑わいとなるだろう。楽しい円陣を思い浮かべながら、心を弾ませて家へ戻る。

  
――横浜『三渓園』 四月六日――
横浜の得意先で桜の話をしていたら、”三渓園の桜も捨てた物ではない”と言う。何なら今から案内しようと言うので、”よし”と決めた。仕事中で一寸後ろめたいが、”お客との付き合いは、仕事のうち”と、即決実践、車を向ける。
春霞の夕方になろうとしている柔らかい日差しの『三渓園』入口に到着した。
ここまでのアプローチが桜街道で素晴らしい。海岸通り千鳥町から本牧に至る「本牧通」は両側延々と桜並木が続き、それが丁度満開なのだ。正に豪華な桜街。本牧通りから『三渓園』に入る迄は途中がやや道幅が狭くなるものの、これも桜の木樹に囲まれている。
実を言うと、こと桜に関しては、園内よりもこの街道の桜に圧倒された。素晴らしい。

園内では、入ったばかりの所にある桜の大木が隣の白い大輪の椿と咲き競っており、入園客の歓声を誘っていた。早速眼に映る池畔の情景も、ホッとさせてくれるものがあった。
やはり、桜は日本の伝統的風景に合うと言うのだろうか。
『三渓園』は、生糸貿易商原富太郎の愛好遺産だという。17,5000坪の彼の屋敷だったのである。大きな池、中段の屋敷(修理中)、京都燈明寺から持ってきたと言う山上の三重の塔、正門は苔寺西方寺にあったものだという。
それはそうと、関東の寺社でも、他の地方から移してきた建物が多い。元々この地で日本の伝統美に触れるのは難しかったのであろう。横浜港を根城に活躍していた富豪の原は、心を引かれる京都の伝統美を一所懸命身近に集め、日本人の心に浸っていたかったのかもしれない。――関東は鎌倉時代を除くと新しく開けた地であるだけに。
池畔の桜が見事に咲いて、縁台に老夫婦が語り合うなど微笑ましい光景もチラホラ、又沢山の種類の木々の覆われた山道に、所々咲く山桜は今を盛りと、名園かくの如し。
日本建築の美しさの一つは屋根にある。形は勿論、甍、萱葺が良い。
パッと咲いた桜だけがが明るく、冬に耐えた緑と、まだ淡く、雰囲気ばかりの芽吹きと調和して、春来迎図を構成する。日本画風景は、藁屋根、瓦屋根で代表されてしかるべしと納得する。
三重の塔を設えた山から、せせらぎを引き、麓に茶屋を配して、これを池中の東屋から眺める。求める和は素朴にして贅沢な、雪の世界であったかと思う。
それが、全く時代物であるだけに、赦せると思った。
池に飛来している鴨のむれも、岸辺に近寄り、人と遊ぶ風景も和んだ。
四時半で閉園とのことであり、内苑にある原の収集展示品等は見れず、別の機会に又、訪れようと思う。
ともかく、桜を日本の美として楽しめた事に満足する。

――上野公園 四月七日―― 
鶯谷駅から忍岡中学脇の花トンネルを抜けて坂を上がり、上野公園を目指す。上野駅からの公園はすぐ雑踏の中へ入らねばならぬが、ここからのアプローチは静かで良い。散策にはこちらから入ることにしている。文化会館へは、ここのところ足が遠のいていたし、博物館や、都美術館へ向かうのには、こちらの方が行きやすいこともあった。
科学博物館へ突き当たり、正面玄関の左にあたる場所には、大きな(実物大)鯨の模型があるが、その下に咲く桜も満開であった。割合太い幹であるから、枝が大きく伸びて、鯨が桜の波を乗り越えているようで、見た眼に楽しい。空の青にも充分応えられる風景だ。
噴水の池をやり過ごして、人込みの中に入る。そこから広小路に至る一筋が、上野の最も誇る桜処である。東京の代表的桜だけあって、貫禄充分、枝長く、幹太く、丁度散らんかなの絶頂。夕暮れ迫るを待つ花見客は、所狭しと木々の間どころか道路まではみ出して蹲り、皆花とダンゴ、花より酒、花よりダベリ、花より絡み??のようだ。それでも数年前から、カラオケのハイパワーが禁止され、かなり静かにはなった。

*******さてさて桜の一時の華麗さを追いかけて見たけれど、花の美しさの瞬時を愉しむのは難しい事が解ったに過ぎない。”花は愛惜に散る”その生涯を見つめてこそ、共に美しさを愛で、人として愉しめるのかもしれない。 今日も国立学園通りの花嵐を愛でて来た。
近くで仲間のような木々と過ごすのが良いのだろう。
桜前線はかなり北上したらしい。         

花びらの 絨毯のよう 朝の道
いちじんの風で 天下の 花吹雪

2000.4.8〈風次郎

隅田川早春(00.3.3)

[新しく出来た中央大橋付近]

隅田川は有名である。”春のうららの隅田川”と唄われ、東京のシンボルの一つと言っても良いだろう。この川が戦後の復興期は汚れに汚れて、岸辺に悪い臭気さえも漂わせた時代があったが、又今、都会人の憩いの場になっている。
私の勤めるオフィスは、近年いわゆるウオーターフロントと呼ばれるようになったこの川辺のビルにある為、何時でも窓からこの川が見渡せる。
南は河口から東京湾、近年新たに名所となったレインボウブリッジを望め、北は永代橋から上流に、幾重にも重なる古来の橋の数々を眺めて上るのである。
浅草の船着場と日の出桟橋との間に定期航路が布かれていて、日中は水上バスが通う風景も良い。正に”上り下りの舟人”があたかも楽しむがごとく見える。
この地にオフィスが越してきた頃、古き良き時代の花街”柳橋”畔から出ている屋形船に乗って夜の川下りを楽しんだこともあった。夜の川面から見る光に包まれたナイトタウンビュウは歴史を振り返る和舟の趣と対照的に、近代化の所産を味わう事ができた。
世評を是として動いた東京都のプロジェクトが、汚染されはじめたこの川と周辺の自然環境を、近代化すると同時に、由来を惜しんで取り組んだ成果が、今再び川辺を公園として人々の親しみやすい場所にし、川面の美化と交通活用にも見事成功したのだと言って良いと思う。
私は窓から眺めるだけでなく、冬であっても好天の日は、川辺の土手に腰を下ろして、昼休みの一時を過ごすことがある。暖かい日であれば、陽光を求めて近くのオフィスの人々が大勢繰り出して賑やかだ。人々が陽光を浴びながら川面に向かって座り、三々五々集い憩う様子は、見るだけで微笑ましい健康な風景である。昨今は、整えられた遊歩道を昼休みの小時間を使ってジュギングしたり散歩している姿をも見られる。
食事をする人々の前には、鴎やはとが飛来し、時々は私もパンのかけらなどで戯れたりする。母親に手を引かれて来た幼い児等が、それを追いかける姿など微笑ましい。自然環境の整備に拍手さえ送りたい。
川辺の公園は、ウオーターフロントと言われる隅田川河口からどんどん上流へ連なっているらしい。都会の環境汚染がとやかく言われる中で、この場所はいかにも都会風に自然と親しむ場所の一つと言って良いと思う。
やがて訪れる春のうららには、文字どおり重ねて桜咲く岸辺が、人々の日本らしい余暇のひとときを過ごす穏やかな場所となるだろう。

降り注ぐ陽光に逆らって、冷たい一陣の風が北側の土手を越えて舞い降りて来た。
立ち上がった私の脇を吹き抜けた風は、一時の憩いの時から、、午後のビジネス戦列への復帰指令を伝えに来たようだ。

中央は霊巌島水面観測所

風次郎の年頭所感(2000.1.1)

ミレニアム問題(コンピユーターの誤作動)で世界中が心配した2000年の幕開けであったが、とりあえずは何も不祥事は起きず、本当に良かった。

このコンピューターが、自分の中身を確認し、そしてそれを使うことによって、社会へそれも世界規模で、情報交流を自分の机の上から可能にしてしまった今日、使われるか、使いこなすかは大きな分岐点になる。即ち、可能性の拡大か、或いは複雑化に対する停滞で、生活の展望が変わるからである。これにより多種多様な選択肢を得られる人間は、多くの利便、利益を獲得し、複雑化の中に停滞する人は萎縮し、たじろぎ、悪い時は後退することになる。

「言語の問題」は、過去に同様なファクターで社会に影響を与えて来た。

共通語の世界に入れる人は、仲間として大いに語り、共感も得、すぐに行動も出来る環境が備わっているといえるが、言葉が通じないでは置いてきぼりになる。他を介してその仲間に入る事によって、初めてその世界を感ずることになる。

しかし、他が介在すると、即ちスピードを要求されるテーマには取り組めない。今や言葉の問題では「英語」が世界の介在語としてコンピューターに匹敵する威力を持ち始めた。

コンピューターと英語は、この世紀に入るに当たって、、私たちが市民権を得て活躍する為の必須ツールとなったと思う。(もっとも、最初から社会指向しない人には論外であろうが)

地球を離れて人類が生活するだろうか?それは無いとすると、いずれは滅亡する人類が、見通せる将来に向けて世界を豊かに作り上げる為に、差別すると言う事で無く優位に立つ民族は、共通化できる環境、言葉、通信メディアなどをワールドワイドでスタンダード化して、エンジョイ〜サポートすることが良いと思う。第一歩は競争となるし、そうなっている現今だが、仕方あるまい。

私もその一員として入っていく。だって、「世界が見えること」「世界が相手に出来ること」は、夢物語ではないか。

だから、ホームページを持つのである。

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